阪神18年ぶりリーグ優勝で喜ぶ人々(写真:東京スポーツ/アフロ)

9月14日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で、阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝が決まると、大阪府大阪市中央区の道頓堀川に少なくとも26人が飛び込んだと報じられた。不謹慎ではあるが「道頓堀ダイブ」は「お約束」ではあった。

読者各位はおかしいとは思わないだろうか? 阪神タイガースの本拠地は「兵庫県」だ。その優勝を隣とはいえ「大阪府」の人たちがなぜ大喜びするのか?

千葉ロッテマリーンズや横浜DeNAベイスターズや埼玉西武ライオンズが優勝したからと言って、東京都民が隅田川にダイブすることはないはずだ。

正力松太郎が声をかけて阪神がリーグ参加

そもそも日本のプロ野球は、1934年、読売新聞社がアメリカからベーブ・ルースなど大リーグ選抜を招聘した際に文部省が「勉強が本分の学生選手が、職業野球と試合をすることはまかりならん」とお達ししたことがきっかけで始まった。読売新聞社は急遽、社会人や学校を中退させた選手によって大日本東京野球倶楽部を創設した。のちの巨人、読売ジャイアンツだ。

翌年、読売新聞社主の正力松太郎は、職業野球リーグの創設を思い立ち、まっさきに阪神電気鉄道に声をかけた。東洋一と言われた阪神甲子園球場を所有し、中等学校野球大会を運営してきた実績があったからだ。阪神はリーグ参加を決める。

この話を視察先のアメリカで聞いた阪神急行電鉄の創設者、小林一三は同じ阪神間を並走する阪神に負けじと、電報で「球団創設」を指示。併せて甲子園にほど近い西宮市に西宮球場の建設を命じた。阪急球団の誕生だ。

プロ野球草創期の関西では、兵庫県に阪神、阪急という電鉄会社が運営する2球団があっただけで、大阪府にはプロ野球チームはなかった。それもあってか阪神は、本拠地が兵庫県なのに「大阪タイガース」を名乗る。

しかしながらプロ野球初年度の1936年、タイガースは甲子園、宝塚と兵庫県の球場で試合をしたが1試合も大阪府で試合をしていない。

兵庫県なのに「大阪タイガース」を名乗れた事情

それでも「大阪」を名乗ることができたのは、当時の関西の都市事情による。昭和初期、大阪の経済発展とともに、船場、ミナミなどの大店の「旦那衆」は、大阪中心部の雑踏を離れて、兵庫県の芦屋、西宮などに広壮な邸宅を構えるようになった。船場などの店舗周辺には奉公人=社員が住み、旦那衆は兵庫県のお屋敷から通うようになったのだ。つまりこの時期、大阪の富裕層が大挙して兵庫県に移住したのだ。

文豪谷崎潤一郎の代表作「細雪(ささめゆき)」はまさにプロ野球が創設された1936年頃の芦屋を舞台にした船場の大家の4姉妹の物語だが、こういう形で芦屋、西宮などは大阪のヒンターランド(後背地)になっていった。西宮市の甲子園に本拠を構える球団が「大阪タイガース」を名乗っても違和感はそれほどなかったのだ。

こうした大阪の富裕層の「兵庫県移住」を推進したのは、沿線の宅地開発を推進した阪急電鉄だったが、阪急軍よりもタイガースのほうが人気があった。阪急は1938年に大阪府南部を走る南海電鉄に声をかけてプロ野球参入を促した。これは「ほんまもんの大阪の球団」を作ることでライバルのタイガースを牽制する意味があったのかもしれない。

しかし戦前のプロ野球では巨人とタイガース以外は年度優勝することがなかった。関西のチームと言えば兵庫県が本拠の大阪タイガースという時代が続いたのだ。

1949年、「2リーグ分立騒動」が起こる。プロ野球の父、正力松太郎がMLBにならって「2リーグ分立」を提唱したのだ。

台風の目は、新規参入した毎日新聞だった。毎日は新リーグであるパシフィック・リーグを創設。巨人などのセントラル・リーグに対抗した。

当初、阪神電鉄は毎日に誘われパ・リーグに加入する予定だったが、ドル箱である「巨人―タイガース戦」がなくなることを危惧して、最後の最後に寝返ってセ・リーグに加入。変節に怒った毎日は、タイガースの主砲、別当薫、スター捕手の土井垣武、エース若林忠志などを引き抜いた。タイガースはこのため、以後、長く弱体化する。

南海もパ・リーグに所属したが、大監督・鶴岡一人の手腕で黄金時代を築く。親会社の南海電鉄は大阪、難波に大阪球場を建設。「ほんまもんの大阪の球団」が本格始動した。また、同じく大阪の近畿日本鉄道もパ・リーグに所属する近鉄球団を創設。

大阪に南海、近鉄と2つも球団ができたが、タイガースは1960年まで「大阪タイガース」を名乗っていた。ただし、新聞などのメディアは当時からタイガースを「阪神」と呼称していた。

1961年に「阪神タイガース」を名乗る

1958年、立教大学からスター選手の長嶋茂雄が入団して「巨人人気」が圧倒的に高まる。「皇太子(今の上皇)ご成婚」を契機として急速に普及しつつあったテレビ受像機で、読売系列の日本テレビは「巨人戦」を連日放送し、高視聴率を上げる。翌1959年、プロ野球初の「天覧試合」が、後楽園球場の「巨人―大阪戦」で行われる。この試合は長嶋茂雄のサヨナラホームランという劇的な幕切れとなり、巨人人気は決定的なものとなった。

1961年、NPBが「保護地域(フランチャイズ)」を施行し、タイガースのフランチャイズが「兵庫県」に定められたのでこの年から「阪神タイガース」を名乗る。1962年に阪神は2リーグ分立後初優勝。1964年にも優勝する。

筆者は1970年代から関西のプロ野球を観戦しており、この時期のセ・リーグとパ・リーグの人気の差は極めて大きかった。パ・リーグ球団の入場口の横には「無料招待券」が山と積まれていたが、それでも客の入りはパラパラだった。観客席には酔っ払いが寝そべり、ファンの野次は選手や監督にダイレクトに届いたものだ。

大阪球場や、日生球場、西宮球場などでパ・リーグの試合を観ていて、場内が一番湧くのは「他球場の試合経過」で阪神がリードしているというアナウンスがあるときだった。南海ファンだった筆者は唇をかんだものだ。

カーネル・サンダース像が沈んだ1985年

阪神タイガースの人気が「別次元」のものになったと実感したのは、1985年の21年ぶりの優勝だった。4月17日、ランディ・バース、掛布雅之、現監督の岡田彰布が、甲子園で巨人の槙原寛己からバックスクリーンに3者連続本塁打を打ったのを皮切りに、阪神は圧倒的な打力でセ・リーグ優勝を果たす。

大阪ミナミの大群衆が押しかけ、道頓堀川にファンが次々飛び込んだのはこのときだ。近くにあったケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像が道連れにされたのは、まさに暴挙だった。

それまでの阪神は、弱い時代が長く、ファンは「弱いけど諦められまへんねん」と言っていた。それは含羞を帯びた粋な姿勢だと思えたが、この優勝くらいから「わしらは虎キチや」というようなファンも目立ち始めた印象だ。

このとき、吉田義男監督をはじめ、タイガースナインが、大阪の目抜き通りである御堂筋をパレードする案が浮かんだ。しかし、御堂筋の南端の大阪球場には、南海ホークスがいた。

南海は1959年の優勝時に御堂筋パレードを行っている。1977年に野村克也監督が、後の夫人が絡んだスキャンダルで球団を追われてから、チームは低迷し、スポーツ紙が「南海やっても勝てまへん」と書く始末だったが、それでもファンは「御堂筋パレードができるのは、大阪の球団だけや」と思っていた。

表向きは「警備上の問題がある」とのことで御堂筋パレードは見送りとなったが、その裏には弱小パ・リーグの弱小南海ホークスの「意地」があったとされる。

しかし南海ホークスは1988年オフにダイエーに買収され、福岡に去る。2003年、阪神が優勝すると、星野仙一監督以下阪神ナインは11月3日、しょぼ降る雨の中、御堂筋パレードを行ったのだ。このとき、大阪には近鉄バファローズがあったのだが、御堂筋パレードに異論を唱えたかどうかは定かではない。

「球界再編」でオリックス・バファローズ誕生

近鉄は翌年の「球界再編」で、神戸を拠点とするオリックス・ブルーウェーブと合併し、オリックス・バファローズとなる。本拠地は大阪市西区の大阪ドームと神戸市西区のグリーンスタジアム神戸となったが、阪急ブレーブスの流れをくむオリックス・ブルーウェーブと、近鉄バファローズというパ・リーグのライバル同士の合併は、ファンに複雑な感慨をもたらした。

もはやオリックス・バファローズは「純然たる大阪の球団」とは思えず、阪神タイガースに対してファンも強く出ることはできなかった。それもあってか2005年11月6日、阪神タイガースによる2回目の御堂筋パレードが行われ、今年と同じ岡田彰布監督が、沿道にファンに手を振った。

ちなみに2003年も2006年も「御堂筋ダイブ」は行われている。

2021年、京セラドームで行われたオリックス・バファローズのホーム開幕戦、来賓の松井一郎大阪市長(当時)は「御堂筋空けて待ってますから、パレードしてください」とあいさつしたが、実際に優勝してしまうと、松井市長は「(コロナ禍もあるし)難しいかな」と言葉を濁した。御堂筋パレードはバーチャルで行われた。

2022年、オリックスはリーグ連覇を果たし、11月3日、南海、阪神に続き、晴れて御堂筋パレードを行った。筆者も観に行ったが、穏やかなパレードだった。

ちなみに2022年のオリックス優勝時も、道頓堀川にダイブするファンが出る恐れがあると見て警察は警戒したが、一人も飛び込まなかった。「道頓堀ダイブ」は阪神の専売特許のようだ。

阪神、オリックス合同で御堂筋パレード?

さて、2023年である。阪神タイガースはセ・リーグで優勝して「御堂筋パレード」をする権利を手にしたが、パ・リーグもオリックスが2位ロッテに10ゲーム以上をつけて優勝が秒読みとなっている。

今年は阪神、オリックスともに御堂筋パレードを挙行することになるのか。吉村洋文大阪府知事は「合同でやればいい」とコメントして、両チームのファンから反発を食らったが、実際問題として、幹線道路を封鎖する大イベントを2回も実施するわけにはいかない。

例えば「日本シリーズで勝ったほうがパレードをする」とするのか、吉村知事の言うように合同でやるのか興味は尽きない。

ただ「阪神は兵庫県のチームやから大阪の御堂筋でパレードするのはおかしい」という大阪人はもはやかなりの少数派だろう。少し寂しい気もする次第だ。

(広尾 晃 : ライター)