2カ月間、デンマークの「フォルケホイスコーレ」での生活を経験したという松尾明子さん(写真:筆者撮影)

病気、育児、介護、学業など、さまざまな理由で働くことができない時期がある人は少なくありません。そんな離職・休職期間は、日本では「履歴書の空白」と呼ばれ、ネガティブに捉えられてきました。

しかし、近年そうした期間を「キャリアブレイク」と呼び、肯定的に捉える文化が日本にも広まりつつあります。この連載では、そんな「キャリアブレイク」の経験について、さまざまな方にインタビュー。メリット・デメリットを含め、その実際のところを描き出していきます。

生産的”ではない”時間に身を浸す場

業務では昨日よりも高い成果を、休みの日にも仕事上のスキルアップにつながる活動を――。

より高い成果を出すことや、生産性の向上を強く求める職場で働く人は少なくないだろう。そうした環境の中では、一見生産的ではないと思えるような時間を過ごすことが難しくなることがある。

しかし世界に目を向けてみれば、あえて生産的ではない時間にどっぷりと身を浸す学びの場がある。それが「フォルケホイスコーレ」だ。

デンマークで生まれ、世界に広がるこの教育機関では、必ずしも仕事に役立つことを学ぶ必要がない。17歳半以上なら誰でも通え、テストなし、評価なし。「人生の学校」とも呼ばれ、近年では日本人も通うようになっている。

そこには、成果主義、効率主義にとらわれた私たちが見落としている何かがあるかもしれない――。そう考えた筆者は、日本の大企業を辞めたのち、2カ月間フォルケホイスコーレでの生活を経験した松尾明子さんに話を聞くことにした。


(写真:筆者撮影)

「好きなこと」がわからなくなった

「今この瞬間、何を食べたいのかもわからない」

松尾さんは自らの状態に戸惑っていた。新卒で入ったのは、就職人気ランキングでも毎年上位に入る大企業。配属されて決まった住宅相談アドバイザーや広告制作の仕事は、やりがいを持って取り組める……はずだった。

学生の頃は世界一周をしたり、休日には古着屋めぐりをしたりと、やりたいと思ったことをどんどん行動に移していた松尾さん。しかし、社会人としてがむしゃらに働くうちに、好きなことに触れる時間がなくなっていた。

「だんだんと、『好きなこと』という感覚も失っていきました。レストランに行っても、自分が何を食べたいのかもわからないんです」

職場がいわゆるブラックな環境だったわけではないという。松尾さんが力を発揮できるように考えてくれた上司や同僚もおり、実際、松尾さんも成果を出していた。しかし、上司から褒められても、松尾さん自身が自分を受け入れることができなかった。

「褒められても、『そんなことないです』といつも返していました。周りを見渡せば、もっと成果をあげてる人はいるわけなので。『自分は他人より能力が低くて、社会では役に立たない』と、ずっと思っていましたね」

「自分は能力が低いんだ」という思いが、松尾さんをがむしゃらに仕事に向かわせていた。

そんな折、恋愛でつらい別れを経験する。それも、かつて別の恋人と経験したものと同じような別れ方。「恋愛がいつも同じパターンで終わるのは、自分に何か問題があるんだろうか?」。そう疑問を持った松尾さんは、自分の心の仕組みについて知るために心理学の講座に通うことにした。

学ぶなかで見えてきたのは、自らを苦しめてきた考え方の癖だ。

「『誰かの期待に応えないと、自分の存在価値がなくなってしまう』と思い込んでいたんです。だから、職場でもがむしゃらに働いていたし、恋愛でも頑張りすぎてしまっていた。誰かの期待に応えようとし続けるなかで、自分自身のやりたいことが見えなくなってしまったんだ、と気付きました」

始めたのは「幸せの仮説検証」

このままではいけないと考えた松尾さんが始めたのは、「幸せの仮説検証」だった。

1日ひとつでも、やりたいことをやってみる。そうするうちに、1カ月後や1年後、数年後のやりたいことも見えてくるかもしれない、と考えたのだ。

2017年12月11日。その日は、松尾さんにとって26歳の誕生日の前日だった。いつもと同じように遅くまでオフィスで仕事をし、帰路につく。品川駅のホームでいつもの電車を待ちながら、思った。「このままだと、誕生日をひとりで家で過ごしてしまうな……」。

1日ひとつでも、やりたいことをする。幸せの仮説検証のことを思い出した松尾さんは、ホームを戻り、いつもは乗らない路線に飛び乗った。「行きつけの居酒屋に行こう」と思ったのだ。

結果的に、この何気ない行動がその後の人生を変えることになる。その店の前で、会社の先輩とばったり遭遇。それがきっかけとなり、先輩が副業で行っていたある食品企業の商品をひろめるイベントを手伝うことになったのだ。

「やってみたら、すっごく楽しくて。初めて心から『仕事が楽しい!』と思えた気がします」

その後もイベントの開催を重ねながら、幸せの仮説検証を続けた。「自分はなぜこのイベントをやるのか」「実際にやってみてどうだったか」を、イベントごとにスプレッドシートに記入していった。すると、「人が笑顔になるきっかけをつくるのが嬉しい」や「イベントで人と会いすぎると疲れる」といったように、自分がやりたいこと、やりたくないことがだんだんと言語化されていった。

品川駅のホームでの出来事から、およそ2年後。松尾さんは5年半勤めた会社を辞めた。やりたいことの輪郭が見えてきたこともあり、フリーランスとして働くことを決意したのだ。

しかし思いがけないことに、取り組む予定だった業務の開始が延期になり、すっぽりとスケジュールが空いてしまった。そんなとき、もともと「一旦すべての役割から離れて、もう少し幸せの仮説検証をしたい」という気持ちがあった松尾さんが思い出したのが、ある知人から聞いていたフォルケホイスコーレの存在だ。

フォルケホイスコーレは、デンマークを中心とした北欧にある全寮制の学校。17歳半以上であればだれでも入学することができ、3カ月〜1年ほどの期間、生徒や先生と共に暮らしながら、自分の興味関心に従った領域について学ぶことができる。学べる領域は、アートやデザイン、哲学、福祉、農業やスポーツなど幅広い。

2カ月間、デンマークへ

試験や成績など、評価される仕組みがないのも特徴で、高校卒業後にギャップイヤーを過ごす若者から、しばらく働いた後にキャリアの見直しをしにくる大人など、年齢も国籍も価値観も異なる人々が集い、学び合う場になっている。

「この環境は、幸せの仮説検証にぴったりかもしれない」と考えた松尾さんは、2カ月間デンマークのフォルケホイスコーレに行くことにした。

フォルケホイスコーレでの日々は、松尾さんの価値観を揺さぶるものだった。「大学での専攻は〇〇でいいのかな」と興味を探索している人、木こりをしていたけれど哲学者になろうと思い始めている人、生徒の前で自分の政治観を高らかに語りディスカッションを楽しむ先生……さまざまなバックグラウンドを持つ生徒と先生が、年齢も立場も関係なく、フラットに関わり合う。

朝、歌を歌ったり少し話をしたりする朝礼を終えて、授業。授業は1コマ2〜3時間で、興味のあるものを受けることができる。「せっかくならやったことがないことをやろう」と思っていた松尾さんは、演劇のクラスやダンスのクラスにも挑戦した。

授業の合間には、ラウンジで友達とおしゃべりをしたり、トランプをしたり、体育館でバドミントンをしたり、部屋でぼーっとしたり。寝食を共にする生徒や先生たちとは、将来のこと、恋愛のこと、政治のこと、環境のことなど、たくさんのことを話した。


フォルケホイスコーレでの、とある1日。これはカメラの授業の様子(写真提供:松尾さん)

今振り返れば、フォルケホイスコーレは「幸せの仮説検証」にぴったりな場だったという。

「テストも成績もなく、誰かから評価されることがないので、『自分がやりたいかどうか』以外に判断基準がないんです。だから、自分の興味に素直にしたがって行動することができました。それに、同じ授業を受けても人によって感じることがまったく違う。その考えに触れられるので、40人クラスメイトがいたら40人分の仮説検証をできているような感覚もありましたね」

2カ月の滞在を経て、松尾さんの中で自分のやりたいことがだんだんと明確な言葉になっていった。

それは、まさにフォルケホイスコーレのような「自分を探究できる学びの場をつくること」。26歳のころ、「今この瞬間、何を食べたいのかもわからない」状態だった頃から、2年半。「幸せの仮説検証」は、フォルケホイスコーレという舞台を得て、松尾さんに大きな実りをもたらした。


授業の合間に息抜き中……ではなく、「散歩の授業」の様子(写真提供:松尾さん)

「無意味な時間をすごしてもいい」と思えるように

デンマークから帰国後、松尾さんは北海道東川町にある日本版フォルケホイスコーレ「School for Life Compath」で学校づくりに取り組んでいる。2023年の秋からは、スコットランドにあるエジンバラ大学の大学院にも留学予定だ。フォルケホイスコーレのような学びの場がどうしたら日本にも根付くのか、研究していくつもりだという。

あらためて今振り返ると、松尾さんにとってフォルケホイスコーレでの経験はどのような意味を持っていたのだろうか。

「『無意味な時間をすごしてもいいんだ』と、思えるようになったことが大きいです。私はずっとどこかで、『生産的な時間を過ごさなきゃだめだ』と思っていた。だからフォルケホイスコーレに入学した当初は、生徒たちとトランプをする時間が耐えられなくて。『この時間に何の意味があるんだろう?』と思ってしまっていました。

でも、しばらくしたら『楽しいからいいや!』と開き直れて、没頭できるようになりました。そしたら、生きやすくなったんですよね。人生のすべての時間に意味を持たせるのはしんどいし、意味がある時間だけが人生じゃないよねって、今では思います」

松尾さんは今でも、期待された役割を果たすためにがむしゃらに働き、自分を追い込んでしまうこともあるという。

「以前だったら、『それでもこの環境で生きるしかない』と考えて頑張り続けたと思います。だけど今では、『デンマークにいたときみたいに、無意味な時間を過ごしてもいいんだよな』と、少し立ち止まることができるようになったんです」

と、松尾さんは晴れやかな顔で教えてくれた。その表情からは、他人の期待に応え続けてきた時期を乗り越え、自分のやりたいことを基準に人生を歩んでいる自信が滲んでいるように思えた。


(写真:筆者撮影)

日本でも増えている、キャリアブレイクを過ごす場所

成長や成果を求めることは、かならずしも否定されるべきものではない。けれど、それらのみで存在が評価される環境にしか自分の居場所がない状態は、なかなかにつらいものだ。

そんな状態にある人にとって、「無意味な時間」を過ごすことができる場所や時間は、「今いる環境だけがすべてではない」と気づき、生きづらさを軽くするきっかけになりえる。

幸い、日本でもフォルケホイスコーレを参考にした、キャリアブレイクを支える取り組みが広がっている。松尾さんが関わっている北海道東川町での「School for Life Compath」や、北海道上川町の「そのまんまフォルケホイスコーレ」、岩手県陸前高田市での「Change Makers' College」、長野県の野尻湖エリアで活動する「NoMaFo」、島根県津和野町での「つわのホイスコーレ」、奈良県の「天川村ホイスコーレ」などだ。

成果主義、効率主義の環境から一歩外に出て、無意味だけれど豊かな時間を過ごせる場が増えていることに、筆者のように希望を感じる方もいるだろうし、「怠惰な人間を生み出すだけだ」と感じる方もいるかもしれない。さて、みなさんはどう思うだろうか。


山中散歩さんによるキャリアブレイク連載、過去記事はこちらから

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(山中 散歩 : 生き方編集者)