記者会見する岸田文雄首相(写真:時事)

第2次岸田再改造内閣が9月13日夜、発足した。「時期、内容が二転三転」(官邸筋)した末の自公政権新体制スタートとなった。その結果、岸田文雄首相と続投した麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長の複雑な駆け引きが、2年目を迎える岸田政権の前途に暗影を投じている。

今回の党役員・内閣改造人事で岸田首相が狙ったのは、「政権発足以来の念願だった自前の人事体制」(側近)だった。そのため、インドでのG20閉幕を受けた11日朝の帰国時まで「一人だけで熟考」(同)し、同日昼からの麻生、茂木両氏や萩生田光一政調会長ら党・内閣要人との協議に臨んだ。

岸田首相は外遊直前に最も信頼する側近に「最後の人事のつもり」として「幹事長も含めた党・内閣の要職の大幅入れ替えと党中枢への岸田派送り込み」(官邸筋)を目指す意向を伝えた。しかし、それに危機感を持った麻生氏が茂木氏と連携して“茂木外し”を封じ込め、岸田首相も両氏の続投を含めた「政権の骨格維持」を余儀なくされたのが実態とみられる。

岸田首相にとって党内第2、第3派閥領袖の麻生、茂木両氏との「3頭体制」は「政権安定の生命線」(自民長老)だ。それだけに、「自前人事にこだわれば政権が動揺することへの不安が『大胆な新体制』への越えられない壁になった」(同)とみられる。

岸田首相は10月4日に政権発足から2年の折り返し点を迎え、2024年9月末の自民党総裁任期まで1年を切る。当然、今後の政権運営では、その間の衆院解散断行の可否が最大の焦点となる。このため、次期期臨時国会会期中も含め、解散風を吹かせ続けることで主導権維持を狙うが、「麻生・茂木連合の“足かせ”からの脱却」が今後の課題となりそうだ。

過去最多タイの女性閣僚5人が“目玉”だが

岸田首相(自民党総裁)は13日午前、党本部で開いた臨時総務会で、麻生副総裁、茂木幹事長、萩生田政調会長の続投と、小渕優子組織運動本部長の選対委員長昇格、森山裕選対委員長の総務会長への横滑りなどの党主要役員人事を決めた。

これを受け岸田首相は昼前に官邸で開いた臨時閣議で全閣僚の辞表を取りまとめた。これに続く山口那津男・公明党代表との与党党首会談を経て、午後に組閣本部を設置し、留任の松野博一官房長官が閣僚名簿を発表するとともに、新閣僚が首相官邸に呼び込まれ、午後5時前の皇居での認証式を経て、再改造内閣が正式発足した。

今回の新内閣は、鈴木俊一財務相、松野官房長官、河野太郎デジタル相、高市早苗経済安全保障担当相、西村康稔経済産業相、斉藤鉄夫国土交通相の主要閣僚6氏が留任。初入閣は小泉龍司法相ら11人で、再入閣は2人だった。

その中で岸田首相が目玉人事とアピールしたのが過去最多タイとなる5人女性閣僚起用。留任の高市氏と再入閣の上川陽子外相に加え、土屋品子復興相、加藤鮎子子ども政策相、自見英子地方創生相(参院)という布陣で、小渕党選対委員長も含めると党・内閣で6人の女性が登用された。

そこで政界が注目したのが、小渕氏の党4役入りだ。茂木派に強い影響力を持ち「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄元官房長官(6月に死去)の強い「遺志」が背景にあるとみられている。さらに、安倍派の“仕切り役”を自任する森喜朗元首相もそれを後押ししたことが、岸田首相の決断につながった形だ。

「茂木派分断」狙った小渕氏の選対委員長起用

故青木氏は小渕恵三内閣で官房長官を務め、小渕氏の急死で地盤を継いだ優子氏を「娘のように可愛がってきた」(茂木派若手)とされる一方、死去する直前まで茂木氏を要職から外すよう主張していた。これを活用したのが岸田首相で、「ポスト岸田」への野心をにじませる茂木氏と同じ党四役に小渕氏を起用することで、「茂木氏を牽制するとともに茂木派の分断を狙った強かな人事」(自民長老)との見方が少なくない。

ただ、小渕氏の要職起用には危うさも付きまとう。政治資金問題で2014年に経済産業相を辞任したが、証拠となるパソコンをドリルで壊したことで「ドリル優子」と揶揄された過去があるからだ。小渕氏は13日の就任会見で涙をこらえながら「忘れることのない心の傷」と悔悟の弁を繰り返したが、岡田克也・立憲民主党幹事長が12日の記者会見で、小渕氏について「説明が十分だとは思っていない」と指摘したように、今後も野党やメディアからの追及は避けられそうもない。

その一方で、過去最多タイの5人の女性閣僚の中で注目されたのは、初入閣の加藤、自見両氏。「岸田流の大抜擢人事」(自民幹部)とされるが。特に、加藤氏は故加藤紘一氏の三女で、「現在の谷垣グループと岸田派の接着剤ともなる人物」(岸田派幹部)とみられている。このため、「近い将来の岸田派と谷垣グループの再合流を狙った人事」(自民長老)との憶測も広がる。

木原氏退任は「美談仕立て」のお芝居

そうした中、多くの政界関係者が首をかしげたのが林芳正外相の退任。G20外相会議の議長役でもあり、人事直前にウクライナを電撃訪問しゼレンスキー大統領と会談したことから「誰もが外相留任と思っていた」(外務省幹部)からだ。

ただ、岸田氏の最側近によると「林氏はかねて次の人事で外相をやめて党の役職につきたいと訴え、岸田首相もこれを受け入れていた」という。このため岸田首相は「各国外相も集結する国連総会の前に外相を交代させることに悩み、それが国連総会での訪米後の人事の検討につながった」(官邸筋)とされるが、その間の人事工作の混乱回避のため、突然の外相交代に踏み切ったのが「真相」とされる。岸田首相は13日夜の記者会見でも踏み込んだ言及を避けた。

さらに、岸田首相の最側近の官房副長官として官邸の切り回し役を務めてきた木原誠司氏の退任も永田町の大きな話題となった。人事直前に一部大手紙が「木原氏留任」を報じたこともあり、人事の結果が注目されたが、「本人が固辞した」との理由で退任が決まった。

ただ、岸田首相と極めて親しい政界関係者によると「実は8月初めに退任が決まっていたが、岸田首相と木原氏自身が周囲にもそれを隠した結果」とされる。同関係者は「岸田首相は留任させようとしたのに本人が『内閣に迷惑をかける』という理由で断るという“美談”にして、木原氏のイメージダウンを防いだお芝居」と苦笑交じりに解説した。

こうしたさまざまな曲折を経ての岸田新体制が13日夜に発足。これを受けて岸田首相午後7時からのNHKニュースに合わせて官邸で記者会見し、まず新内閣について「変化を力にする内閣」と名付けたうえで、小渕氏の選対委員長起用については「選挙の顔として期待している」と述べた。

さらに最重要課題とした景気対策について「大胆な経済対策を実行する」としたうえで「月内に閣僚に柱立ての指示をし、来月中に取りまとめる」との考えを表明したが、補正予算の国会提出時期については明言しなかった。

政界では早くも「岸田首相は補正成立直後に解散を断行する」(自民幹部)ことを前提に11月14日公示―同26日投開票説も流れている。公示、投開票日との「大安」であることが真実味につながっているが、自民党内では「解散風を吹かすことで政局の主導権を維持したい岸田流の観測気球」との冷静な見方が多いのが実態だ。

(泉 宏 : 政治ジャーナリスト)