電車の運転シミュレーターによる実習の様子(筆者撮影)

日本で唯一、学校名に「鉄道」という単語が入っている高校を皆さんはご存じだろうか。東京・池袋にある昭和鉄道高等学校である。全国的にも珍しい鉄道の授業があるのが特徴で、これまで数多くの鉄道員を輩出してきた。筆者も卒業生の1人だ。

鉄道関係の授業は実習も含めさまざまな科目があり、たとえば旅客営業の授業は運賃、料金、切符の取り扱いに関する内容を学ぶ。今日まで筆者が執筆してきた数々のきっぷ「ケチケチ策」の記事作成の礎となったのはこの旅客営業の授業であった。

「鉄道だけ」ではなくなっている

ただ、その特徴ゆえに残念な声も聞かれる。筆者の大学の同期は「自分も入りたかったが、親からあそこに入ったら鉄道の世界にしか行けず、人生の選択肢を狭めてしまうと反対されて受験できなかった」という。

確かに、筆者が在籍していた2005〜2008年は進路の95%が鉄道業界となっていた。だが最近は違うようだ。就職率は8割で、そのうち鉄道関係は9割。つまり全生徒の7割で、残りの3割は進学や一般企業への就職だという。筆者が理工系大学へ進学したら異端とされたのがウソのような変化だ。

それだけでなく、鉄道の授業についてもバリアフリー化やインバウンド客の増加などに対応してかつてはなかった科目が設けられるなど、時代の変化に合わせてさまざまな点がかつてとは変わってきたようだ。多くの方には知られざる世界であろう「鉄道高校」の今を取材した。

以前と比べてさまざまな変化があるとはいえ、やはり鉄道高校ならではといえるのは鉄道関係の実習だろう。昭和鉄道高校には、鉄道事業者や関連会社から提供されたさまざまな実習機械が存在する。

元運転士の大渕利一先生の案内で実習室に入ると、まず目に飛び込んでくるのが信号機、菱形パンタグラフ、架線。さらに信号てこを使って列車の進路を制御する進路制御卓、列車の加減速を制御する機械、国鉄101系電車の運転台とドアがあり、壁面には鉄道にまつわる標識等の掲示物がズラリと並ぶ。使われている教科書は学校が自前で作成したものが多い。鉄道総合技術研究所(鉄道総研)制作のテキストもあるが、これは制作に大渕先生が携わっている。


実習室にある国鉄101系電車のドア(筆者撮影)

進路制御卓はかつて大手私鉄の駅で使われていた実物で、実際に電源が入る。列車が来ることを知らせるブザーが鳴ると、列車の動きに合わせて線路を示すランプが光り、進路上のボタンを押してポイントを切り換えたり、信号を進行表示にしたりといった操作を行って列車の進路を制御するといった実習を行う。


かつて実際に大手私鉄で使われていたという「進路制御卓」。ポイントや信号の切り換え操作などを行う(筆者撮影)

運転シミュレーターで何を学ぶ?

電車の運転シミュレーターもある。最近リニューアルを実施し、国鉄455系電車の運転台と私鉄のワンハンドル式の運転台、またホームと電車が接するいわゆるL空間に車掌実習用のモニターが備えられ、旅客の乗降を再現している。


電車の運転シミュレーターの外観。国鉄車両の2ハンドル式と私鉄のワンハンドル式の運転台がある(筆者撮影)

早速実習が始まる。「シミュレーター使えて楽しいと思うけど、ニコニコはしても鉄ヲタみたいにニタニタはしないように!」という号令で生徒から笑いが生まれ、緊張感がほぐれたが、一方で仕事として鉄道にかかわるという意識を持って実習に取り組むという意識付けでもある。

シミュレーターというと運転操作の技術を学ぶものと思いがちだが、「シミュレーターを使った実習では運転技能を究めるといったことはしません」と、元運転士の樋口昌明先生はいう。


シミュレーターで実習を行う生徒たち(筆者撮影)

「鉄道運転士は景色を見ただけで距離がわからないといけないし、速度計を隠した状態で速度を当てる速度観測というものができなければなりません。映像ではそんなものは身に付かない。実際に身体で覚えるものだから。だからシミュレーターで運転技能を究めようとしても意味がありません。なので、この実習では運転しながらどこにどんな標識が、どんな意味で、何のために設置されているか考えていきましょう」と樋口先生は生徒に語る。

筆者も運転してみたが、やはり映像だと距離感覚や速度感を掴むのは難しい。運転区間は神奈川県の某私鉄の区間なのだが、運転の様子をよく見たことがある区間でも停止位置に停めるのは困難であった。


卒業生の筆者も運転シミュレーターに挑戦してみたが……(筆者提供)

車掌の実習では樋口先生による指差喚呼と確認箇所の指導を受け、ドアの開け閉めと閉扉後の確認を行う。ここで先生、「みんなドア閉めボタン押した後、その手をどこに添える?」と生徒に問う。するとだいたいの生徒はそのまま閉めボタンに置いたままと回答するが、先生は「残念ながら駆け込み乗車をされるお客様もいらっしゃるので、いつでも開けられるように閉めるボタンを押したらすぐ開けるボタンに手を添えます。こうやっていつも、次、何が起こるかを考えながら動くのが鉄道員です」。


車掌の実習では実際にドアを開け閉めする(筆者撮影)

これは危険予知にもつながる教えである。筆者も在学時にこの話があったからか、エレベーターに乗っている時に「閉」ボタンを押した後、「開」ボタンに手を添えるようになっているのだ。「安全教育には特に力を入れています」と先生。なぜこの手順が必要なのかを考えさせ、身に付ける。これが真価と言える部分であろう。

鉄道の現場でも語学は重要

取材に訪れた土曜日は選択授業の日だった。「生徒がただ授業を受けるだけでは受け身の姿勢になってしまいますから、生徒自身が将来働く場所で必要になりそうだと思う科目を自主的に、自由に選んで受講できるようになっています」と教頭の松井浩先生はいう。

選択科目を見ると、観光英語、中国語、手話といった、筆者が在学中にはなかった科目が並び、インバウンド旅客やバリアフリー対応を意識しているのが見て取れる。とくに英語は通常の授業に加え、実践的な英語を学ぶ科目では駅や車内での案内への活用を意識しているといい、鉄道の現場でも英語が不可欠になっている時代を感じさせる。


実践的な英語の授業では乗り換えや行先案内などの会話も扱う(筆者撮影)

担当の先生によると、「英語の教材は今でも卒業生が現場に持ち込んで活用し、本当に助かっていてありがたいとの声をもらえています」とのことで、実用性は高いようだ。手話では山手線全駅の駅名を表現する実習もあり、「高輪ゲートウェイ駅」を表現してもらうと、まさにあの駅だというイメージが湧く感じであった。

冒頭で卒業後の進路が鉄道だけではなくなりつつあると述べたが、やはり鉄道員を目指して入学する生徒は多い。それを示すのが遠距離通学だ。最近では学校説明会で、鉄道路線図に生徒が住んでいる駅を赤く塗って見せるということを始めたといい、これを見ると本当に広範囲から通っているのがわかる。


かつての地下鉄丸ノ内線車両もあり、図書室から見える(筆者撮影)

前橋から通学しているという生徒は、自宅から自転車で70分かけて駅まで行き、在来線で通学しているため、往復に7時間かけているという。浜松から新幹線で通う生徒もいるという。これは昭和鉄道高校史上最長距離ということなのだが、これは「確かに下宿のほうが新幹線定期より安かったみたいですが、でもちゃんとご飯を食べているか、寝坊したりサボったりしてないかといった心配がなく、親元に置いておく安心感から通学を選ばれた」(松井先生)ということのようだ。

「子供の頃からの夢を叶えられる学校って素晴らしいとは思いませんか?自分のやりたい仕事を職業にできる人はなかなかいません」と松井先生はいう。これが遠距離通学のモチベーションにつながっているといえる。

運転士になった同級生に会うことも

このように本気で鉄道員を目指す生徒も多い一方で、実際の就職は鉄道業界以外も増えてきているようだ。「最近は特に公務員進路にも力を入れている。併願できますから。最近は2年連続防衛省へ、また外務省への就職実績もあります」(松井先生)。進学も昔だったらほぼ困難と言われていた国立大などへ進む例も増えているといい、理工系大学へ進学した筆者が「異端」と言われた昔とは時代が変わっているようだ。

また、筆者の在学時は「駅務研修」という各鉄道会社の駅での業務体験ができたが、今は「インターンシップ」に変わり、鉄道会社以外の企業も選べるようになったとのことだ。もっとも、田園調布駅で駅務研修を受けた筆者としては、普段外からは見られない駅の動きや裏側を見られるレアな体験ができる駅務研修を選ばないのはちょっともったいない気はする。

いかがだったであろうか。多くの方にとって「鉄道の授業がある高校」は未知の世界だろうが、「鉄ヲタ学校」だと思っていた方はかなりイメージが変わったのではないだろうか。


取材時は9月16・17日に開く学園祭に向けてHOゲージレイアウトも作成していた(筆者撮影)

ちなみに卒業すると駅などでかつてのクラスメイトに出くわすこともある。筆者がホームの先頭で列車を待っていると、やってきた列車が停止位置まで100mほどの場所に来たところで乗務員室の窓が開き、何かと思ったら運転士になった同級生が手を振ってあいさつをしてくれて、その眼力と反応の速さに驚かされた。このように駅や列車で、夢をかなえた同級生の姿を見ることができるのは鉄道高校ならではだろう。


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(北村 幸太郎 : 鉄道ジャーナリスト)