ジャニーズ事務所の記者会見で感じた「奇妙さ」の正体とは(撮影:風間 仁一郎)

9月7日に開かれたジャニーズ事務所の劇的な会見は、私が日本で経験したジャーナリスト人生の中で最も奇妙な体験の1つだった。

ジャニーズ事務所は、これ以上ないほど積極的に報道陣を迎え入れた。日本人、外国人、主要メディア、フリーランスのジャーナリストなど、誰でも参加できた。しかも、会見は14時から4時間以上続いた。何十台ものカメラやビデオカメラが彼らを見守った。どんな質問もタブーではなかった。報道陣が望めば、何日でも続いただろう。

「家族会議」のような奇妙な会見

しかし、長引けば長引くほど、私たちが知ることは少なくなっていった。すべての瞬間が妙に空虚だった。まるで家族会議が開かれ、そこにいる人が皆で一緒に癒やされようとしているようにさえ感じられた。

ジャニー喜多川の何十年にも及ぶ少年への性的加害が認められたにもかかわらず、会場全体がジャニーズ事務所の存続を望んでいるような雰囲気さえあった。

おそらく会見会場にいる誰もが、自ら調査をしなかったことを恥ずかしく思っていただろう。ジャニーズ事務所はそのトップであったジャニー喜多川が、何百人もの少年に性的加害をしながらジャーナリストからファンまでをその巨大な軌道に取り込み、劣化させ、見て見ぬ振りをさせることに見事に成功してきた。

会見では、ジャニー喜多川は、その旧態依然とした振る舞いが長い時を経てようやく露呈した、孤独で卑劣な「おじいちゃん」として描かれたが、はたしてそうだろうか?

会見直前、私は日刊ゲンダイデジタルに掲載された記事に目を引かれた。そこには、2005年に発売された元ジャニーズJr.の山崎正人氏が、木山将吾のペンネームで書いた『Smapへーそして、すべてのジャニーズタレントへ』が紹介され、ジャニーズの東山紀之新社長が後輩たちにしていた振る舞いが書かれていた。

「彼はマージャンだけではなく、人のパンツを脱がすことが大好きだった。僕も何度もヒガシに背後からパンツを引きずり下ろされ、イタズラされたことがある。そして、パンツを脱いだままよろける姿でいる僕に、ヒガシは『こっちへ来い!』と命令しながら、無理やりに僕の手を引いて、マージャン卓のある部屋まで引き摺っていくのだ」

記事によると、連れていかれた先ではジャニー喜多川が待っており、時折、性器を触られることもあったという。

もし木山の主張が事実でないなら、東山は木山を名誉毀損で訴えるべきだ。記者会見で筆者を含めて複数の記者がこの点について尋ねると、東山の答えはどんどんと変わっていった。

筆者が最初に尋ねたときは「中身は読んでいないが、事実ではないと思う」としていたが、別の記者が同様の質問をすると、「したかもしれないし、していないかもしれない。よく思い出せない」という趣旨の発言をした。だが、こんなシーンを忘れることができるだろうか。

アルコール依存症の治療をバーテンダーに任せるよう

私は彼自身に個人的な不満はないが、ジャニー喜多川の「お気に入りの息子」である彼にジャニーズ事務所の更生を担当させるのは、バーテンダーにアルコール依存症対策プログラムを担当させるようなものだ。

東山はジャニーズ事務所の再生にもっとも不向きな人物である。彼に任せることは、性的加害、そしてその隠蔽を可能にした「喜多川システム」の共犯者たちに庇護を与えることになりかねない。

日本の刑法では、酒気帯び運転をした場合、助手席の同乗者にも運転させた責任がある。バーテンダーには酒を提供した責任がある。

同じ理屈が、ジャニー喜多川の捕食行為を何十年も野放しにしてきた東山や藤島ジュリー景子前社長、その他の側近メンバーにも当てはまらないだろうか?真実は、ジャニー喜多川1人で罪を犯すことはできなかった、ということだ。彼が捕食することを可能にしていた環境があり、彼の悪癖を“助ける”者たちがいた可能性もある。

ジャニーズのタレントたちにも責任の一端はないのだろうか。彼らが有名であるほど、大人であるほどその責任は重い。多くは「知らなかった」というが、正確には「知らないふりをしてきた」というべきだろう。東山は、その最たる例なのではないか。

そして、彼らが見て見ぬ振りをし、真実から目を背け続けたことで、真実を知る機会を奪われた多くの少年たちが、彼らのようなスターになることを夢見てジャニーズに集まってきたのだ。

外圧がなければ放置されたままだった

秘密によって集団が引き裂かれる物語では、しばしば部外者がその秘密を暴露する。今回はBBCのジャーナリストだ。


記者会見には多くのメディアが集まったが、BBCがドキュメンタリーを放映することがなければ、日本のメディアが性加害問題を取り上げることはなかっただろう(撮影:風間 仁一郎)

モンスターになる前のジャニー喜多川は、たんに心に問題を抱えた人間だったのかもしれない。

彼のそうした問題が早い段階で見抜かれ、有罪判決や治療によって、キャリアの早い段階から正しい方向に戻っていたなら、その素晴らしい才能を善のためだけの力として発揮できたかもしれない。

だが結局、彼は何十年も自分の好きに振る舞うことが許されていた。日本のメディアは、なぜ自分たちは一部の人々にはとんでもなく小さなネタで嫌がらせをする一方で、大きなネタは眠らせておくのか疑問に思うべきだ。

ジャニー喜多川が何百人もの人間を自由破壊できる一方で、不倫した俳優が事務所から契約を解除されたり、マスコミから執拗な取材を受けたりするのはなぜか。経済的、社会的衰退のために、海外への日本に関する報道が減少し、日本にポジティブな影響を与えてきた「外圧」が減っている今、日本のメディアはこのことを自ら真剣に考えるべきだ。

「ジャニーズ問題」はすべての日本人の問題だ

ジャニーズの物語はすべての人に影響を与えるものであり、それは今やすべての人の責任である。社会にとってこれほど悪質な実績を持つ企業と関係を続けるかどうかは、スポンサー企業の判断に委ねられている。スポンサー企業は、ジャニーズ事務所や、同事務所を支援した企業との関係を完全に断ち切るべきである。

より責任が重いのはテレビ局だ。テレビ局の中には、早々にジャニーズ事務所所属タレントの番組出演について変更する予定がない旨を表明した局もあるが、開いた口が塞がらない。

テレビ局は、ジャニーズと組むことで社会的責任を回避するのをやめるべきだ。テレビ朝日はこれからも『#裸の少年』を放送するつもりなのだろうか。大手テレビ局が、こんなタイトルの番組を放送するのは普通なのだろうか?テレビ朝日のウェブサイトにある「ESG(環境・社会・ガバナンス)の取り組み」が何と空々しいことか。

テレビ各局は、「未来志向」の声明を出しているが、本当にそれだけですますつもりなのだろうか。最低でも第三者委員会を立ち上げ、ジャニー喜多川の性加害について、いつ認識し、それがなぜ報道に至らなかったのか、いつ、誰による圧力や働きかけがあったのかについて、詳らかにすることこそ、メディアとしての責任だろう。

ジャニー喜多川は、残念ながらこの世で最後の異常性癖者ではない。何の検証もしないで、また彼のような人物が現れたとき、メディアはいったいどうやって再発防止を図るつもりなのだろうか。

(敬称略)

(レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員)