(写真: Fast&Slow/PIXTA)

現在の高校生や大学生に論理文「p⇒q」の否定文を尋ねると、「p⇒[qでない]」だと思っている者が非常に多くいる。

これの正解は「pかつ[qでない]」である。実際、1970年代の高校「数学I」の教科書には以下のような詳しい解説があるが、現在の教科書にはない。

「p⇒(ならば)q」は、pが真でqが偽のときに限って偽である。また、その説明のために、次の説明が準備として書いてある。

「天気がよい」⇒「遠足に行く」という約束については、天気がよくなければ、遠足に行っても行かなくても約束を破ったことにはならない。約束を破ったことになるのは、天気がよく、かつ遠足に行かなかったときだけである。そして、真偽表もその教科書にはある。


高校生が習わなくなった「p⇒q」の否定文

要するに、当時の高校生は全員で「p⇒q」の否定文をきちんと学んでいたのである。ところが、残念ながら現在の高校生は、それをまったく習っていない。だからこそ、冒頭で述べたような誤った答えを言う生徒が非常に多いのである。

そこで筆者はたまに、適当な機会を利用して大学生や高校生諸君に上記のことを説明し、よく理解してもらっている。ところがあるとき、知り合った高校の数学教員の何人かも、「p⇒q」の否定文について知らなかった。そして、この話題を持ち出した筆者自身がなぜか気まずくなってしまった。

「p⇒q」の否定文をきちんと理解することは重要なので、ここで2つの話題を紹介しよう。まず、有理数とは 「整数/整数」の形に表せる実数のことである。

もちろん、

0=0/1, 1=1/1, 2=2/1, 3=3/1 ・・・

なので、整数は有理数である。そして、次の定理が成り立つ。

定理 xとyは有理数とするとき、次が成り立つ。

x+yとxyが整数⇒xとyは両方とも整数

上の定理の証明は、(結論を否定して推論を進めて矛盾を導く)背理法で示すことが普通である。すなわち、x+yとxyは整数であって「xとyの少なくとも1つは整数ではない」ということがあるとして、矛盾を導くことである(本稿では証明は省略)。

矛盾を導いてみると…

もう1つは、算数の世界からの例である。

 A、B、Cの3人がいて、ある仕事を3人で行っても1時間以上かかるとする。このとき、1人が単独でその仕事を行うと、2時間以上かかる者が少なくとも2人いる。

この例も背理法で示すことが普通である。すなわち、3人で行っても1時間以上かかって「単独でその仕事を行うとき、2時間以上かかる者が1人以下しかいない」ということがあると仮定して、矛盾を導いてみよう。

その仮定から、3人の内の少なくとも2人は、単独でその仕事を2時間未満で終わらせることになる。その2人をX、Yとすると、XとYはどちらも単独で1時間あたり、仕事全体の半分より多くを終わらせることになる。

それゆえ、XとYの2人でその仕事を行うと、1時間より短い時間でその仕事を終わらせることになって、最初の前提「3人で行っても1時間以上かかる」に反して矛盾である。したがって、1人が単独でその仕事を行うとき、2時間以上かかる者が少なくとも2人いるのである。

さて、「背理法」は強力な論法であるが、一方で推論を進めている部分には”嘘”のことがしばしば現れるのである。そこで、背理法による長い証明を読むのは辛いときもある。とくに、有限群論や離散数学などの有限数学では必然的に背理法が多くなることもある。

筆者はその世界で生きてきた過去もあるので、何も気にしない。それどころか、犯罪の容疑者と思われた人に”アリバイ”が見つかって無罪になる過程の議論は、正に背理法である。また筆者が東京理科大学在籍中には、数学科の入学試験に「背理法を説明せよ」という記述式の問題が出題され、後に朝日新聞の一面でも取り上げられた懐かしい思い出がある。

およそ背理法の証明を書いている人は、「どこでもかまわないので、とにかく”矛盾”を導こう」という心境になりがちである。それが、時にミスによる大問題を引き起こすこともあるので、背理法の証明を書くときは、とくに謙虚な心をもつことが求められるだろう。

一般教養での数学教育の充実が必要

最近、大学の理系学部を充実させて、理系人材を増やす政策が文部科学省から示されている。それならば、基礎となるべき一般教養での数学教育をもっと充実させなくてはならないはずで、2018年末に発表された経団連の提言にもある。

高等学校での数学も、冒頭に示した70年代に使われた教科書時代の数学I、数学II、数学IIIという流れ(当時の理系進学者はそれら全部を必修)ではなく、現在では数学I、数学II、数学III、数学A、数学B、数学Cから選んで学ぶアラカルト方式である。この問題点については、「消えた『数学C』が復活、奇妙すぎる日本の教育改革」に詳しく述べてある。

高校生を多く集めたい大学理系学部の関係者は高校生に対する説明会で、「ウチの大学の理系学部では、数学IIIまで学んでいなくても困りません」と大ぴらに無理な発言をしていることが、あちこちの大学関係者から聞く。

本当は、そのようなごまかしの発言をするのではなく、教養での数学教育を真に充実させるべきである。それによって、理系に必要な微分積分や線形代数の固有値などを丁寧に学ばせるとよいだろう。ちなみに拙著『新体系・大学数学入門の教科書(上下)』(講談社ブルーバックス)は、その方面の一つの参考図書として執筆したものであり、「p⇒q」の否定文は所々で用いている。

横一線の教育を見直し、それぞれに見合った教育を

一方で、いわゆるデータサイエンスの学びに関して、「やり方だけを覚えて真似するだけでよいので、微分積分や線形代数などは車の運転の仕方を学ぶ気持ちでやればよい」とまで一部で囁かれているようで、残念でならない。そのような皮相な学びは、違法な建築物をごまかすかのようなもので、技術立国日本の再生にはつながらないだろう。

なお筆者は、戦後の目覚ましい復興期の礎となった護送船団方式の数学教育に戻せという気持ちはまったくない。数学についての理解力は個人個人で大きな開きがあるので、早く進む生徒もいればゆっくり進む生徒もいてよいはずだ。横一線の教育を見直し、文系・理系を問わず、誰もが個人個人に見合った数学の教育を受けさせてあげたいと考える。それが、技術立国日本の再生につながることであろう。

(芳沢 光雄 : 数学・数学教育者)