とにかく情報量が多い京急鶴見駅の駅名標。中央に「(京三製作所本社)」とある(記者撮影)

横浜市鶴見区にある京急鶴見駅は、バスターミナルを挟んでJR京浜東北線・鶴見線の鶴見駅と向かい合うように建っている。

京急側は「ウィングキッチン」、JR側は「CIAL」と、どちらも駅直結の商業施設が入っていて、駅周辺の下町風情と合わせてにぎやかな印象を受ける。

にぎやかな駅名標

京急鶴見のホームに立つ駅名標もまた、駅前に負けずにぎやかだ。メインとなる漢字とひらがな、駅ナンバリングの「KK29」のほか、英中韓の外国語表記がある。両端には隣の鶴見市場と花月総持寺の両駅名が記されている。

横浜寄りの花月総持寺は2020年3月に京急が名称変更をした駅の1つで、「花月園前」から改名した。鶴見にある總持寺は福井県の永平寺とともに曹洞宗の大本山。かつて存在した遊園地の名に加え「曹洞宗大本山として全国に知られている『總持寺』を駅名に入れ、地域活性化に繋げる」というのが理由だ。

京急鶴見の駅名標にも、中央下部に隅付きカッコで「【大本山總持寺】」と記されている。実は花月総持寺と京急鶴見、どちらの駅で降りてもお寺までの距離や歩く時間はそれほど変わらない。飛行機の利用の場合、羽田空港からはエアポート急行の停車駅である京急鶴見で下車したほうが便利かもしれない。

とにかく情報量が多い駅名標だが、さらに中央に丸カッコで「(京三製作所本社)」とある。隅付きカッコは駅周辺のランドマークを示すものとして京急電鉄が無償で表記する「副駅名標」、丸カッコのほうは地元の企業や学校がお金を払って掲出する「副駅名称広告」といった違いがある。


京急鶴見駅の可動式ホーム柵は京三製作所製。扉部分に「けいきゅん」をデザイン(記者撮影)

その京三製作所本社は、徒歩で行くには少し遠く、鶴見駅前から横浜市営バスのヨコハマアイランドガーデン行きで乗車6分、6つ目のバス停を降りたところにある。川崎駅前からは川崎鶴見臨港バスで13分ほど。バス停名は「京三製作所前」だ。


バス停の名称は「京三製作所前」(記者撮影)


横浜市鶴見区にある京三製作所本社(記者撮影)

同社は1917年に東京で「東京電機工業」として創立。社名にある「京三」は、もう1つのルーツ、「京三商会」が京橋三十間堀にあったことに由来する。現在は自動列車制御装置(ATC)や連動装置といった信号システム、可動式ホーム柵(ホームドア)、旅客案内システムなど、鉄道に関するさまざまな製品を展開する。また道路の信号や交通管制システム、半導体産業向けの電源装置も手掛ける。

おなじみの「パタパタ」も

京急鶴見駅の副駅名は同社創立100周年を機に掲出したという。経営企画・IR部の南康貴さんは「『京三製作所』の一般的な認知度はまだまだ。鶴見区に長年本社をおく当社としては最寄り駅に社名を出すことで少しでも知ってもらうことにつながれば」と説明する。

実際、鉄道の利用者としては、列車の時刻や種別、行き先を示すホームの案内表示、歩行者としては道路信号や「押しボタン」をはじめ、日常生活の中で知らないうちに同社製品を目にしている。

京急線で言えば、品川駅の巨大な液晶ディスプレイを用いた発車案内システムや、京急鶴見駅のマスコットキャラクター「けいきゅん」がデザインされた可動式ホーム柵などが挙げられる。京急川崎駅で2022年2月まで使われた「フラップ式列車発車案内表示装置」(通称は「パタパタ」発車案内装置)も同社製だった。


実物大の可動式ホーム柵を展示。実際に開閉させることもできる(記者撮影)


かつて駅で目にした「パタパタ」発車案内装置。レアな種別も自在に出せる(記者撮影)

2021年12月にデビューした阿佐海岸鉄道のDMV(デュアル・モード・ビークル)向けには運転保安システムが採用されている。線路と道路の両方を走れるDMVの営業運転は世界で初めてなので、その運転保安システムも当然、世界初ということになる。

国内だけでなく海外でも同社製品は活躍する。海外営業部の勤務が長かった経営企画・IR部の木村友香さんは「ミャンマーで60年以上前の当社の製品がメンテナンスを受けながら現役で使われているのを見て感動した」と話す。

ミャンマー国鉄には1957年に継電連動装置や転てつ機を28駅に納入、現在も数駅で稼働している。また、インドでは2013年に現地法人を設立したが「その前から現地企業との協業で製品を納入していたため『KYOSAN』の社名は浸透していた」(木村さん)という。

かつて自動車を製造していた

本社工場に隣接する事務棟の1階には、実物のホームドアや道路の信号機など、代表的な製品の一部が陳列されている。一般向けに公開はしておらず、見学は株主総会の際などに限られる。ひときわ存在感を放っているのが昭和初期に製造していた小型自動車「京三号」だ。


昭和初期に製造された小型自動車「京三号」(記者撮影)

同社によると1925年設立の日本フォード社の自動車向けに、テールランプやマフラーといった部品を納入していたことから開発。1931年に販売を開始、戦時色が濃くなった1938年に製造中止となるまで2050台を生産した。現在本社にあるのは個人が所有していた車両をレストアしたもので、エンジンをかけることもできるという。

普段は見慣れた駅名標だが、副駅名の一つひとつを見ていくと、これまで知らなかった世界にたどり着くことができるかもしれない。


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(橋村 季真 : 東洋経済 記者)