国会で首相に選出された後、プアタイ(タイ貢献党)本部に戻ったセター・タウィシン首相(写真・2023 Bloomberg Finance LP)

タイで2023年9月5日、第30代首相のセター・タウィシン氏(61)と閣僚らがワチラロンコン国王の前で就任宣誓し、内閣が発足した。

連立交渉がもつれ、総選挙から政権設立までに4カ月近くを要した。史上最長である。この間、総選挙(下院選挙)で第1党となったリベラル派の前進党は王党派によって排除され、第2党のプアタイ(タイ貢献党)が公約を破る形で親軍政党と組んで政権を奪取した。軍の政治関与を拒否した民意は完全に無視された。

一方、汚職などの罪で亡命生活を送っていたプアタイの実質的なオーナーであるタクシン元首相は15年ぶりに帰国、恩赦を申請し、禁錮8年が1年に短縮された。

望郷の念を募らせていたタクシン氏と既得権の死守をめざす王党派の思惑が一致した結果だが、11党からなる「野合」の政権を安定させるのは容易ではない。

第1党排除で野合政権成立

2023年5月14日に実施された総選挙では、500議席中151議席を獲得した前進党が第1党に躍り出て、ピター党首が首相に名乗りを上げた。141議席で第2党となったプアタイなど野党8党で連合を組んで7月13日に首相指名投票に臨んだが、324票で過半数に届かなかった。指名選挙には下院議員のほか、任命制の上院議員249人に投票権があるからだ。

2014年のクーデターでタクシン氏の妹インラック氏が率いる政権を転覆させた軍と王党派に指名された上院議員らは、王室を中傷や侮辱した場合に禁錮3〜15年などが科される不敬罪の改正を公約に掲げた前進党が中心となる政権の成立を何としても阻止したかった。

2回目の指名選挙は7月19日に予定されていたが、王党派の一角、憲法裁判所が開会直前にピター氏の議員資格を一時停止する決定を下した。ピター氏がメディア企業の株を所有したまま立候補し、憲法に違反した疑いがあるとして選挙管理委員会が憲法裁に申し立てていた。

このままでは過半数が得られないとみたプアタイは、前進党を切る形で旧与党のタイ名誉党、続いてふたつの親軍政党などと連立を組むことで政権奪取に動いた。親軍政党の政権入りが決まったことで、上院議員の多くもプアタイの首相候補セター氏への投票を決めた。

私は総選挙9日後の5月23日、「タイ総選挙が浮き彫りにした大麻・王室・タクシン」で「前進党のピター党首が首相就任に意欲を見せているものの、政権に至る道筋は描き切れていない」としたうえで「国民からノーを突き付けられた親軍政党を中心とした勢力が、政権の座に居座るシナリオも残されている。

国民の負託に応える政権は誕生するのか。複雑な連立の方程式を解くキーワードは『大麻』『王室』『タクシン』である」と書いた。

大麻推進の名誉党がキャスティングボート

実際に、前進党の掲げた政策のうち王党派から最も強い反発を受けたのが、「王室」改革につながる不敬罪の改正だった。「タクシン」氏は帰国後、国王に恩赦を願い出て聞き入れられた。

選挙で大きな争点になっていないようにみえた「大麻」についても、街にあふれる大麻販売店の規制を公約していた前進党に対して、解禁を推し進めてきた旧与党のタイ名誉党が強く反発し、前進党が加わる限り連立政権に参加しないと表明していた。

結果的に「王室」改革阻止と並んで「大麻」政策維持が、前進党外しと親軍政党を含めた連立につながった。名誉党のアヌティン党首は予想通りキャスティングボートを握るジョーカーとなり、副首相兼内相のポストを得た。大麻販売店や生産業者らは胸をなでおろしている。

セター氏の首相就任が決まった8月22日の指名投票の数時間前にタクシン氏はプライベートジェットでバンコクのドンムアン空港に到着、家族や支持者らの出迎えを受けた。


8月22日、長らくの亡命生活からタイに帰国したタクシン・チナワット元首相(左から2番目)。汚職事件などで禁錮10年の刑期が下されたが、この日、8年に減刑された(写真・2023 Bloomberg Finance LP)

警察に身柄を拘束されたものの、高血圧など健康状態を理由に収監先のバンコクの刑務所から警察病院の特別棟に移送された。汚職などの罪で確定していた禁錮10年の刑期は最高裁により8年に減刑された。

8月31日にワチラロンコン国王に恩赦を申請、同日付でこれが認められ、禁錮1年に減刑された。刑期のさらなる短縮を求めて再び恩赦を願い出たり、自宅軟禁に移されたりする可能性が高いとみられている。

官報に記載された恩赦の理由は「首相を務めて国と国民に貢献したこと、王室に忠誠心があり、罪を認めて判決を受け入れていること、高齢で健康に問題があり医療が必要なこと」などだ。

王党派は仇敵タクシン氏の帰国、恩赦を受け入れる代わりに、前進党を排除し、親軍政党を政権に参画させる。そうした妥協、あるいは密約がタクシン・プアタイ側との間で成立した。それが国民の共通理解であろう。

21世紀に入ってからのタイの政治は、タクシン派対反タクシン派の争いを軸に展開されてきた。

低額な医療制度や農民の債務免除などの政策で北部、東北部や都市貧困層から絶大な支持を集めたタクシン氏に対して、既得権を侵害されると感じる王党派、軍、富裕層や都市中間層が反タクシン派を形成し、選挙で常勝だったタクシン派政権を軍事クーデターや司法による強引な介入でつぶしてきた。

タクシン派の旗印は、選挙によって選ばれた正統性を前面に押し出す「民主主義」だった。他方、反タクシン派がタクシン派を糾弾するスローガンは「汚職」と「不敬」だった。

ところが今回、タクシン派は選挙で第1党となった前進党を切ることで「民主主義」の看板を下ろした。他方、反タクシン派の拠り所だった「不敬」について、国王はタクシン氏の「忠誠心」を認め、「汚職」の罪を10分の1に軽減した。

プアタイを去る「赤シャツ」の指導者たち

タクシン氏は首相在任中からプミポン前国王と折り合いが悪かったとされる。王室にしか許されない儀式を王宮寺院ワットプラケオで執り行って王党派から厳しく批判されたこともある。

2019年の選挙ではワチラロンコン国王の姉のウボンラット王女を自派政党の首相候補に擁立しようとして、国王の逆鱗に触れたこともあった。にもかかわらず王室への「忠誠心」を理由にした減刑は国民の目にどう映るか。

タクシン派の「汚職」と「不敬」を理由に首都の中心部を長期間占拠したりデモを繰り返したりした反タクシン派の勢力は、タクシン氏の帰国にも恩赦にも特段の動きをみせていない。ご都合主義との批判は免れないだろう。

7月28日の記事「民主主義からますます遠ざかる「タイ式」民主主義」で指摘したように、タクシン派の「汚職」と「不敬」を恩赦という形で免罪した王党派は、これまで選挙結果で示された民意をクーデターなどで阻害してきた大儀を失ったものの、当面の既得権は守った。

一方のプアタイとタクシン派は、王党派以上に失うものが大きいだろう。親軍政党との「悪魔の連立」で当面は議会の過半数を維持できるが、所詮は11党の寄せ集めであり、実業家のセター氏は政治経験がゼロだ。政権運営の難航は容易に予想される。

それ以上に、「民主主義」という建前を売り渡したことによるダメージは甚大だ。プアタイは所詮、タクシン氏の利益を最大化するための道具に過ぎないと多くの国民に受け止められたからだ。

タクシン派の運動団体「反独裁民主同盟(UDD、通称赤シャツ)」の指導者で、集会で最も人気のある話者ナタウット元商務省副大臣は、親軍政党との連立に反対してプアタイを離れた。

やはり赤シャツの元リーダーで、今回の総選挙前にプアタイとたもとを分かつこととなったジャトゥポン元下院議員は「タクシンは、もはやファイターでも、民主主義者でも、精神的指導者でもない。自分の利益だけを考えている商売人に過ぎない」と、かつてのボスを罵倒した。プアタイから下院議員らがまとまって離脱するとの噂も流れている。

タイ国立開発行政研究院(NIDA)が1310人を対象に2023年8月15〜17日に実施した調査によれば、親軍政党が加わる連立政権について「断固反対」が約48%、「どちらかと言えば反対」が約17%を占めた。プアタイ貢献党を一貫して支持していると答えたコアな支持者でも38%が連立に反対した。

プアタイの今後を1946年に設立されたタイ最古の政党・民主党の軌跡と重ねる専門家もいる。これまで3度政権を率いた民主党は、今回の総選挙で25議席しか獲得できなかった。

2007年の総選挙では480議席中165議席を獲得したが、2011年には159議席(定数500)、2019年が53議席(同)と減らしていた。

バンコクの中間層や南部が地盤だったが、2008年12月、司法の介入でタクシン派政権が崩壊すると、軍の後押しでアピシット党首を首班に政権に就いた。民主主義を標榜し、長年軍事政権と対峙してきた党のイメージは損なわれ、さらに2019年に親軍政権の連立に参加するに至って首都の進歩的な有権者から完全に見放された。

親軍政党と「悪魔の連立」を組んだ時点でプアタイは、民主党の衰退の歴史をなぞるとの予見が成り立つ。実際に今回の選挙でも最終盤にタクシン氏が帰国を予告し、親軍政党と取引するとの臆測が流れたことで票を大幅に減らした。

選挙戦中盤では310議席を獲得目標に掲げた陣営だが、最低目標だった250議席にも遥かに届かなかった。2001年にタクシン氏が政権と取って以来、クーデターや司法介入で政権を奪われてからも次の選挙では必ず勝ってきた常勝軍団にとって初めての敗戦だった。

民主党との違いは、資金力のあるリーダーを持つ点だ。民主主義という看板と自らの望郷の念をバーターしたタクシン氏が今後も政治にかかわり続けるのか。王党派との密約のなかに「政界引退」が含まれるのか。政局に資金をつぎ込み続けるのか。プアタイの行く末は所詮オーナーのタクシン氏次第なのだ。

ばらまきで失地回復を狙う

セター政権に期待されるのは経済の立て直しである。プアタイとしても国民生活を目に見える形で底上げすることでしか支持の回復は見込めない。その点、タクシン氏には過去の成功体験がある。

首相を務めた2001年からクーデターで追放された2006年までの間、貧困対策・内需振興と輸出促進・外資導入を同時にめざす「デュアル・トラック政策」で、約5.1兆バーツだった国内総生産(GDP)を7.9兆バーツへと5割増とした。1人当たりのGDPも8.2万バーツから12万バーツに底上げした。経済成長率は東南アジア諸国連合(ASEAN)のなかでトップだった。

タクシン氏と同様の起業家で、タイを代表する不動産会社を一代で築いたセター氏への期待もあるが、政局の混乱が続いた十数年を経て、タイ経済を取り巻く状況は大きく変化した。なかでも2014年のクーデターを首謀したプラユット氏が政権の座にあった9年間、外国投資や輸出は低迷し、成長率は鈍化した。

プアタイは、過去10年間届いたことのない5%の成長率を達成するとして、16歳以上の全国民に1万バーツの電子マネー配布や、最低賃金を現在の7〜8割増の1日600バーツとする公約を掲げた。

タクシン首相時代の農民債務削減やインラック政権の最低賃金の大幅上げは、外資が集まってタイ経済が上げ潮の時期だったころもあり、国内の格差是正や生産性向上に一定の効果があった。しかしプラユット政権下で政府の財政赤字は、コロナ禍もあって膨らみ続けた。対GDP比で2014年の約40%が2022年には60%近くにまで拡大している。

経済を知らない軍人中心の政権運営に加え、「中進国の罠」や少子高齢化の加速といった構造的な問題も顕著になっている。そうした時期に政権を継ぐプアタイのばらまき政策がかつてのような効果を発揮し、経済を押し上げる効果がどこまであるのか、タクシン氏に他の妙手があるのか、現段階では見通せない。

暗くない前進党の未来

一方、政権から排除された前進党は、解散がなければ雌伏の4年を過ごすことになるが、野党として不敬罪の改正や徴兵制の廃止などの公約を曲げずに法案提出を繰り返し、支持拡大の集会を各地で開催すれば存在感は維持されるだろう。

プアタイに失望した有権者らの取り込みも進むはずだ。上院が首相指名に加わる規定は来年で終わる。今回の選挙での得票率は4割近かった。次の選挙で過半数を取れば、政権にたどり着く。

王党派の危機感はこれまで以上に強い。政権に就いたことのない前進党に汚職の余地は少なく、国民の敬愛を集めたプミポン前国王から現国王への代替わりで王室の求心力も低下するなかで、タクシン派政党以上に付け入るスキがないように感じているはずだ。

憲法裁判所はすでにピター党首の下院議員の資格を停止した。憲法裁は2020年3月、政党法違反を理由に前進党の前身「新未来党」を解党し、幹部を10年間の政治活動禁止の処分を下した。この例を踏襲する可能性も大いにある。新政権が上院の首相指名権の期限延長を画策するかもしれない。

そうしたハードルを乗り越えて政権に就けるか。政権に就いたとして、軍や司法のクーデターで転覆させられないか。民主化へ向けての道のりは平坦ではないが、未来は暗くないようにみえる。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)