期待通りの成果を出せなかったときに、どんな「反省の弁」を口にすればいいのでしょうか(写真:siro46/PIXTA)

誰だって「仕事ができる人」になりたい。仕事で成果を出したい。しかし、いろいろな事情で、成果を出せないときだってある。

そんな、期待通りの成果を出せなかったときに、どんな「反省の弁」を口にするのか。その弁の内容で、その人の「人となり」がわかってくるものだ。

今回は、仕事で成果を出せなかったとき、どう上司に報告するのか。どんな「反省の弁」をすると

「こいつ、仕事ができないな」

というレッテルを貼られてしまうか。よく聞く順番にランキング形式で発表する(1〜3位)。「仕事ができる人」はどんな「反省の弁」をするかも解説するので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。

「努力不足でした」と言うのは悪くないが…

第3位「努力不足でした」

まず、第3位から発表しよう。仕事がデキない人がつい口にする「反省の弁」――第3位は?

「努力不足でした」である。

上司に、「どうして目標を達成できなかったんだ?」と聞かれて、ついつい

「努力不足でした」とだけ答えてしまう人がいる。

もちろん「努力不足でした」と言うのは悪くない。これぐらいの努力量で十分だろうと思っていたら、アテがはずれた。だから期待通りの成果を出せなかった。誰にだって、そういうときはある。

ただ、それだけで終わると次につながらない。それに「努力不足でした」と言うだけで、納得する上司がいるだろうか。

次の会話を読んでもらいたい。

「どうして目標を達成できなかったんだ?」
「努力不足でした」
「努力が足りないとわかってるんだな?」
「はい」
「今後はもっと努力するように」
「申し訳ありませんでした」

上司が部下と、こんな会話を続けていたら、未来永劫、部下は成長しないだろう。双方、具体的なことを何も語っていないからだ。

予備校の先生と生徒の会話にしてみる

この会話を、予備校の先生と生徒の会話で書き直してみよう。

「どうして模試の結果が悪かったんだ?」
「努力不足でした」
「努力が足りないとわかってるの?」
「はい」
「今後はもっと努力するように」
「そうします」

模試の結果が悪くて落ち込むのはわかる。しかし、どのような対策をしたら、期待通りの成果を出せたのか。客観的に分析して、不足していた努力する場所、努力の量などを先生に伝えるべきだ。そうしないと適切なアドバイスはもらえない。

もちろん、

「努力不足でした」

と言われたほうも、どんな努力が足りなかったのか、具体化するための質問をすべきであろう。とはいえ、まずは成果を出せなかった当事者が主体的に掘り下げてみることが先である。

第2位「不徳の致すところ」

つづいて、仕事がデキない人がつい口にする「反省の弁」――第2位は?

「不徳の致すところ」である。

上司に、「どうして上半期は、こんな結果になったんだ?」と聞かれて、

「不徳の致すところです」と答える人がいる。

どちらかというと、40代、50代の課長、部長が、経営陣に対して使うフレーズだ。

政治家など著名人が謝罪の言葉として使うため、大げさに反省しているように聞こえる。

テレビなどで聞きかじった言葉でその場しのぎの反省の弁を口にするのはやめよう。こういうことを繰り返していると、何を言っても信頼されなくなってしまう。

第1位「すべて私の責任です」

最後は第1位の発表だ。

仕事がデキない人がつい口にする「反省の弁」――第1位は?

「すべて私の責任です」

である。この「反省の弁」も、40代、50代のマネジャーが、経営陣に対して使うフレーズだ。重い責任があると感じているからこそ、期待された成果が出せなかった場合は、

「すべて私の責任です」

と口にする。わからないでもない。ただ、このように言われて、

「そこまで君が責任を感じることはない。私にも責任がある」

などと言う上司が、はたしているだろうか?

おそらく反対だ。経営者たちは、よけいにカチンとくる。開き直っているようにも聞こえるからだ。不祥事を起こして記者会見を開いた社長がよく使う言葉だ。

報道陣に対しては、このような「反省の弁」も通じるかもしれない。しかし、相手は経営陣だ。

「すべて私の責任です、と言ってたら、それで済むと思ってんのか?」

「じゃあ、どうやって責任をとるんだよ。具体的に言ってみろ」

「頭を下げてたら、責任をとったと思ってんのか?」

と言いたくなる。

しかし今の時代、こんなふうに責めると「パワハラ」と受け止められるだろう。だからこそ、よけいに歯噛みしたくなるのだ。


責任と権限と義務のおさらいをしよう

3位の「努力不足でした」

は、まだ救いようがある。自分の努力に焦点を合わせているからだ。努力の中身、努力の方向性、努力の量を変えたら、次は成果を出せるかもしれない。

しかし、

2位の「不徳の致すところ」と1位の「すべて私の責任です」は、自分の行動ではなく、自分自身に向けている。

恥をしのんで「すべて私の責任です」と言い切ったのだから、もうこれ以上は追及してくれるな、という姿勢が見え隠れするからだ。

何が問題であったのかを分析し、次に役立てようという気概をも放棄している。

「すべて私の責任です」

と言いながら、実は無責任さを全面的にアピールしているのだ。

ちなみに責任と権限と義務について、意外と正しく理解していない人が多いので、ここで整理しておきたい。

責任とは、職務を全うすることである。
権限とは、職務を全うするためにリソースを活用できる権利のこと。
義務とは、職務を全うするための報告義務・説明責任である。

期待された成果を出せなかったのだから、責任を感じて当然だ。だからこそ、なぜうまくいかなかったのか、説明する義務がある。

そうしてはじめて責任を果たした、と言える。

期待に応えられなかったのだから、ポーズでもいい。まず真摯に反省しよう。しかし、大事なのはその後だ。

どのように説明するか、である。

ポイントはもちろん「権限」である。

責任を果たすためには、組織のリソースを使う権限がある。リソースとは「ヒト・モノ・金・情報・時間……」など、いろいろある。

とくに組織マネジャーなら、いろいろなリソースを活用できる権限があるだろう。それを効果的、効率的に使ったのか。もしそうでなかったら、どのあたりに問題があったのか。具体的に解説すべきだ。

例えば、夏のイベントの集客目標が500人だったとする。しかし結果として340人しか集まらなかったとしよう。上司から

「なぜ達成率が68%しか、いかなかったんだ?」

と言われて、

「努力不足でした」

と答えている場合ではない。「申し訳ありませんでした」と謝っておいてから、まずは問題の箇所に言及しよう。

「私たちは製造会社の技術者を対象に、500人を集客しようとしました。そのためにとった行動は、製造会社1000社に向けたテレマーケティングでした」

取引先を対象にした広報活動で、300人の集客は手堅い。だからテレマで200人集客できたら、500人の目標は達成すると見込んでいた、と説明する。

「しかし、実際には20人も集客できなかったのです。大誤算でした。テレマーケティング会社の選定が遅れたことも響きました」

問題の箇所が特定できたら、どのような対策をとっていたらよかったか。「リソース」と「権限」の視点で解説すればいい。

「テレマーケティング会社について詳しいのは、本部長です。私は本部長とあまり話したことがなかったので、親しい広報部の部長に掛け合って、相談すべきでした」

社内にリソースがあるにもかかわらず、それを活用できなかったことを反省するのだ。

「また、あまり費用がかからない安いテレマーケティング会社を使うべきと思い込んだのも反省点です。結果的に、集客のタイミングを逃してしまいました」

集客のための金銭的リソースを使える権限はあった。にもかかわらず、勝手に判断して十分に使わなかった。それにより職務が全うできなかったことは、確かに反省すべき点だろう。

責任を果たすために、ちゃんと自分自身は行動したか。しかるべき人を動かしたか。情報を持っている人に相談したか。

自分だけで成果を出せるわけではない。組織のリソースをどれぐらい活用したのか。そこを反省材料として盛り込むのだ。

変えるポイントは「考え方」や「能力」ではない

変えるポイントは、すべて行動だ。

成果を出せなかったのは、「私」の問題でもないし、「私の考え方」の問題でもない。「私の能力」の問題でもないのだ。

「私がダメなんです」

「私の考え方がいけなかったんです」

「私の能力が足りなかったから、こんなことになったんです」

こういう「反省の弁」は、もうやめよう。

なぜなら、その問題を解決するのに時間がかかるからだ。足りない能力を身につけるのは時間がかかる。

考え方も価値観も、そう簡単に変えられるものではない。ましてや「私自身」は変えようがないだろう。

変化させるのに時間を要するものを問題にしてはいけない。

変えるべきは「行動」である。行動なら、すぐに変えられる。

何がいけなかったのか。何が不足していたのか。期待通りの成果を出せなかった場合は、行動にまで分解して説明する義務がある。ワンフレーズで片付けているようでは、反省したとはいえないのだ。

(横山 信弘 : 経営コラムニスト)