長期目線の投資家を振り向かせるために必要なこととは?(写真:Elle Aon/PIXTA)

短期化した資本市場の中で、企業の取り組みを深く理解して寄り添ってくれる「優良な投資家」の争奪戦が世界中で繰り広げられています。では、優良投資家に振り向いてもらうためにはどうすればよいのか。投資銀行大手ゴールドマン・サックス出身の清水大吾氏が解説します。

※本稿は清水氏の新著『資本主義の中心で、資本主義を変える』から一部抜粋・再構成したものです

「ピラニア」がもたらす緊張感

観賞用や食用の魚を長距離輸送する際に、ストレスで魚が死んでしまうことがあるそうだ。しかし、水槽の中に何か1つだけ入れると魚が死ななくなるらしいのだが、それが何かおわかりになるだろうか?

答えは酸素でもえさでもなく、「ピラニア」だ。ピラニアを水槽に入れることで、ピラニアに食べられてしまいたくないという魚の生存本能がかき立てられ、ストレスのことなんか吹き飛んでしまうのだそうだ(実際は魚がピラニアに食べられてしまわないように、水槽に仕切りを入れるらしい)。

私はこの話を聞いてピンときた。いまの日本に必要なのは、このピラニアなのではないかと。もちろんそれは物理的にピラニアを放流せよということではなく、ピラニアがもたらす緊張感を意味する。

とても勇気のいることではあるが、われわれ自らの手でピラニア的な仕組みを取り入れていくことができれば、のんびりとゆでガエルになっている暇はなくなるはずなのだ。

上場企業の心構えを律し、資本市場のピラニアとして機能することができる主体が誰かというと、それは「投資家」であろう。

何がいい投資で、何が悪い投資かというのは、投資を受ける側である企業の主観となるので、「絶対的にいい」投資マネーがあるわけではない。ただあくまで私が考える「優良な投資家」とは、企業の取り組みを深く理解し、本当の優しさ(ときには厳しいこともある)をもって、事業の時間軸を理解して寄り添ってくれる投資家だ。

短期化してしまった資本市場においてはとくに、「事業の時間軸を理解して寄り添う」という行為は容易ではない。

そのような「優良な投資マネー」はけっして多くはないため、世界中で争奪戦が起こっている。そのような投資家に振り向いてもらえるように、オール・ジャパンで取り組みを強化していかねばならない。

その際にいちばん重要な考え方が「他人のお金を預かっている」ことに対する認識であろう。

「自己資本」は非常に誤解を招きやすい言葉

一般的に、会社が大規模化する際には他者から資金を集めて元手としている。そのなかでも、より幅広く不特定多数から資金を集めているのが上場企業だ。

「ゴーイング・コンサーン」という考え方により、会社がずっと続いていくことを前提にものごとを考えるようになったため、会社を解散してすべての財産を出資者に配分するという機会はほとんどなくなった。そしていつの間にか、他人のお金なのか自分のお金なのかの区別が曖昧になってしまったのだ。

ここを外してしまうと投資家との話がかみ合わなくなってしまうので、少し考察を掘り下げてみたい。

例えば、日本では歴史的に「自己資本」という言葉が使われることが多いのだが、この言葉が非常に誤解を招きやすいので注意が必要だ。日本基準の貸借対照表を見ていただければわかるのだが、実は自己資本という定義はどこにも出てこない。

似たような概念として「純資産」や「株主資本」という定義があるが(英語に直すと「Net Assets」と「Shareholder’s Equity」)、そこには「自分たちの資本」であるというニュアンスはいっさいない。

海外投資家と対話をする際に「自己資本」という言い方をしてしまうと、「ノー、ノー、君のじゃない。われわれの資本だ」と言われてしまうのは「日本企業あるある」だ。

上場企業である株式会社は、大前提として「他人のお金を預かっている」という認識を明確にするために、まずは「自己資本」という言葉を使うのをやめたほうがよいのではないだろうか。

「配当性向」も公私混同を引き起こしがち

お金の公私混同を引き起こしがちなもう1つの事例が、「配当性向」という言葉だ。この言葉は、利益がすべて「会社のもの」であるという視点に立ち、利益のうちのどれくらいを株主に対して配当として払い出して「あげる」かという考え方になりがちだ。

ある年に100億円の利益を上げた企業が、配当性向30%という施策を取れば、30億円を株主に対して配当として払い出し、70億円は今後の事業のために会社に残すことになる(「内部留保」という)。

これも順番がおかしくはないだろうか? そもそも他人のお金なのだから、とくに取り決めがなければ100億円の利益すべてを株主に対して払い出すことが前提になるはずだ。その前提のもと、「一定の条件下においてのみ」、企業は内部留保をすることが許されるべきだ。そしてそれは、お金を株主に返してしまうよりも、会社側が事業投資に回したほうが株主のためになると会社が考え、かつその考えを株主が承認した場合のみだ。

そう考えると、会社がどれだけ株主に対して払ってあげるのかという「配当性向」ではなく、会社側がどれだけ内部留保させてもらうのかという「内部留保率」のほうが合理的な考え方ではないだろうか。

先述の事例で言うと、配当性向30%ではなく、内部留保率70%という考え方だ。どちらにしても株主に対して30億円を払い出すので結果はまったく同じなのだが、その数字の裏側にある会社側の哲学を、有益なピラニアになってくれる投資家は求めている。


出所:『資本主義の中心で、資本主義を変える』

私は、今後の日本において重要になってくるのが、このような哲学ではないかと思っている。

実際に海外の投資家と議論をしていると、そこに正解があるかどうかではなく、自分がどう考えているかを徹底的に掘り下げられ、そのうえで議論する価値があると認められれば会話が進んでいくといった感じだ。

これだけ社会の価値観が劇的に変わっている時代においては、自分の哲学をしっかりと確立したうえで他者の哲学とぶつけ合い、新しい考え方を生み出していきたい。

われわれは「面倒くさい人」と言われることを恐れずに、もっと天邪鬼で哲学的にものごとを考えてみてもいいのではないだろうか。

参考になるバフェットの投資哲学

最近は、日本株に投資を始めたウォーレン・バフェットの動向に注目が集まっている。バフェットはよく、「10年売らなくてもよいと思える企業にしか投資をしない」という趣旨のことを言っているのだが、この言葉が企業と投資家との関係において参考になるので紹介しておきたい。

10年というのは結構長い期間なので、その間にいろいろなことが起こる。社長の後継者育成プランがしっかりと整備されているかどうか、環境コストや社会コストの負担を求められる社会の価値観の変化に耐えられるかどうか、他社の追撃を受けた際に簡単には攻め込まれない参入障壁を築いているかどうかなどを精査したうえで、「10年売らなくてもよい」と思える企業にしか投資をしないということだ。

バフェットが優良な長期目線の投資家であることに異論がある人はほとんどいないと思うが、彼のような投資家に買ってもらうためには、これだけ厳しいチェックに耐えなければならないのだ。

世界中で優良な投資マネーを奪い合っているなかでは、企業はそれに見合う努力をしなければならない(ちなみに、バフェットが買った日本の商社株はそのビジネスモデルに着目した投資であり、個別企業の経営を認めたわけではない可能性がある。もちろん日本株に対する投資は非常に喜ばしいことではあるが、5大商社すべてを買ったという事実を冷静に分析する必要があるだろう)。

DRAMで日本企業がサムスンに負けた原因

企業と同じ船に乗ってくれる「有益なピラニア」である投資家が少ないと何が起こるか、参考になる事例がある。


半導体の一種であるDRAMはその昔、日本企業が圧倒的に強かったのだが、いまは韓国のサムスン社の独壇場となってしまっている。なぜ日本企業がサムスンに負けたのかというと、巨額な投資が必要となるDRAMを支えるための株式市場からの資金供給力の違いだと言われている。

韓国企業は積極的にリスクを取り、それをサポートする資金も株式市場からふんだんに供給された。一方で日本の資本市場においては、企業と投資家の対話が十分でなく、リスクを理解して企業をサポートしてくれる「有益なピラニア」である投資家が少なかったために、思い切った設備投資に踏み切れなかったのだ。

ご存じのとおり、いまや半導体は世界中のサプライチェーンを揺さぶる重要物資となっている。われわれが二度と同じ轍を踏まないためには、リスクを許容し長期的に寄り添ってくれる優良な投資家を呼びこまなくてはいけない。「モノ」を言われることを恐れずに投資家としっかり向き合わなければならないのだ。

(清水 大吾 : 元ゴールドマン・サックス証券グローバル・マーケッツ部門株式営業本部業務推進部長(SDGs/ESG担当))