川嶋由紀さん(仮名・35歳)は、奨学金と教育ローンをあわせて870万円借り、海外の大学に進んだ女性。裕福ではない家出身の、彼女の現在とは?(写真:keyphoto/PIXTA)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。

たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

「大学進学するなら、奨学金は確実に活用すべきだと、幼い頃から考えていました。というよりも、奨学金なしでは大学進学はできないのですが、そもそもわたしの中で大学に進む以外の選択肢は存在していませんでした」

今回、話を聞いたのは川嶋由紀さん(仮名・35歳)。関西出身で2人姉妹の長女だ。

父の通帳はしょっちゅう『残高ゼロ』に

川嶋さんの父親は広告カメラマン。彼女が幼い頃はバブル景気ということもあり、単価の高い仕事を多く抱えていた。しかし、物心がつく頃には「うちは貧乏なんだ」と思いながら育ったという。

「父はフィルムカメラ時代のカメラマンで、専属のカメラマンとして会社勤めだった頃は大手企業をクライアントに1回100万円以上の案件を引き受けていました。それが、独立とバブル崩壊、さらに写真もデジタル化したことによって業界全体のギャラが暴落。父の年収も200万円台に落ち込みます。実際、母親から預金通帳を見せてもらいましたが、しょっちゅう『残高ゼロ』でしたね」

それでも、郊外のお金持ちの祖父母の持ち家に住んでいたことで、「食うものに困る」ほどの生活ではなかった。一方で贅沢できるような経済状況でもなかったため、父親は「中学校さえ出ればいい」という考えだった。一方で、母親は教育熱心で、家計が苦しい中でも大学進学を応援してくれた。

「お金がなくて学習塾に通えたのは1年間だけでしたが、それ以外の期間は通信教育で勉強して、私立の中高一貫校に受験で入りました。家計が苦しいときはこっそりアルバイトをして学費の足しにしました」

そんな川嶋さんには叶えたい夢があった。

「国連職員になりたかったんです。そのためには、英語力が必須と思い、通っていた学校の姉妹校であるアメリカの大学を目指しました。そのとき、奨学金を借りることを具体的に決意したんです」

志を高く持つ川嶋さんだが、塾にも通わず、留学経験もなかったため、現役での合格はできなかった。その結果、計画に綻びが生じる。

「なんとか仮合格という扱いで、1年間の語学研修を受けて、成績が良ければ入学が認められることになるのですが、それは大学が独自で設けている『語学学校』のようなコースだったため、日本の奨学金制度の範囲外だったんです。

海外の大学に行くのであれば、学費は自分の力でどうにかしようと考えていましたが、さすがにこのときばかりはお金の工面ができそうにないので困り果てました」

夢を叶えるべく、200万円の教育ローンを組む

資金がなければ海外に行くこともできない。そこで、川嶋さんは1年間の語学研修のために、日本公庫で200万円の教育ローンを組んだ。利率は奨学金とさほど変わらず、0.4%程度。また、アメリカの大学は全寮制のため、1年目はこの200万円で学費と寮費を賄うことができた(なお、本記事では貸与額を合算する便宜上、タイトルで「奨学金870万円」としたが、厳密には異なるものであることを記しておく)。

「そして語学留学から1年が経ち、ようやく大学に入学できたため、アメリカの奨学金制度を活用することにします。日本と違ってアメリカは貸与ではなく返済不要の給付型が一般的なため、『成績優秀者が対象の大学の奨学金』と、『年収600万円以下の低所得家庭出身者向けの奨学金』の2つを受給していました。これらの奨学金で4年分の学費と寮費はカバーできる算段でした」

それぞれ、年間で150万円ずつ支給されるが、そもそも1年でかかる学費が300万円であった。日本はもちろんのこと他国と比較しても、アメリカの大学の学費はべらぼうに高く、州立でも日本の私立大学程度かかる。そして、物事は順調には進まない。

「奨学金の申請のために、毎年、翻訳業者に父親の確定申告書を訳してもらっていました。ところが、2年生のときにいつもと違う業者にお願いしたところ、翻訳ミスで『事業収入』と『所得』を間違えて訳されてしまったんです。その結果、給付の基準を超えてしまい、低所得家庭出身者向けの奨学金を1年間受給できませんでした。慌てて寮が募集しているアルバイトに応募して、なんとか食費と寮費は免除してもらいました」

しかし、当然それだけでは学費は足りないため、追加で日本公庫から130万円を借りる。借入金は5年間で330万円になった。

それでも、アメリカで学生ローンを組むよりは断然利率は低かった。というのも、同国の学生ローンは利率が8%前後ということもあり、借りただけで卒業後に破産する学生も数多くいるからだ。

「貧乏アジア人怖い!」 他の車が私たちの車を明らかに避ける

かくして、川嶋さんは日本の学生ローンとアメリカの給付型奨学金を上手に管理をしながら、日本の大学では経験できないような学生生活を送った。

「大学での専攻はリベラルアーツで、中でも環境問題を中心に勉強していました。週に何日も徹夜して論文を書きつつ、休みの日は先輩たちから代々受け継いだボロボロの車に相乗りして、みんなでビーチに行ったり、アイスクリームを食べたりしていましたね。

大学はセレブたちが集まる街にあったので、わたしたちは異様だったかもしれません。他の車が私たちの車を明らかに避けるんですよ。きっと、『もしぶつかっても、こいつらは賠償金を支払えない』と思ったんでしょうね。でも、楽しい日々でしたね」

こうして1年の語学研修期間を含め、5年間アメリカの大学に在籍した川嶋さん。大学卒業後は、イギリスの名門大学の大学院への進学を希望する。

「純粋に勉強したい分野がその大学院にしかなかったんです。経済状況のこともあって周りからは『日本の国立大学を受けたら?』と言われましたが、受験自体はあまりお金がかからないですからね。それに、イギリスの修士課程は1年だけなんですよ。だから、別に失敗してもいいから、とりあえず受けてみようと思ったんです」

そして、23歳のときにイギリスの大学院に入ることができた。しかし、その生活は想像を絶するものだった。

「学びは相当ありました。ただ、学部時代もそうでしたが、たびたび徹夜で文献を読み込み、クリスマス休暇も論文執筆で終わっていました」

海外での学生生活というと、どうしても「毎日パーティ」のようなイメージを抱いてしまうが、勉強中心でフルで在学していると、そんな華やかさはないようだ。そして、イギリスも大学に通うためには金がかかった。

「自国とEU圏内の学生は学費が安いのですが、EU圏外からの留学生は相当高くつきます。1年間で学費が寮費込みで600万円もかかるので、また日本公庫から400万円を借りました。それだけでは足りませんが、とある日本の財団から、環境問題を専攻する大学院生に向けた無利子の貸与型奨学金を毎月10万円支給してもらえたため、それを寮費や食費に充てました。さらに、アメリカの大学を卒業する際に大学院に進むメンバーに対する、給付型奨学金も100万円ほど受けられたんです。

当時はすでに大学時代に日本公庫で借りた教育ローンの返済は始まっていましたが、それは両親に肩代わりしてもらっていました。330万円を10年ローンで借りていたので毎月、4万円ですね。おかげで学費と寮費はなんとかなりましたが、生活はカツカツなので、テスコという安いスーパーでプライベートブランドのパスタを買って、毎日ペペロンチーノを食べていました」

計870万円もの奨学金・学生ローンを借り、就職へ

長い学生生活の中で、870万円もの奨学金・学生ローンを借りた川嶋さん。大学院を修了した後は、日本で大手経営コンサル会社に就職することになった。

「本当はイギリスで就職したかったのですが、勉強が忙しく修士論文が終わるまで就活が一切できなかったのは想定外でした。修論提出後に寮を出て自費で就活しようにも家賃が週に5万円もするので、泣く泣く日本に帰ってきました。それに、学生ローンの返済もありますしね。また、国連に入るにも、実務経験がないと試験すら受けられそうになかったので、一度は日本で就活をしようと思い、通年採用で応募できる会社を受けました」

初任給は額面で29万円あったが、日本公庫への返済は毎月6万円。家賃と光熱費で毎月10万円程度はかかるため、いくら大手経営コンサルティング企業勤めとはいえ、社会人2年目までは同期たちと同じように、余裕のある生活や貯金はできなかった。だが、順調にキャリアを積み重ねていき、550万円だった年収は最終的に850万円の大台になった。

そんなコンサルティング企業に6年間在籍した後、スカウトをきっかけに大手ソフトウェア企業に転職。年収は950万円+自己株で1000万円を超えたため、そこからは奨学金の返済も楽になったという。

そして、結婚後、育児休暇に入るが、子どもが1歳になったときに大手ソフトウェア企業を退職。現在は海外のとある慈善団体で有期雇用の派遣社員として、政策提言を行っている。

「大学時代の先輩が先に勤めていて、彼女がケンブリッジの大学院に進学するという理由で辞める際に、後任にわたしを推薦してくれたんです。今の団体は日本の大学出身でも入ることはできると思いますが、同僚は海外の大学院卒も多く、留学経験なしでは正直難しかったでしょう。科学技術の分野で政策提言ができる今の仕事内容は、子どもの頃から夢見ていた社会貢献にもつながるため、大変誇りに思いながら働いています」

そんな川嶋さんは今年に入って、ようやく日本公庫の教育ローンの返済が終わったため、今は大学院生時代に借りていた月々10万円の奨学金を毎月、7000円ずつ返している。利子がないので家計の負担にはなっていないが、前倒しでの返済も視野に入れている。なお、先程「有期雇用の派遣社員」と書いたが、いわゆるジョブ型雇用で、現在の年収は1000万円を超えているそうだ。

アメリカでは貸与型奨学金は『ローン』

当然ながら彼女は「今の自分があるのは、大学・大学院での留学があったから」と考える。また、日本とは異なる海外の奨学金制度も目の当たりにしたため、それぞれの良し悪しも理解できた。

「アメリカだと貸与型奨学金は、普通に『ローン』と呼ばれています。だから、今となっては日本の『奨学金は返すもの』という感覚が不思議なんですよね。とはいえ、アメリカの返済不要の給付型奨学金は寄付で成り立っているため、そのような文化がない日本では、同様のことはできないでしょう。

それでも、アメリカの教育ローンと比べて、日本の奨学金制度はまだ良心的だと思います。というのも、アメリカの場合は借りたところで、自己破産の未来しか見えませんから……。だから、日本の貸与型の奨学金制度も悪くないと思うので、もっとイメージがよくなるといいですね。その一方で、少子化が叫ばれている今だからこそ、特待生のための学費免除や給付型奨学金の選択肢がもっと増えなければ、日本の国力というのはますます海外に置いていかれてしまう気もします」

アメリカの給付型奨学金や、欧州の大学の学費の安さなど、海外には羨ましい教育制度がたくさんある。それでも、日本には少なくとも奨学金制度があることで、這い上がれるチャンスは誰にだってあると川嶋さんは考える。

親ガチャに外れた…と嘆いても何も始まらない

「最近は『親ガチャ』という言葉がはやっているように、自分が置かれた環境に不満を抱える人が多いですよね。でも、わたしは環境にばかり責任を押し付ける論調が、あまり好きではないんです。


もちろん、政府の制度が不十分であったり、個人ではどうにも解決できないような問題もあると思いますが、わたしだって『売れない写真家の子ども』という点では、親ガチャに外れたと言えなくもない。それでも、母の応援もあり、これまでの人生でさまざまな選択を自分ですることができました。

だからこそ、『主体性』をポジティブに捉えられる若者が増えたらいいと思います。主体性を『自己責任』として捉えるのではなくて、『自分の人生は自分で切り開いていくんだ!』というポジティブな思いで考えてくれることで、日本も明るくなるのではないかなと思います」

本連載は、奨学金を負の側面だけでなく、「自己投資」という正の側面からも見られるようにとの思いで続けている。もちろん、「いくら借りるのが自分にとって適正か」はその人の能力次第だ。川嶋さんほどうまくいくケースばかりではないのも、事実であろう。

しかし、それを踏まえても、自身の人生をたくましく切り開いた彼女の例は、下の世代にとって学びになるはずだ。

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(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)