イチローが「孤独だった」と振り返った過去。チームメイトに誤解されても「負けるのはあり得ない」と貫いた信念
「言葉とは『何を言うか』ではなく、『誰が言うか』ではないですか」
現役時代のイチローさんがよく言っていた。いま振り返れば、イチローさんのマリナーズでの歩みとは、この発言を自らの行動で実証するためのものだった気がする。どんな状況に置かれても、自分がやるべきことをやろうとした。そしてその毎日の積み重ねは今も続いている。
マリナーズの球団殿堂入りセレモニーに参加したイチロー氏(写真左)と弓子夫人
引退後から昨年まで、地元シアトルでナイターがある日には、誰よりも早くウォームアップを開始した。それは若手の早出特打で球拾いを手伝い、さらに彼らの室内打撃練習で投手役を務める準備だった。自宅では、暇さえあれば初動負荷マシンで鍛える。チーム遠征中にも球場に出向き、リハビリの居残り組をサポートした。
2021年夏はキャッチャーミット、捕手用プロテクターを日本から特別注文で取り寄せた。リハビリ中の投手たちの球をブルペンで受けるためだけ、にだ。
「何事も、本気でやらないと伝わらない」
これもイチローさんがよく口にしていた言葉だが、そのポリシーも変わっていなかった。
今季ナ・リーグ西地区首位を独走するドジャースで、すでに13勝を挙げている左腕タイラー・アンダーソンが、「これまでの自分の野球人生でのハイライト」とまで喜んでいたのは、イチローさんとのキャッチボールだった。
昨季夏、トレードでマリナーズにやってきたアンダーソンが行なっていたルーティーンとは、距離を5段階で変えながら同じスポットに投げ続けるというもの。アンダーソンはパートナーの正確無比のコントロール、球の勢いに舌を巻いていた。
イチローさんが「ただそこにいるだけじゃ、何の役にも立たないですから」ともどかしそうに話したのは、今年7月だった。昨年末、女子野球高校選抜とのゲームで完投した際、肩を痛めた。その後も状態は思わしくなく、この夏は日本に一時帰国して治療した。チームへの再合流は8月半ばだった。
球団の殿堂に入るような元選手は、さらに言えばアメリカ野球殿堂に選ばれることも確実視されているような超大物は、のんびりと余生を過ごすのが普通だ。しかしイチローさんの場合、引退後も自分の時間と体を駆使して現役選手のよき練習相手であろうとする。痛めた肩をできるだけ早く治そうとするのも、練習相手としてマリナーズの若手たちからの要求に100%で応えるためだ。そしてその献身の対象は、日本の高校球児、女子選手たちにも広げられている。
チームメイトに誤解された過去どんな状態にあっても、自分がやるべきことをやる。そんな姿勢は、マリナーズが低迷した2000年代中盤、「自分のことしか考えていない」と一部チームメイト、地元メディアに曲解されたこともあった。
ただイチローさんが特別だったのは、明らかに誤解されているような状況でも、一切の弁明をしなかったことだろう。SNSなど、自身の情報発信チャンネルを持たない。所属事務所や球団を通じて、反論するようなこともしない。イチローさんは、どんな時もただひたすら、行動でその意思を示そうとしていた。
マリナーズ殿堂入りは10人目。あの当時を振り返りつつ、長きにわたってチームに貢献した者に贈られる栄誉をいま、どんな思いで受け止めるのか。そんな記者の問いかけに、イチローさんはちょっと神妙になって言うのだった。
「心が折れそうになった時は何度もありました。でも、そこで踏ん張ってよかったと思います。そういうこと(誤解)に(僕が)負けるのはあり得ない。まあ大変だったけど、ダメなものはダメ、いいものはいい、と言ってしまう性格なので......。当時はチーム内でもいろいろありました。でもあの時はすごく孤独だったけど、向き合ってよかった。時間が経った時に、『あそこで負けちゃった』という後悔はしたくなかったですね」
2022年8月27日(現地時間)。ガーディアンズ戦ナイター前のTモバイル・パークでは、イチローさんの同球団殿堂入りセレモニーが盛大に行なわれた。
センター後方の大型スクリーンでは過去の活躍映像が延々と流され、エンゼルス大谷翔平、WBC日本代表でともに戦った松坂大輔さんらがビデオメッセージで祝福の言葉を贈る。セレモニー出席者はグリフィー・ジュニア、マイク・キャメロンにラウル・イバネス、長谷川滋利氏ら元チームメイトや、米殿堂館長を務めた友人ジェフ・アイドルソン氏らだ。
渋い紺スーツに身を包んだイチローさんは、英語で約16分間のスピーチを披露した。時折混じるジョークにほぼ満員のスタジアムが沸く。スタンドのあちこちで51の手製ボードが揺れ、何度となく「イチロー・コール」が起こった。
そんな光景を記者席から眺めながら、「言葉とは『何を言うか』ではなく、『誰が言うか』ではないですか」という言葉を心の中で反芻した。イチローさんの言葉は強い。しかし、その行動の積み重ねとそれに費やされた時間は、その言葉よりずっとずっと重い。
結局のところ、自分の信じたことを貫き通した人が、その世界に長く残っていくのだろう。本当の勝者とは何かを、イチローさんの式典を取り巻く空気がよく示している気がした。