日韓の宗教事情にはどのような違いがあるのか(写真:mits/PIXTA)

「そっか、日本と韓国って」と検索したことがあるだろうか? 
日韓問題の論点をほぼすべて扱い、国内外の信頼される学術論文に基づく両論併記でわかりやすくユーモラスにまとめ上げた、新著『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。── 文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』が発売された。
著者は日本で生まれた韓国人で、フランス・香港・シンガポールで学び働いてきた、70万部・1億PV突破のベストセラー作家としても知られるムーギー・キム氏。国際感覚と教養をいっきに得られる「ビジネス教養書」として、多方面で反響を呼んでいる。
本記事では、そのムーギー氏が「日韓宗教事情の違い」について解説する。

本連載を書くにあたって、私は毎回ビクビクしながら「ヤフコメ」等での書き込みを見物しているのだが、十中八、九「日本と民度の違う韓国を比べるな!」「相いれない国なので、断交がいちばん」「韓国人はうそつきだらけで約束を守らない」等と、まるで私が「親の仇」であるかのような大批判が連発されている。

私もさすがに心を痛めながら、時にしくしく泣きながらコメント欄を読んでいる。しかし、そこでの批判内容は一言で言えば、実態とかけ離れたおかしな「信仰」も多い。ここで私が「信仰」と言うのは文字どおり、とんだでたらめでも信じて、ありがたく仰ぎ見ることを指すが、八百万の神よろしく、日本では何でもかんでも、ありがたく信じる人が多いのだ。

ちょうど今、日本では政治と宗教の問題が取りざたされているが、以下では私自身が日本で受けた「怪しげな宗教勧誘」の経験を振り返り、「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。」と超納得していただけるコラムを書きつづろうと思う。

京都で宗教勧誘を体験した高校生時代

「触らないでください、あなたのようなステージの低い人の魂で、私がけがれてしまうから……」


これは私がまだ京都で高校生活を送っていたとき、ある宗教団体の美人勧誘員に、四条河原町の鴨川エリアで誘われたときの、失礼千万な一言である。

最近、「宗教に勧誘するときに、若い女性を使ってアプローチさせる」というようなことが一部で報道されていたが、それはさまざまな宗教団体で共通しているようだ。

私が京都の高校生時代にある宗教団体に誘われたときは、その勧誘員の女性がかわいらしかったので、まだ18歳で男子校の生徒だった私は(私服だったので大学生くらいには見えた)、意図的に会話を牛歩戦術で、伸ばし伸ばしにしていった

さらに電話番号を逆に聞こうと近づいたのだが、そのときに言われたのが、冒頭の失礼な(指一本触れてないのに言われた)一言である。

このように、高校時代は入信を勧誘してきた人に逆に断られ、入る前に破門されてしまった恥ずかしい私だが、実はその後の人生でも何度か「別の宗教団体」に入信を迫られたことがある。

これは、私と、まさにこの記事を編集してくれている敏腕編集長N氏とともに、慶應三田キャンパスの学園祭を訪問したときの話だ。

女子学生の代わりにあらわれた謎のおばさん

キャンパスを歩く私たちに、話しかけてきた女子学生。何やら「世界情勢と政治の勉強会に関心ある学生を集めたサークルがあるので、話を聞かないか」と勧誘してくる。

世界情勢にも政治にもまったく関心がなかったが、その女子学生に関心があった私は、隣にいたN氏とともに、ホイホイついていった。しかし、なぜかその行き先が、キャンパスの中ではなく、キャンパスの外にある雑居ビルの一室だったのだ。

「怪しい雰囲気」と「嫌な予感」しかしないそのビルの一室のドアを開けると、さっきまでの女子学生の代わりに、険しい表情でメガネをかけた謎のおばさんが座っているではないか。そして世界平和や信仰について熱く語りだし、「神を信じるか信じないか」を聞き、入信を迫ってくる。

そのときは「もう帰ります!」と言ってその場を後にしたが、このようなとき、おそらく気が弱く言い返せない人は、そのまま入信してしまう人もいるのだろう。

なお、韓国には、日本に比べ、熱心なキリスト教徒が実に多い。「世界最大の教会 韓国」で検索するとたくさん記事が出てくるが、それこそ海外進出したり、オンライン化したり、しまいには教会自体を売買したりと、宗教界の変化もパルリパルリだ。

韓国大統領も歴代、熱心なクリスチャンが多いし、私が親しくさせていただいている韓国政界の方々も、週末の教会活動に熱心だ。

またビジネススクール留学時代の韓国人クラスメートも、大多数はクリスチャンで教会に通っていたし、私が交際していた韓国人ガールフレンドも、熱心なクリスチャンであった。

このように韓国では宗教活動に熱心な人が多く、東アジア最大のキリスト教国と言えるかもしれない。キリスト教の「宗教市場シェア」が非常に高いので、新しい宗教団体がつけいる余地が、日本に比べ比較的少ないのだろうか。基本的にベースにイエスキリスト様を信仰している人が多い。

結局、人間社会は「神」という存在を必要とする

これに対し、東アジアのもう1つの宗教政策は、「宗教を非科学的なデマとして徹底弾圧すること」である。

宗教的なものを排除・弾圧し、偉大なる首領様、偉大なる指導者の一党独裁制をしいた国では、その政治的独裁者が実質的に神格化されていく。

そして皮肉なことに、毛沢東にせよ、スターリンにせよ、金日成にせよ、共産圏の一党独裁制の指導者は、死後も不滅の身体として保存され、神格化される。

宗教や神の存在を否定する政治体制で、その政治指導者が神格化されていくのを見ると、結局のところ人間社会は、神という存在を必要とするのがよくわかるだろう。

「神様にすがりたい」という需要は、今後も巨大な市場を形成していくだろう。こう考えると、仏教なりキリスト教なりイスラム教なりが「神様にすがりたいという需要」を満たしているということは、社会の安定に重要なのだろうか。

日本では、実質的に無宗教な人が多く、教会に行くのは結婚式、仏教のお世話になるのはほぼお葬式だけという人が大半だ。新年に受験合格・健康・金儲け・いい縁談などをお願いするときは、神社に足を運ぶ

この3つをすべて同一人物が行っていることからも、「大半の人は実質無宗教」といっても過言ではないだろう。

また、新刊『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』でも触れているように、日本人はよくも悪くも「従順な人」が多い

よって、内心おかしな命令やルールと思ってもそれに従う人が多いので、「このつぼ300万円で買わされるって、おかしくないっすか?」などと反旗を翻すことも、やりづらいのかもしれない。

通信販売で怪しげな「身長を伸ばすヨーガ」や、「このパワーストーンを買えば仕事も彼女も全部思いのまま!」といった商品が長らく売れつづけたことからも、「怪しげな商材を平気で信じてしまう人」も実際にいるのである。

思えば、朝のテレビで「今日いちばん不幸なのは獅子座のあなた、運気をつかむためには、ポケットにコーヒー豆を!」などと突然流れる国も、私が知る限りほかにないのである。

「気の弱いだまされやすい人」を守る法的整備が必要

今後の改善策だが、十分なリスク情報の説明がない金融商品の販売が違法であること、そもそもライセンスがない人が金融商品を販売できないことと同じように、宗教団体の勧誘に一定の規制を設けることも検討すべきではないだろうか。

少なくとも一定額の寄付が伴う場合には、「宗教サービスの消費者である信者を護るためのクーリングオフ」などの規制も、適用されてしかるべきではないだろうか。

朝のテレビ番組で流される占いを真に受けて、ポケットがコーヒー豆だらけだった私が言うのも何だが、「信仰の自由」と「言論の自由」が濫用されて、「だまされやすい人太平天国」になるようでは、元も子もないのである。

(ムーギー・キム : 『最強の働き方』『一流の育て方』著者)