※この記事は2015年12月31日にBLOGOSで公開されたものです

「あの運動」とはなんだったのか?

 3.11以降の5年近くを振り返ってみる。もうこの話題に興味が薄らいだ方も大勢おられることだろう。そこで、2015年の締めくくりといった感覚で読んでいただきたい。「あの運動」とはなんだったのかを。

 まず、大震災と津波に連鎖して原発事故が起きた。民主党の菅直人政権は危機管理が甘く、情報公開も遅くて不透明だった。これがパニックを生んだ。マスコミもそのパニックに飛び乗った。ある意味、いつものパターンだった。今回違ったのは急速に普及しつつあったSNS(ソーシャルメディア)の大活躍だ。悪い意味での。

 政府もメディアもあてにならない。目に見えない放射能が押し寄せるかもしれない。子供や弱者から先にバタバタと倒れていくかもしれない…というパラノイアが蔓延し、そこにあらゆる形のデマゴーグ(煽動者)たちが飛び乗った。大衆は見事に煽動された。「生きるか死ぬか」を分けるかもしれない情報が出元を精査されないまま、口コミで広がった。その拡散速度はマスコミよりも早く、そして深かった。興奮は夏場まで続き、パラノイアは一人歩きをするようになった。

「政府は守ってくれない。メディアは政府からの命令で真実を隠している」
というムードが蔓延した。そのムードが人々をデモへとなだれ込ませた。もちろん、情報リテラシーを手にした市民たちが自然発生的にデモをオーガナイズしたのではない。かねてより小規模な反原発活動、反体制活動をしていたプロがその都度  「お気軽にお越しください、お散歩気分で」
 というキャッチコピーで人々を集めたのだった。

 短い期間で大手メディアが「嘘つき」だという前提がエスタブリッシュされた。その途端、情報や意見を発信する敷居がぐんと下がった。大手メディアの報道デスクよりも「子を持つお母さん」の目線が重要視された。同時に東電幹部やこれまで原子力の安全性を謳ってきた学者たちに対する「魔女狩り」が始まり、大衆はデマゴーグたちに乗せられていった。デマゴーグの何人かと3.11以前から面識があったので、どう動いているかは日々チェックできた。素人に狙いを定め、科学的な用語を絡めて煽動する手順は、お見事というしかないほど巧みだった。手品は日々、繰り返され、効果も増幅していった。
 「ソ連はチェルノブイリ事故で解体した。これから日本も二つの国に分けなくてはならなくなる」など。そんな与太話を額面通りに受け止めて湧き立つ聴衆がいたこと自体、今では遠く感じられる。

いともあっけなくデマに乗せられた大衆

なぜ大衆はいともあっけなく乗せられてしまったのか?まず何よりも科学的な思考法が社会に根付いていなかったことが大きい。確率論的に考えることができたなら、水素爆発が
「実は核爆発だった」
という結論は受け付けられない。放射能のプルームが東京にまでやってくることも考えにくい。ましてや大雨が降るたびに
 「放射線が雨と一緒に落ちてきて、体に染み込む」
 ことは、とても考えにくい。

 3.11から2年4ヶ月後の2013年7月に秩父宮ラグビー場でアイドルの野外コンサートが開かれた際、75人が体調不良や過呼吸を訴えた。その時、これが放射線被曝のせいだと主張するツィートやブログ記事が出回った。確率論的に本当に無理がある主張だ。しかも地元の新聞には
 「雷雨のためコンサート中止が決まった直後から観客が次々と体調管理を訴え出した」
 とまで書かれてあった。それなのに、扇動するブログには
 「あれから2年4ヶ月が経過した今年の7月27日、再び首都圏が「放射性プルーム」による”死の雨”に襲われ、再び多くの国民が放射線被曝した模様である」
 と書かれ、その噂が『心ある』人々の間に広まった。そこには科学的な思考がなかった。

 人気アイドルグループ「NEWS」のコンサート中止の対応が神だったと話題 - NAVER まとめ
 http://matome.naver.jp/odai/2137493266656241901

 一度煽動された数多くの人は科学者たちの声を
 「どうせ嘘を付いている」
 「ずっと嘘だった」
 と聞き入れなかった。
 「東大話法で原発を再稼働させようとするためのアリバイしか語らないのだろう」
 といった風に。デマゴーグたちは毎日、執拗に原子力の専門家たちをSNS上で叩き、「御用学者Wiki」なる出典の怪しいサイトが大量に閲覧された。この群衆のプレッシャー、YMO風に言うならば「公的抑圧」にほとんどのサイエンティストたちが恐怖を感じ、萎縮し、沈黙した。専門家よりも「専門知識もどき」をわかりやすく語るセレブリティーの方が圧倒的に信頼された。原子力村の科学者よりも、坂本龍一氏が。

 国民の英語力が高ければ、このパニックはいささか軽減されただろう。欧米メディアには専門家の見解も数多く登場していたからだ。また、ソ連時代に起きたチェルノブイリ事故に比べて日本政府の対応の方がはるかに優れていたことも理解できただろう。しかし最も深いパニックに陥った人々が欧米の報道や論評を読む英語力を持ち合わせていなかった。同時に日本のメディアは政府発表を流すだけのものが多く、曖昧だった。結果、英語メディアの中に踊った最もセンセーショナルな見出しだけがデマゴーグたちに逆輸入され、
 「海外でも日本はもうだめだと言っているぞ」
 というプロパガンダとして利用された。

 特筆すべき煽動者の一人がクリストファー・バズビー氏だった。
 「低線量の放射線に被爆した場合、発癌リスクが高まる」
 と主張するバズビー氏が、日本で
 「放射線被曝に効果がある」
 としてカルシウム、マグネシウムを含む高額サプリメントを販売した。バズビー氏の主張は和訳され、鬼のようにRTされ、来日講演も開催された。しかしその後、サプリメントの怪しさが検証されてバズビー氏は消えた。同氏が英語で講演した過去の動画をYouTubeで遡って見たなら、そもそも怪しげな陰謀論を唱え続ける活動家だったこともわかったはずだ。しかし英語でバズビーを検証できる人口はとても少なかった。その上で
「低線量の被曝でも発癌するのに、日本政府がそれを隠している。欧米メディアだけが本当のことを報じている」
 という揺るぎない信念を心に抱いた人たちがバズビーに引っかかったのである。自分たちの信念を肯定する「欧米メディア」だけ切り取って。

「娯楽化」したデモ

 放射能パニックが1年以上を経てなお継続していた背景には、別の側面もあったのではないかと思う。快楽原則だ。『世界がもうすぐ終わる』という強迫観念は、人を元気にする。退屈しない。デモはお祭りのようなイベントでもある。仮にこれを「ええじゃないか効果」と呼ぼう。推理の範疇を出ないが、もともと2008年のリーマン・ショック以来、中産階級の下落が日本でも顕在化していた。その経済不安も大きな要因だったのではないか。数々のデモや「お散歩デモ」は「生きづらさ」に一矢報いる絶好の機会となった。同時にそれは「お上」への甘えでもあった。甘ったれデモで太鼓を叩いて、いい気分。

 当初、「脱原発」のスローガンには幾分か説得力もあった。太陽光や太陽熱、水力、風力、バイオマス、地熱などの再生可能エネルギーを開発し、技術革新に伴って徐々に原発依存を減らしていくのであれば、30年ぐらいかけてのエネルギー・シフトも期待できる。しかし
 「即廃炉」
 「脱原発じゃない、脱被曝だ」
 といった先鋭的な声が運動の本流を占めるようになった。デモの外からはそのように見えた。

 デモは先鋭化し、自己目的化し、最終的に娯楽化した。素人が立ち上がって政府やエスタブリッシュメントに物申すという、その「美しさ」こそが着地点だった。
 「もう放射線を浴びたくない。子供を守りたい」
 という思いが一つになった。だが最初からそれほど放射線を浴びていないことを検証する声はデモの中から起こらなかった。むしろ
 「デモに日の丸を持ち込んでいいのか」
 という問題で派閥が衝突し、思想的なヘゲモニー争いが喧しかった。このぶつかりはツィッター上で盛大にブロードキャストされたため、デモに参加していなくても日々、流れてきた。運動の脈拍を外からでも測ることができたのだ、ツィッター越しに。

デモの出し物も異様で異形なるものへとみるみるうちに変質した。2011年7月には「アルゴリズムデモ行進」など、学芸会の発表のようなお遊びが散見された。テレビ番組「ピタゴラスイッチ」内の人気コーナー「アルゴリズム行進」を模したもので、無邪気だった。だが2011年10月、大阪で子ども用の棺おけを持ち出して「葬列デモ」が催された。そこには憤りにとどまらず、悪意ものぞいた。これからバタバタと死んでいく福島の人たちを想定した「葬列デモ」は、逆に福島県民がいっぱい死んでくれないと困る、と言わんばかりの論理展開になるため、かえって反原発運動への疑念や嫌悪感を誘発した。

 また、デマゴーグたちの場当たりで無責任な発言も次第にうるさく感じられるようになっていった。「原発が悪い」というメッセージを発信するなら、一緒にデマをRTしても咎められない。煽りに煽って炎上したら、ツィートを消せばいい。憤っていれば「いい人」でいられるという、展望なきアナーキズムだ。カラフルな言葉で政府や東電を攻撃し、市民の溜飲を下げるジャーナリストや活動家たちが活字メディアにもテレビ番組にも引っ張りだこだった。ぼくはこの時期に大変な割を食った。煽動する者たちとマッチメイクされ、戦わされたのもいい迷惑だった。生放送中に言い負かされると、後々執拗にネットで攻撃する者もその中にいた。

「よくある左翼」に変貌、見放された「反原発」

 数々のエピソードは、思い出すのも疲れる。ここでいったん視点を現在のアメリカに移してみよう。米共和党の大統領候補者たちは「愚か者の集まり」に見えるほど大衆煽動的な言説で競争しあっている。不動産王のドナルド・トランプ氏が平然と差別的な放言を繰り返しては、ダントツの支持率を獲得し続けているのだ。対岸の火事は眺めていて、楽しい。しかし、トランプ現象は日本の脱原発運動が常識と乖離していったプロセスにも似ている。NYタイムスに寄せられた経済学者クルーグマンのコラム記事から英文を抜粋し、意訳してみよう:
 The Donald and the Decider
 http://nyti.ms/1TbRt79

 Well, part of the answer has to be that the party taught them not to
 care. Bluster and belligerence as substitutes for analysis, disdain
 for any kind of measured response, dismissal of inconvenient facts
 reported by the “liberal media” didn’t suddenly arrive on the
 Republican scene last summer. On the contrary, they have long been key
 elements of the party brand. So how are voters supposed to know where
 to draw the line?

 (共和党陣営の有権者がドナルド・トランプを支持し続ける)一つの要因は共和党が常識を逸脱しても良いという考え方を有権者に浸透させ続けたことだ。怒鳴ったり攻撃的に語ることが分析することの代わりになり、穏健な熟慮は軽蔑され、不都合な事実は「リベラルなメディアが流す嘘」と決めつけて無視する。これはいきなり去年の夏から共和党に広まった傾向ではない。それどころか共和党政治のブランドとして長らく定着してきた方法論だ。今さら有権者に「トランプはやり過ぎだ」と言っても遅いだろう。
―――――――

 クルーグマン氏はドナルド・トランプの存在が共和党の「身から出た錆」だと論じている。複雑な問題を多方面から検証したり、妥協して実務的に課題を解決する政治よりも「気持ちの良い政治」を共和党は重視し、その戦略がジョージ・W・ブッシュを圧勝に導いた。結果、自ら深く掘ったポピュリズムの溝から今や抜け出せなくなっているのだ。

 さて日本に視点を戻そう。反原発運動は先鋭化し、実現不可能な要求を繰り返すようになった。その後いくつもの大きな選挙が行われ、どの選挙でも自民党が大勝した。今もって自民党の支持率は高い。いかにして「反原発」は見放されていったのだろうか?

 「脱原発」は当初、シングル・イシューとして右翼も参加する超党派的な運動へと急成長した。しかし運動の中では圧倒的に左翼陣営の世界観が優勢を占めていたため、「反原発」「反天皇」「反TPP」「反安保」「反辺野古」「反レイシズム」へと風呂敷が広げられていった。「反原発」がどうして「反辺野古」につながるのか、簡単にイメージすることは難しい。また「反レイシズム」に関しては、何が差別であるかの決定権は反レイシズム団体が握り、そこにディスカッションは許されない。つまり運動は「よくある左翼」の運動へとモーフィングしていった。

 その「よくある左翼」のメンバーになりたくない市民は運動へのコミットメントが不活発化していった。逆に、縮小し行くデモに最後まで残る人たちの間ではイデオロギーの純化が深まり、お気楽さは抜け、内向きな傾向が強まった。

 運動のスタイルも一人歩きするようになった。2012年7月に大飯原発が再稼働した。その時、大飯原発のゲート前に集まったデモ隊からは

 「原発反対!子どもを守ろう!」
 とのコールが上がった。地元の警察はデモ隊の一部が関電の敷地内に無断で入っているなどとして、
 「敷地から出なければ不法占拠になる」
 「指示に従わなければ公務執行妨害に問われる」
 「道路を開放しなさい」
 などとマイクで警告。その後、強制排除に乗り出した。市民らは両手を上げて
 「暴力反対」
 と叫びながら、一部が座り込んだり、道路上に横になったりして抵抗し、小競り合いが続いた。ここまでは「よくあるデモ」の風景だった。しかし同じデモに男性器をかたどった神輿が登場し、水着姿の女性がマスクで顔を隠してまたがった。ビキニから露出した女性の胸にはマジックで「正義」などのスローガンが呪文のように書かれてあった。この様子がUSTREAMで全世界へと同時中継された。この神輿のイメージは強烈すぎてまたたく間にネタとしてネット上で拡散し、「ち●こ神輿」と名付けられた。そのパフォーマンスは一般人をドン引きさせるのに十分な破壊力を有していた。

 飛んで2013年、秋の園遊会で山本太郎参院議員が天皇陛下に片手で手紙を渡して直訴を試みるパフォーマンスを行った。山本議員はその年の夏、反原発運動のうねりに乗って激戦の東京選挙区で当選したばかりだった。園遊会の後で山本議員は記者会見を開き、
 「原発事故によって、このままだと子どもたちの被ばくが進み、健康被害が出てしまう。さらに現場で対応に当たっている作業員は劣悪な環境で搾取され、命を削りながらやっている。こうした実情をお伝えしようと、手紙にしたためた。自分の政治活動に役立てようという気持ちはなく、失礼に当たるかもしれないという思いもあったが、伝えたい気持ちが先立った」
 と持論を述べた。このパフォーマンスは「平成の田中正造」となることを狙ったものだったらしい。しかし結局、常識を持たない人物を国会議員に選出したポピュリズムの象徴となってしまった。

「キョージュ」のフラクタルに陥る運動

ネットにはデマが飛び交い続けた。
「子供が被爆して甲状腺がんが続出している」
「東日本にはもう人が住めない」
「鼻血が出て止まらない」
 などの流言は野放しだった。言論の自由の範囲で容認されるべきものだったとはいえ、福島県民に対しては甚大な風評被害をもたらした。またブログや情報サイトでは「原発の恐ろしさ」を書く文言の横に津波被害を受けた町や自動車の写真を並べる記事がよく見られた。障害を持って生まれた子供の写真が関係ないのに並べられるケースもあった。とても原始的なモンタージュのトリックだが、それにも関わらず「乗ってしまう」人が大勢いた。わざと騙され続けたいのではないか、と言うほどに。

 「反原発」なら何を言ってもよく、個人攻撃も役所や企業への電凸もやり放題の状態がしばらく続いた。個人情報晒しや集団での吊し上げ行為に対してもネット上で拍手喝采が送られた。群衆となった人々の心のなかに巣食う魔物の封印が解かれた瞬間だった。「悪への憎悪」は娯楽となり、運動はキメラ化していった。

 建前上「脱原発」運動は指導者が不在だった。さまざまな主張を持つ者が自主的に動いて力を合わせ、それが「アメーバ」「リゾーム」「フラクタル」のように自律的に行動する理想的な21世紀型の市民運動、「日本のアラブの春」だと自己礼賛された。だが窓口がなく、責任者もいないままでは必然的に「gdgd=グダグダ」になる。坂本龍一氏はじめセレブリティーたちが次々と「いい人」アピールをするのは、まさに「難しいことを考えず、理想を語っていい子でいたいおれ」を投影するのにもってこいのテンプレートだった。「I am not Abe」であり「I am just another good person」だったわけだ。みんなでキョージュのクローンに、いや、フラクタルになる運動。

 だがとても皮肉なことに、坂本龍一氏と同時期の1980年代に一世を風靡したコピーライターで「ほぼ日」主催の糸井重里氏が早野龍五教授と共著した「知ろうとすること」がパニックを鎮める決定打となった。メジャーさとセレブリティーに敏感な世代は坂本龍一氏に言われて「反原発」の思いを強め、糸井さんに言われて「知ろう」としたのだった。

 4年半もの間、SNSで毎日のようにデマや誤情報に端を発する騒動が繰り返された。「ツィッターまとめ」もおびただしく作られた。放射能パニックから抜けられない人たちは「放射脳」と揶揄され、反撃し、プチ炎上と大炎上が交互に続いた。この繰り返しの中で「またか」という既視感が定着し、煽動に対する耐性が大衆に根付いていった。湿ってしまったマッチは、強い火力でもなかなか燃えてくれない。

 火力と言えば、火力発電依存の貿易赤字、隣国中国の大規模な核開発、北朝鮮の核実験(ブラフを含め)、地球温暖化、ドイツの「脱原発」の失敗…などなどが問題を単純に考えにくくしていった。経済人が警告を放つたびに
 「原発村の走狗が何を言うか」
 と反撃していた活動家たちの物言いも届かなくなる。声が大きかった活動家たちは身内に向けて発言するようになり、正面切ってのディベートに出てくる者はほとんどいなくなった。代替案は提案しなくても良い。純粋に「反原発」を唱えることが運動の正しさを立証する。いや、「反原発」の運動をし続けることそのものが、運動の目的となった。自己目的化だ。

反体制運動の「独善」露呈させた左派メディア

「SNSから生じた大衆の覚醒と社会の大変動」は共産党にとって好都合なシナリオだった。少ないシェアを拡大する手段としても申し分ない。「反原発」の純粋なエコロジーと共産党の純粋な「正義」はとても相性が良い。ここに朝日新聞を筆頭に左派陣営のメディアも加わって、スクラムを組んだ。一件、最強のチームが結成されたかに見えた。しかし盛り上がりのまっただ中にあった左派メディアは、現実との折り合いがつかずに歪んでいった。

 朝日新聞の「吉田調書捏造事件」は大メディアが「反原発」の思想信条を優先するあまり、事実をも歪めて報道してしまったことが発覚してしまった重大インシデントだった。朝日新聞側は
 「捏造ではなく誤報だった」
 と謝罪したが、その謝罪すら見苦しかった。左派メディアの報道が事実を伝え、検証するためのものではなく、自らの世界観に世論を寄せていくための煽動であったことが露呈した瞬間でもあった。これは新聞・テレビといったエスタブリッシュメントそのものの権威をも失墜させた。そんな色がついてしまった大メディアが「反原発」「反安倍」の運動を「市民の声」と持ち上げて見せたところで、飛びつく人はどんどん少なくなっていく。左派による左派のための「反安倍」運動は世の中を牽引する力を持ち得ず、ますます純化していった。

 そしてとうとう2015年の秋には「ぱよちん騒動」と「闇のキャンディーズ」事件が起きた。そもそもこれらの騒動を99%の日本人は知らないだろう。輪郭をトレースすると、まず「はすみリスト」というものがあった。それが「ぱよぱよちーん」を経て新潟日報の報道部長の暴言に連鎖し、現在はアーティスト「ろくでなし子」を叩く人たちの騒動へと転じている。こんなコアなサブカルは追ってもしょうがないのだが、あえて検索すると以下のような見出しが引っかかる:

 しばき隊CRACの@MetalGodTokyoが、facebook上で「はすみとしこ(難民の絵を描いて炎上した人)」の絵にいいね!した人間の個人情報を収集してネット上に公開し炎上。
 http://mera.red/x%EF%BC%A0metalgodtokyo%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81

 この一行が意味するところを解説するつもりはない。ググってもおそらく保守系の偏ったまとめしか出てこないから、ますます謎は深まる。これを奥の奥まで追いかけて
 「ネトウヨや安倍的なものと戦い、デモに行こう!」
 と盛り上がれるのは、よほど特殊なタイプの人だろう。反体制運動の内部に隠れていた独善がとうとう表に出てしまった一幕だ。

高齢化した左翼陣営の「学徒動員」

 デモは「新しい世代の新しい政治行動」と宣伝されてきた。実際のデモには圧倒的に高齢者が多いことが繰り返し報告されている。だがあくまで
 「若者たちが目覚め、自分たちの考えで新しい形の社会運動を作っていく」
 というものがたりがスピンとして流されてきた。その「若者たち」がいかに偏った、純粋培養のサンプルであっても。「SEALDs」は「SASPL」だったり「ReDEMOS」だったりとコロコロ名前が変わっていくが、要するに高齢化が激しい左翼陣営の「学徒動員」ではないだろうか?

 だが「SEALDs」だけではない。最初は「反原発」だった運動が「反安倍」へと変身し、今なお日を追ってカラフルになっていく。最新の出し物は増山麗奈氏の出馬だ。これも、とにかく濃い。

 【岡田浩明の野党ウオッチ】社民党公認の増山麗奈氏って… 「桃色ゲリラ」で母乳パフォーマンス 過激な言動もネットで炎上中! - 産経ニュース
 http://www.sankei.com/politics/news/151221/plt1512210018-n1.html

 当選したらおもしろくなりそうなので、トランプ氏を『応援』してしまうのと同様に応援してしまいそうな自分がいる。もっとも、外国人なので投票はできない。

 日本社会には熱しやすく冷めやすい性質がある。かつての「ギター侍」は勿論のこと、2015年の「ラッスンゴレライ」を覚えている人も今は少ない。一時は
 「ラッスンゴレライに反日のメッセージが潜んでいる」
 と大騒動にもなったのに、話題にもならなくなった。やたらと代謝が速いのだ。

 有楽町の電気ビル前でチラシを配り、トラメガ(トランジスタメガホンの略)を持って通行人に呼びかけ続ける高齢女性のグループがいる。夏の暑い日にも駅前に立っていた。今はジングルベルが流れる中、ショッパーや勤め人に拡声器越しのアジテーションをぶつけている。口調は苛立ってやけっぱちだ。誰も目を合わせない。その形相の真剣さ、悲壮さがかえってムーブメントにとっては仇になっているように思う。
 「アレな人たちがいつものように駅前に立っている」
 それだけになってしまったのだ。3.11の前と同様に。

「反安倍」に夢見た人々が極右に振り切れる可能性も

 安倍政権は高笑いしていることだろう。「反原発」どころか左翼陣営が一丸となって道化のようなパフォーマンスに明け暮れるのだから。本来ならば原発行政に厳しい視線を向ける材料は豊富にある。凍土壁はうまく行っていない。生活圏から離れた森林を除染しない方針が固まっている。「もんじゅ」もうまく行っていない。最終処理場をどうするのかも決まっていない。廃炉は30年近くかかる。問題は山積みなはずだ。

 しかしそれを報道するメディアも反原発(左派陣営)と推進(安倍政権寄り)へと二極分解しているため、ニュース記事の見出しを読むことすら面倒くさく感じられ、ノイズと化していく。
 「ああハイハイ、原発ね。除染うまくいかないのね。なに、海にもう流れた?それでいいんじゃないの、薄まるから」
 …ぐらいの他人事へと、問題は風化しつつある。反対に西日本や沖縄に避難したまま「東日本の終わり」を待っている、いや、心待ちにしている人もいる。今やこれが日本の「二つの日常」なのだ。

 自民党はパニックが鎮まるのをじっと待った。「普通の人の日常」を回復させていく小狡い戦術で立ち回り、選挙で圧勝、その後うやむやに原発再稼動、安保法制などを進めた。政策はほぼ思い通りになっているが、本質的なことを学習したわけではない。今もって自民党は大メディアに圧力をかければ黙らせることができるかのように振舞っている。本来ならばSNSを使ってどんどんと自民党のビジョンを打ち出し、透明性の高い議論を進めていくべきだが、努力しなくてもいいほど一強多弱が続いている。民主党がだめ、社民はもっとだめ、そして失うものがない共産党は元気いっぱいなのだ。

 次の大きな事件や災害があったら、どうなるのか?もう一度、大衆が左翼方面へと振りきれることは考えにくい。むしろ欧米で噴出中の移民排斥、マイノリティー憎悪、反グローバリズムがごっちゃになった排他的なナショナリズムに類似した動きが急拡大する可能性が強いと思っている。鍵となる要因は「中産階級の没落」、つまり余裕の無さだ。強い国家への渇望、かつて中産階級がうまく行っていた時代へのノスタルジー、途上国の労働者と競争させられることへの嫌悪感等が、極端な政治への期待へと流れこむ。「反安倍」運動に夢を見た人が何かのきっかけで「社民党や共産党に裏切られた」と思ったなら、極右へと振りきれる可能性も強い。米共和党に起きている現象は遠からず日本にも押し寄せるだろう。

 今後、日本社会における大衆煽動の暴走を抑止するには、保守もリベラルも「知性」を回復していくための地道な作業が必要になる。火遊びをコントロールできる人間はロシアのプーチンぐらいしかいないのだから。

プロフィール

モーリー・ロバートソン
日米双方の教育を受けた後、1981年に東京大学に現役合格。1988年ハーバード大学を卒業。国際ジャーナリスト、ミュージシャン、ラジオDJなど多方面で活躍中。現在は「Newsザップ!」(スカパー!)、「所さん!大変ですよ」(NHK総合)、「Morley Robertson Show」(block.fm)にレギュラー出演のほか、各誌にてコラム連載中。