BE:FIRST、“頂点”を叶えるべく集まった7人「自分たちがカルチャーを作る」
ラッパー、ソングライターのSKY-HIが1億円を出資して開催し、社会現象と呼べるほど大きな話題となったオーディション番組『THE FIRST』。
熾烈なオーディションを経て、ボーイズグループ「BE:FIRST」としてデビューを果たすのはSOTA、SHUNTO、MANATO、RYUHEI、JUNON、RYOKI、LEOの7名。
プレデビュー曲『Shining One』のMVはYouTubeでの再生回数1600万回を突破するなど、今最も注目を集める彼らが、11月3日のメジャーデビューを前に、これまでの道のりや今後の展望を語ってくれた。
■一番辛かったのは「別れ」
──皆さんにとって『THE FIRST』での合宿は大きな出来事だったと思います。一番辛かったこと、一番楽しかったことをそれぞれ教えて下さい。
SOTA
辛かったのはやっぱり別れですかね。ダントツに辛かった。日を重ねれば重ねるほど辛くなっていくんです。別れのたびに「次の別れはもっとキツいだろうな」と感じながら、毎回進んでいました
JUNON
当たり前のことですが、誰と別れることになるかわからないんですよね。次は誰が残るかわからない状態で頑張ってやっていたので、辛かったです
──自分が残ることは本来うれしいことのように思います。でも、別れが一番辛いと。
LEO
呼ばれるまでは自分のことしかなかなか考えることはできないんですが、やっぱり落ちてしまう人が決まった時には、自分が残れてホッとすることよりも、別れの悲しみの方が何十倍もくるんです。辛いものがありました
──そういうものなんですね。楽しかったことはいかがでしょうか。
SHUNTO
楽しかったのは審査が終わった後、各々の部屋でジュースを飲んだりお菓子を食べたりして、打ち上げのような雰囲気でなんでもないことを話している時間ですね。ずっと音楽のことを朝から晩まで考えていたので、唯一の休息の時間というか、一番印象的でした
──参加者はライバル同士でもあると思います。仲良くなれるのはなぜなのでしょう。
LEO
誰かが誰かを蹴落とすというより「それぞれが自分たちのレベルマックスの状態でフェアに戦う」というのが、僕たちのオーディションでは大きかったんです。だからダンスが得意なメンバーはダンスが苦手なメンバーに教えるし、歌が得意なメンバーは歌を苦手としているメンバーに教えたりもする。自分だけがこっそりなにかをしよう、とかもなく、本当にみんなが「お互いに成長しよう」という思いだったので、他のオーディションにはなかなかないような環境だったと思います
■音楽に向き合い続けた合宿期間「ちょっとした面白さが幸せだった」
──なるほど、それは素晴らしい意識ですね。合宿中の家事は主に自分たちで行うんですか?
MANATO
食事は、食堂で作ってくださる方がいるんです。毎食、朝昼晩作ってくださいました。洗濯は自分たちでしてましたね。体操着とかも(笑)
──家事に慣れないメンバーもいたり?
MANATO
(RYUHEIに)まさにそうじゃない?洗濯とか自分でやったりするの初めてだった?
RYUHEI
たしかに、洗濯は親に任せていましたね。それ以外の家事はやっていたんですけど、1、2年前まで服のたたみ方とかもろくに知らないレベルだったんです。だから急にやるってなるとやっぱり他のメンバーより手際が良くない部分はありましたね(苦笑)
──周りはテキパキこなしているわけですよね。
RYUHEI
そうですね。僕は日常生活になると極端に詰めが甘くなるんです。小学校の頃ずっと先生に「RYUHEIは詰めが甘い」って言われていたんですよ
一同(笑)
RYUHEI
「一歩が足りてない」というか、掃除とかも気合入れれば割とパパッと終わらせるんですけど、最後の掃除機片付ける所が抜ける
一同「惜しい(笑)」
──合宿中にみんなで流行った遊びなどはありますか?
LEO
“『To The First』ごっこ”をしていました(笑)。『THE FIRST』のテーマソング『To The First』の最後の部分で遊ぶんですが、誰かが合図をしたら曲に乗って何かをしなきゃいけないっていう。休息時間とか練習の合間とか、お風呂に入っている時とかでやっていましたね
RYUHEI
ちょっとした面白さが幸せだった(笑)。めちゃめちゃ音楽をやっている中だからこそ、流行りのノリみたいなのが勝手に生まれたり
MANATO
ただのじゃんけんでさえ全部面白かったよね
■都会に染まり、変わったのは...
──SHUNTOさん、RYUHEIさん、RYOKIさんは愛知、MANATOさんは福岡のご出身ですが、現在はもう都内にお住まいなんですか?
LEO
SHUNTOとRYUHEIは学校があるので、向こうに勉強しに帰ってるよね
RYUHEI
基本はこっちに滞在しているんですが、学業をするために地元に戻るっていうのがなんか面白いですね。芸能の仕事をするために都内に行くというより、学業をしに行くために戻るって感覚
──都内に来るようになって、楽しみな気持ちなどはありましたか?
SHUNTO
帰る時にちょっと楽しいんですよ
──来る時じゃなくて、逆に帰る時?
SHUNTO
僕、東京ばな奈が超好きで、家族もみんな大好きなので、いっぱい買って帰るんです。それをみんなで食べるのがすごく楽しいですね」
SOTA
東京いっぱいおみやげあるからね
RYUHEI
東京で、例えば1か月の合宿があって終わった後、名古屋に帰った時の気絶しそうなぐらいのリラックス感はいいですね。その快感を求めに帰ってます(笑)
RYOKI
わかるわかる
SHUNTO
歩くスピードも違うよね
RYOKI
マジで違うよね。東京の人って、何かに追われてるレベルで速いもん
──東京を知って変わったことはありますか?
SHUNTO
歩くスピードが早くなった
一同(笑)
■メンバーを表現する絵文字にSOTAが物申す?
──話を戻しますが、デビューメンバーが決まってすぐにMV撮影だったんですよね。
LEO
そうですね。決まった途端にスタッフさんに「はいじゃもう今から撮りますので」って言われて、本当にその場で立ち位置とかも言われて
RYUHEI
混乱状態だったよね(笑)
SOTA
涙を無理やり拭いたけど「SOTA目赤いよ」とか言われて(笑)
──互いに祝福し合う暇もなかったんですね。
SOTA
なんなら今でもない(笑)
LEO
ノンストップで、本当に怒涛の日を過ごさせていただいていて、ありがたいです
──MV撮影はどんな思い出がありますか?
LEO
「意外と待ち時間が多いんだな」と思いました。そこのオンオフの切り替え方って、これからプロになっていく上で必要なんだな、とすごく勉強になるMV撮影でしたね。初めての経験すぎて、何がなんだか自分でもわかっていなかった
SOTA
他のアーティストさんのバックダンサーとしてMV撮影に参加したことはあったんですが、やっぱりセンターで引っ張ってくれてる人がいるから安心して踊れていたんですよね。最初に初めて7人で撮った映像を見た時には、迫力が思っていた以上になさすぎて驚いたんです。練習で合わせたことを発揮するだけじゃ、カメラ越しでは全然伝わらないんだなというのをみんなで話して。今までは「センターのアーティストさんがやってくれていたから世界観が出来上がっていたんだな」というのをすごく感じて、今はもう「自分がアーティストなんだから、自分たちで作っていかなきゃ」とすごく学びました
──撮影の中で成長していったということですね。ところで、渋谷のタワーレコードを訪問された際に、メッセージカードに亀やペンギン、ダンサーなどの絵を書かれていました。SNSではファンの方たちがメンバーそれぞれを絵文字で表現した投稿も見受けられますが、それを知っていたということでしょうか。
SOTA
そうですね。結構、最初の段階から絵文字を付けてもらっていることは知っていました。ファンの子が名前の横に絵文字を付けてくれていて、亀が付いていたら「あ、JUNONくん推しだ」とか。最近は一目で分かります
RYOKI
俺なんでプードルなんだろう
SOTA
実はちょっと気になっていたことがあって、僕とSHUNTOだけ動物じゃないんですよ。特にSHUNTOはやばいですよね。キャップ
──動物に変えたいということですか?
SOTA
僕、ダンサーネームがSOUCHIN THE DAVRYUだったんで、DAVRYUから取ってずっとリュウでやってきたんですよ(笑)。ダンサーの絵文字が短ランに見えるもちょっと気になる
──SHUNTOさんは?
SHUNTO
僕は不満はないですね
一同(笑)
RYOKI
俺のプードルの理由がいまだにわかんない
SOTA
一番最初に、犬のスウェット着てた
RYOKI
あぁ〜
JUNON
ペンギン(MANATO)は?
SOTA
ペンギンっぽくない?
MANATO
そういうことなの?みんな、ぽくてそのマークになってるってこと?
SHUNTO
俺、帽子っぽいかな
■SHUNTOとRYUHEIの「ある夜」
──SHUNTOさんとRYUHEIさんへ聞きたいことがあったんです。96BLACKのパフォーマンスの後、「ある夜」の会話から関係性が変わったと仰っていましたが、どんなシチュエーションだったんですか?
RYUHEI
僕が、SHUNTOに魔法をかけちゃったんですよね(笑)。SHUNTOから「自分に自信がなくなってきた」って話を聞いて、色々と話しをしていたら、意外と考えていることが同じだったんです。意思疎通し合って、それぞれの良いところをちゃんと理解して再確認できたというか
──SHUNTOさんは「なんだこいつ」って思ったんですよね。
SHUNTO
僕がその時は17歳で、RYUHEIは14歳だったんですよ。自分が14歳の時、何考えてたかなって思い返したら、何も考えずに友達と遊んでたなって。高校生と中学生で、考えていることが一緒だったから「なんだこいつ」って思ったんです。しかも「俺はこうだと思うからSHUNTOなら絶対大丈夫だよ」ってアドバイスまでもらって。初めて年下に励まされた。良い意味の「なんだこいつ」です
RYUHEI
僕自身、他の人のことを考えすぎるタイプだから、色んな人の意見を聞いてきて、一つの意見が正解じゃないっていうことも自分自身学んできていたんですよね。SHUNTOにはSHUNTOなりの考え方があるし、それを否定するつもりもない。でもこういう考え方もあるよっていうのも伝えたかった
LEO
絶対生年月日偽ってるんだよなぁ
SHUNTO
どうする?20歳になった時に本とか書いてたら
LEO
やだ〜。『俺の20歳までの道のり』みたいな?やだ〜
■“頂点”は大前提「自分たちがカルチャーを作る」
──では、これからのグループとしての目標を教えて下さい。
LEO
社長が常に掲げている日本の頂点、アジアの頂点、世界への挑戦権というのは、僕らが叶えなければいけないし、叶えるべくして生まれたグループだと思っているので、達成するのが責務。成し遂げるのが大前提なので、その先に、自分たちがカルチャーを作るっていう目標があるんです。J-POPってどういう色?って言われた時に、その色に自分たちがなれたらすごくいい。他のアーティストさん達からは強い目で見られてしまうかもしれないですけど、僕たちはあくまで自分たちの音楽を色んな人に聞いてもらって、その上でそれが結果になっていければいいなと思っているので、たくさん愛し続けてもらえるようなアーティストでありたいなと強く思っています
──最後にファンの方へのメッセージをお願いします。
MANATO
いつも応援してくださってありがとうございます。オーディションの時から応援してくださっている方も、何かをきっかけに僕たちを知ってくださった方も、これからライブや色んなコンテンツで出会う皆さんと過ごせる時間が待っていることを本当に嬉しく思います。今後はライブが増えていきますので、皆さんの前でパフォーマンスできることを楽しみにしていますし、僕たちのパフォーマンスをしっかり肌で感じてもらいたいです。僕たちはもっともっと、これからどんどん大きくなっていこうと精一杯頑張るので、これからも応援をよろしくお願いします!