「LIFE」ヒット後に借金2億円→自己破産寸前に。元キマグレン・クレイ勇輝の今
R25世代のみなさん、「キマグレン」を覚えていますか?
神奈川県逗子市を中心に活動していた2人組のユニットで、2008年には代表曲「LIFE」で『NHK紅白歌合戦』出場を果たしています。
実はその片方のKUREIことクレイ勇輝さんは現在、会社役員でもあるんです。
【クレイ勇輝(くれい・ゆうき)】 1980年、新潟県生まれ、神奈川県逗子育ち。幼少期はカナダ、ヨーロッパで過ごす。2005年に海の家ライブハウスを立ち上げ、同年「キマグレン」を結成。2008年メジャーデビュー、「LIFE」のヒットで紅白歌合戦出場。2015年に「キマグレン」は解散し、現在は事業家、アーティスト、プロボクサーとして活躍中。取材には、愛犬のモナカも同席していました
今回は、アーティストとしてではなく、ビジネスマンとしての彼の素顔と、これまでの壮絶すぎる歩みに迫りました。
〈聞き手=ライター・楳田佳香〉
医学部出身のエリート街道から脱して始めた海の家
楳田:
クレイさんって、正直「キマグレンの人」というイメージしかありませんでした。
まさか会社役員になっていたとは…
クレイさん:
逆です。僕はもともとビジネスマンなんですよ!
23歳のときに自分で会社を立ち上げて、ライブハウスの経営を始めたんです。「キマグレン」はその後なんですよ。
楳田:
そうだったんですか!? 意外です。
起業したきっかけはなんだったのでしょう?
クレイさん:
もともとアメリカの大学の医学部に行っていて、そのあとは日本のスポーツチームのドクターになるはずだったんですよ。
でも、直前で内定辞退して…
楳田:
えっ…アメリカの大学の医学部ってスーパーエリートじゃないですか!
しかもスポーツドクターとして内定も出ていて、それを辞退しているなんて!!
なぜそんな方向転換を?
クレイさん:
就職前に、たまたま地元の逗子海岸で大学時代の後輩と出会ったんです。
彼はすでに某テレビ局のADをやっていて、番組の企画として僕の地元に来ていたんですよ。
そこで進路の話をしたら「勇輝くん、すごくまともな感じになっちゃってつまんないよね」って言われて。
それがすごく刺さりました。
楳田:
安定した人生を送るのが、自分らしくないと?
クレイさん:
僕はもともと水泳選手になりたかったんですけど、中学生のときにケガで泳げなくなっちゃったんです。そこから目的を失っちゃっていて。
大学も特にやりたいことがなかったので、親も納得しそうで、自分もちょっと興味がある、という理由で医学部を選びました
楳田:
(それで医学部に受かるのもすごいと思う…)
クレイさん:
だからその後輩に指摘されて、「たしかになんとなくで進路を決めるのはちげぇーな」って思って。
もともと大きなことをやりたい性格だったし、音楽も海も好きだった。
それで「海の家みたいなライブハウスを作ろう!」って決めたんです。それが「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」の原型。
楳田:
その決断に周囲からの反対はなかったんですか…?
クレイさん:
ありましたね。親には勘当されました。
両親はすごく厳しかったので「医学部までいったのに、そんな適当な理由で辞めるとかいい加減にしろ!! もう出ていけ!!」と言われて…
しばらくは5万円で買い取った中古の「ワゴンR」に住んでいました。
海の家ライブハウスのオープンは大失敗。24歳で7000万円の赤字を背負う
楳田:
でも、海の家の経営はゼロからのスタートですよね?
クレイさん:
そうです。何から始めていいのかわからなかったので、海の家を作るための利権関係について市役所で教えてもらいました。
あとは、出資してくれる会社を探しましたね。
楳田:
そんなところから…お金もコネもなくて、よくオープンできましたね。
クレイさん:
自分で企画書を作って企業を訪問したり、知り合った経営者の方とパイプを作ったりするのが向いていたんですよ。
1人でいきなり企業訪問とか、すごいやってましたね。
「日本にはまだ海でのライブハウスは少ない。だから新しい日本のビーチカルチャーを一緒に作りませんか?」って提案しまくって、あっという間に出資金は集まりました。
楳田:
(エピソードから優秀さがあふれ出ている)
クレイさん:
でも、実際にオープンしてみたら、土地代とか建築費とかアーティストへのギャランティーはなんとかなったんですけど、広告宣伝費の見立てを立てることできず、想像をはるかに超える額だったんです。
結果として、24歳で7000万円の赤字プロジェクトを生んでしまいました。
すべて丸投げだった。「キマグレン」のメジャーデビュー秘話
楳田:
「キマグレン」はそんな借金を背負っていたときに、メジャーデビューされたんですよね。
どうしてそんなタイミングで始めたんですか?
クレイさん:
もともとISEKI(キマグレンのメンバー)とは趣味で、自分たちのライブハウスのステージに立っていたんですよ。
そしたら、たまたまブッキングしたアーティストのプロデューサーから「メジャーデビューしないか?」と声をかけられて。
当時、来月の返済分をどう稼ごうかということでいつも頭がいっぱいだったんで、「やりたいんだったらどうぞ。僕らは『音霊』の経営がやばいんで、すべてお任せします」って丸投げしました。
楳田:
その結果…「LIFE」が大ヒットしたと。
クレイさん:
そうです。auのCMソングに使われることが決まって、Mステでも歌うことになって、あれよあれよという間にブレイクしたんですよ。
楳田:
そして紅白歌合戦にまで出場されたんですね。借金もそこで返せたんじゃないですか…?
クレイさん:
はい。「LIFE」のブレイクがあったことで、こちらから営業しなくても自然と「音霊」への協賛が決まったり、いろんな仕事の案件が増えたりしました。
その結果、5年間背負っていた借金を返済できたんです。
すべての借金を返済できたと思ったら…今度は借金が2億円に
楳田:
「LIFE」のヒットですべての借金を返して、そこからはかなり順風満帆だったんじゃないですか?
クレイさん:
いや、実は2011年の東日本大震災の影響で、「音霊」は逗子海岸から撤退しなければならなくなりました。
それで由比ヶ浜に移転したんですが、移転の引越し費用と、権利費用がこれまでの比にはならない額になって。
楳田:
まさか…
クレイさん:
最初は何とかなるだろと思っていたんですけど、2014年の10月頭くらいに経理から「ちょっと支払いがやばいかも」って話が出てきました。
そのときは数千万くらいだって話だったので、「どうやって工面しようかな」と考えていたんです。そしたら、借金が「億を超えそうだ」って話になり…
楳田:
怖い怖い怖い。
クレイさん:
すべての金額がはっきりしたら、借金は2億円でした。
なんと…
クレイさん:
数千万円の借金だったら経験があるので、「出資を募ってみるか」とか「違うフェスを企画してみるか」とか、考える余地がありました。
でも、さすがに借金が億を超えてくるとこれまでの解決策と違ってくる。
買収先を見つけてM&Aするか、自己破産か。その選択肢しかありませんでした。
M&Aか自己破産か…究極の2択を迫られる
楳田:
究極の2択ですね…まさに生きるか死ぬかのような…
クレイさん:
2014年10月に借金が発覚して、年末が返済の締め切りだったんです。
約3カ月で買収先を見つけないといけない。これまで知り合ってきた経営者たちに片っ端から連絡をとって、現状を話しました。
ときには、「今から福岡に来られる?」って言われたら、すぐに飛行機に飛び乗ることもありましたね。
そしたら12月の頭にある企業の方が「買収できるかも」と手を上げてくださったんです。
楳田:
おお…! これまでのクレイさんの人脈が生きた瞬間ですね!!
クレイさん:
はい。すぐにその企業の役員会でプレゼンさせていただきました。
そして、年内最後の役員会で買収をするかどうか決まると。
楳田:
結果は…
クレイさん:
その日の朝、社員みんなで鶴岡八幡宮にお参りに行って、近くのミスドで、机の上に携帯置いて連絡を待ったんです。でも電話はならなかった。
結局、その日の夜の9時くらいに「クレイ、ダメだった」って電話が来ました。
さすがにこれには愛犬モナカも遠い目…!?
楳田:
聞いているだけで胃が痛いです。それで結局、自己破産に…?
クレイさん:
その覚悟をしましたね。実家に電話して、「ちょっと部屋空けといてくんない? 実家帰んなきゃいけないわ」って伝えて。
近所のピザ屋の前を通ったときは、「この店でバイトさせてもらえるかな…」みたいな気持ちになってました(笑)。
楳田:
結局、それからどうされたんですか?
クレイさん:
その企業の役員の方が「年明けに、もう一度説得してみる」と言ってくれたんです。
なんとか返済を待ってもらえるように説得して、その結果を待つことにしました。
楳田:
(ドキドキ…)
クレイさん:
社員のみんなで鶴岡八幡宮に行ってお参りしてから事務所に帰ると、電話がかかってきて「クレイ! 通った!」って連絡がありました。
そして、その日のうちに借金分の金額が会社に振り込まれて、すべて返済することができたんです。
楳田:
なんてドラマティックな展開!!
自己破産寸前でも、明日どう生きるかってことしか考えていなかった
楳田:
今、クレイさんがこうしてインタビューを受けてくださっているのが奇跡のようですね。
当時の心境がはかりしれないのですが、実際のところどうだったんですか…?
クレイさん:
うーん。さすがにこれまで積み上げていた自分の会社がゼロになる…と思うと辛かったですよ。
でも、「それもまた人生」って思ってました。僕の人生ってこれまでにもいろんなシーンがありましたから。
医学部に入ったのに辞めて起業したし、借金を背負っても音楽で頑張って返したこともありましたし。
もし仮に自己破産してゼロになっても、「映画にしたら面白そうだな」ぐらいの感じだったんですね。
楳田:
…さすがにポジティブすぎません?
2度も多額の借金を背負っていて反省とかしなかったんですか?
クレイさん:
反省とか落ち込むことって、自己満でしかないと思ってるんですよ。
当然、失敗から学んで繰り返さないようにする必要はあるのですが、立ち止まって落ち込む必要はない。
結局、目の前の課題を解決するように生きる、ってことに変わりないなら、落ち込んで立ち止まるよりも、次どうするか考えようぜって思うんですよね。
今回だったら、「もし自己破産したら、ピザでも焼いて生計立てる」とか!
楳田:
冗談じゃなかったんですね…
どん底でもポジティブでいられるのは、「知的武装」をしているから
楳田:
正直、今回のインタビューでのクレイさんからの「学び」は、やはりそのポジティブさだと思います。
どん底にいても、ポジティブでいられる理由って何なのでしょうか?
クレイさん:
最悪の選択肢をリアルにイメージできるくらい調べておくことですね。
僕は、ビジネスマンは「知的武装」をする必要があると思っていて。自分の人生での最悪のシーンをちゃんと理解しておく必要があると思っているんですよね。
たとえば自己破産したら人生終わりだって思うでしょう?
楳田:
思います。普通の人だったら、失踪とかあらぬ方向に行ってしまいそうな気も…
クレイさん:
僕は自己破産が選択肢のひとつになったとき、すぐに弁護士に相談しにいったんです。
そこで、自己破産になったらどんな制限がかかって、どんな弊害があって、どれだけの人に迷惑をかけるのかを教えてもらいました。
そしたら、もしそうなったらどうしようか?って先のことを考えられるようになったんですよ。
楳田:
なるほど…ネガティブ思考になるのは、想定できる未来をちゃんと理解できていないからだと。
クレイさん:
そうです。ポジティブでいられるのって、ただ何も考えていないんじゃなくて、最悪の状況をちゃんと把握しているからなんですよね。
もちろんその状況を避けるにこしたことはないんですけど、最悪な状態も見据えて行動することが自分を保つ方法かなと。
クレイさん:
僕が二度の借金で学んだことは、自分のメンタルを保つことがいかに大切かということ。
保って冷静に考えた先にしか解決策はない。保たないと冷静に考えられなくなって、正解が見えなくなってくんですよね。
それに、落ち込んで病んじゃっている人には、誰も近づこうと思わないじゃないですか?
自分のメンタルを保つためにも、「知的武装」が必要なんです。
テレビでは「ポジティブバカ」とも呼ばれていたクレイさん。
ただ、そのポジティブさにはちゃんとした裏付けがあって、決してバカとは呼べないキャリアを歩んできていました。
最後に、会社役員、アーティストに加えて、ボクサーとしての顔も持つクレイさんに、今後やってみたいことを聞いてみると、「飲食店の経営もやりたいし、食品の卸もやってみたい。ボクシングでタイトルマッチに挑戦したいし…やりたいことしかない」という言葉が返ってきました。
心身ともにタフで、立ち止まることがないクレイさんの今後のチャレンジにも要注目です。
〈取材・文=楳田佳香(@tominokoji)/編集=福田啄也(@fkd1111)/撮影=森カズシゲ〉
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