類稀なテクニックで攻撃を組み立てた中村。味方の良さを引き出しながらチャンスを演出したが、この日は湘南の堅牢な守備を崩し切れなかった。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

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 その瞬間、ほとんどの人が「なぜ?」と疑問に思ったのではないだろうか。
 
 湘南との神奈川ダービーで1点ビハインドの横浜は69分、PKのチャンスを得る。齋藤のシュートがエリア内にいたパウリーニョの手に当たると、主審はPKスポットを指差した。
 
 転がっているボールを拾ったのは齋藤だった。その近くには背番号10がいたが、齋藤は手にしたボールを中村ではなく、カイケに渡した。
 
 1-2で敗れた前節の広島戦で、同点弾となるPKを決めたのは中村だった。それだけに、FKやCKを含め、チームのセットプレーの全権を握る中村がこのPKの場面でもキッカーを務めると考えるのは、至極当然なことだろう。
 
 しかし、世界も認める“魔法の左足”を持つ男は、PKを蹴らなかった。
 
 なぜか――。理由はいたってシンプル。チームの中で明確なPKキッカーは決まっておらず、この日はカイケが志願したからだ。
 
「前回はナカムラがPKを蹴って、しっかりと決めているけど、自分も日々、トレーニングをしているし、周りもそれを見ている」(カイケ)
 
 そうした背景があるなかで、中村がカイケの要望を受け入れたのは、「点を取ることでFWはノッてくる」と言う中村なりの考えがあってのことだ。
 
「今チームには“不動のFW”がいない。だから、起爆剤というか、なんとかノッてほしかった。『俺が蹴る』っていうのもアリだけど、譲ったというか、自然と」
 
 湘南戦、カイケは先発から外れ、ベンチスタートだった。本人からすれば、悔しい想いもあったし、途中出場のチャンスを得て、アピールしたい気持ちもあったはず。そんなカイケの心情も中村は感じ取っていたに違いない。
 
 キッカーを任せられるだけの理由もあった。「(カイケが)PKの練習をしている時、蹴り方も、膝下の振りも良かった」。普段からコミュニケーションを密にしているようで、「『試合中に(PKに)なったらどうしたい?』って聞いて、『蹴れるんだったら蹴りたいけど』とか、そうやってお互いにリスペクトし合っている」から、信頼もできた。
 
 湘南のGK村山からすれば、中村がキッカーでなかったことに安堵したようだ。カイケだから安心した、というわけではない。この重要な場面で、“中村俊輔”という存在がゴールを決めた後の展開を危惧していたからだ。
 
「俊輔選手に決められていたら……。エースというか、チームの中心選手が決めると、そこでガラッと勢いが出てくるから」(村山)
 
 百戦錬磨の中村にとって、自らの影響力は十分に理解しているはず。それを差し置いてでも、カイケが自信を付けること、またそうすることでチーム力がさらに高まることを見据えて、キッカーを託したのだろう。
 
 チームメイトの成長を促すことは、腕章を巻く中村のなかでは重要なテーマと位置付けているはず。とりわけ、遠藤や富樫、新井らルーキーに対しては、気持ち良くプレーさせようという気遣い・気配りが見て取れる。
 
「それは普通のこと。ミスしたから、別にどうこうじゃない。だって、1年目でしょ。試合に出られるだけ凄いんだから。(遠藤)渓太とか、(プレー自体が)よく見えないかもしれないけど、ずば抜けたものを持っている。監督の指示があるなかで、こういうのもあるよ、お前の良さはこういうのもある、とかね」
 
 29分、サイドから中にドリブルを仕掛けた遠藤は、フリーランで外に開く動きを見せた中村を“無視”して、そのまま思い切り良くミドルを放つ。ボールは枠を捉え切れなかったが、中村は自分のポジションに戻りながら、遠藤に対して“それでいいよ”と言うように拍手を送っている。
 
「(自分の動きが)見えていなかったのかもしれないけど(笑)。でも全然、良いでしょ。普通の選手だったら、シュートモーションまでいけない。ポジティブに捉えないと。自分もそういう風にしてもらったし」
 
 湘南戦でチームトップの総走行距離(11.965km)を記録したのは、37歳の中村である。誰よりも上手い選手が、誰よりも走りながら、チームのことを考えている。
 
取材・文:広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)