ご存じの通り、北朝鮮は今年2月に3度目の核実験を行い、米国などからカネと食糧援助を引き出そうと画策した経緯がある。
 ところが、これが原因で米中関係を重んじる中国が国連の要請を受け入れ、経済制裁を食らうハメに陥ったのだ。
 「慌てた北朝鮮側は5月に金正恩第一書記の特使として崔氏を訪中させたが、中国側は『制裁解除を訴えるなら、非核化への具体的行動を取れ!』とけんもほろろ。その後も経済制裁を解かなかったことから、北朝鮮は経済がパンク寸前にまで追い込まれてしまったのです」(政治部記者)

 この時期、北朝鮮は経済立て直しのために観光に力を入れだし、日本などとも対話姿勢を見せ始めていた。だが、中国の強靭姿勢が原因で経済がさらに疲弊し、国家存亡の危機に陥ったというわけだ。
 前出の北朝鮮ウオッチャーがこう明かす。
 「同時に5月に崔氏が訪中した時の中国側の対応も、目に余るものだった。というのも、同時期には韓国の使節団も訪中したが、中国政府は非公開を条件に、韓国の合同参謀本部議長の鄭承兆議長と、中国人民解放軍幹部の范長龍国家中央軍事委員会副主席が会談。さらに晩餐会を開いて『世界の3大銘酒』とされる茅台酒を振舞い、両国の友情を誇示したのです。ところが、崔氏は散々予定を変更された揚げ句、習近平国家主席と会談にこぎつけたが、申し出た中朝軍事合同演習も即座に断られたほどだったのです」

 要は、中国側が手のひらを返したような対応をしたことから危機感が倍増。「柔軟路線を捨てて、強硬路線に舵を切り直すべし!」とする機運が急速に高まりだしたのである。
 前出の全国紙の在韓特派員がこう語る。
 「つまり、金正恩第一書記は屈辱と危機感から強硬路線を模索しだした。ただ、その際に邪魔者となり始めたのが中国との融和路線を提唱する張氏だったため、崔氏と謀って側近らを銃殺。張氏を失脚に追い込んだというのが真相なのです」

 実際、北朝鮮は崔氏訪中後から、ミサイル外交に再び舵を切る方策を着々と進めてきたと見られている。その軍備増強の様子は、すでに米韓の情報機関がキャッチしていた。
 前出の国際部記者がその全容をこう明かす。
 「韓国『国家情報院』には、『夏から秋にかけて北朝鮮の軍事態勢が大幅に変更された』との情報が寄せられていたという。それによれば、38度線から100キロ圏内に朝鮮人民兵力の70%--およそ90万人の兵士を集結させた。さらに、同地域には8000基の長距離砲と2000台の戦車を配備。明らかに南進(韓国進撃)を見越した戦備を固めていたのです」