日本維新の会・石原慎太郎共同代表が入院したのは2月27日のことだった。カゼということだが面会謝絶となり、退院の話も聞こえてこない。永田町では重病説が流れ続けている。橋下徹氏と国会議員の間で不協和音が聞こえてくるだけに、慎太郎氏が倒れれば維新分裂の時勢となる。極秘のカーテンの奥にある真実とは──。

 病室の扉に掲げられた「面会謝絶」の文字。その奥でベッドに身を横たえているのは、日本維新の会・石原慎太郎共同代表(80)だ。政治部記者が語る。

「2月12日に国会議員復帰後、初めて衆院予算委員会の質問に立ちました。しかし、その後、体調を崩し、都内の病院にカゼをこじらせて入院。2週間程度の予定でしたが、退院の話は聞こえてきません」

 日本維新の会の国会議員、大阪維新の会の府議会議員に尋ねても、

「本当にわからないのです」

 と答え、その病状はようとして知れない。

「年齢が年齢だけに、永田町でまず疑われたのが肺炎でした。高齢でカゼをひくと肺炎を起こすケースはよくあります。通常は人工呼吸器を取り付けるのですが、本人は外部と電話で話をしています。機械を付けられたら話はできませんから否定されました」(前出・政治部記者)

 ヨットが趣味で健康に見える石原氏だが、心臓が弱いという話もある。11年の都知事選時には出馬・不出馬で揺れながらギリギリまで明言せず、こう答えた。

「天皇陛下がお聞きになっても答えられない」

 この発言の背景を、政治ジャーナリストが振り返る。

「この時、奥さんの典子さんが体調を悪くして倒れました。慎太郎さん本人も検査を受け、心臓が若い時より弱っていることがわかった。病気で気弱になった典子さんがそれを知り、『2人で病気になったら誰が面倒を見るの? 次の選挙はやめてください』と懇願された。そのこともあり、なかなか出馬を決断できなかったのです」

 石原氏は過去にも重病を患ったことがある。雑誌「プレジデント」(01年8月13日号)では、ベトナム戦争を取材したあとに発病した病気についてこう明かしている。

〈物凄い怖い目にも会ったりしました。そのせいでしょう、神経が消耗し疲れはてると発病するという、戦争につきものの肝炎に感染してしまった〉

 帰国後、だるさを感じながらも景気づけに酒を飲み続け、突然、高熱が出て嘔吐し、肝炎の診断をされたという。ある医師が、その危険性をこう指摘する。

「肝臓ガンによる死亡者数はこの25年で3倍に増え、年間3500人前後が亡くなっています。肝臓ガンの約9割が肝炎ウイルスの感染者です。石原さんがどのタイプの肝炎かはわかりませんが、B型肝炎からの肝臓ガンは肝臓ガン全体の10〜15%、C型では実に75%を占めています」

 はたして、石原氏は不治の病に冒されてしまったのか──。