それは神山健治監督が、押井守監督に向けて書いたラブレターのはずの脚本だった。現在公開中の『009 RE:CYBORG』は石ノ森章太郎の未完の大作に独自のアレンジを施し、「神とは何か」というテーマに挑んだ意欲作。それが生まれるまでには様々なやり取りがあったのです。『アニメスタイル002』と『文藝別冊 神山健治』のロングインタビューも必見。

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「今回の『009』はそもそも押井さんが監督して、僕が脚本を書くということが早い段階で決まっていた。なので、最初は押井さんへのリスペクトというか、ラブレターのつもりで書いたわけです」
『アニメスタイル002』で、『009 RE:CYBORG』の監督である神山健治はそう語りました。
 
現在、映画『009 RE:CYBORG』が上映中です。
何と言っても見所はその3D映像美。
ピクサーなどで見られる海外のリアル路線3Dではなく、完全にセル画に寄せた3D映像作りで徹底しており、極めて日本アニメーション的。制作は3D制作スタジオのサンジゲン。
通常の3Dアニメと違い、1秒あたり8枚の絵で動く日本セルアニメにあわせたことで、3Dの違和感なくいつも見ているアニメーションのような映像になっています。
3D立体映像としても公開されており、そちらのほうがアクションシーンは楽しめます。

いやー、魅せ方がめちゃくちゃうまいんだ。
009といったらサイボーグですよ。サイボーグの活躍が見たいじゃないですか。
特に009、島村ジョーといえば加速装置ですよ! 自分だけ周囲よりも何倍も早いスピードで動く特殊能力。
3Dであることを最大限まで生かしながら、グルングルンと視界を回し、ジョーの活躍を描きます。
その他のキャラクター達はデザインも性能も大幅に、スクリーン映えするように大胆にアレンジ。
とんがりっ鼻の002ことジェットは見た目もがらっと変わり、イカしたアメリカ人に。ジョーとの確執を持ったまま苦悩する音速ジェットサイボーグっぷりが描かれます。
また、ヒロインである紅一点の003、フランソワーズは、視覚・聴覚がすぐれた索敵型サイボーグでしたが、その能力は大幅アップ。ハッキング能力を身に着けて、超強力なレーダー役にまで発展しています。この描写がまた気持ちいいくらいによく描かれています。

さて、他のキャラ、004の全身兵器アルベルト、005の豪腕ジェロニモなどなど、9人全員に活躍の出番がある……と言いたいところなんですが、そうでもない。
00ナンバーのサイボーグたちの活躍を描いたエンタテインメントなの?と聞かれたら、間違いなくエンタテイメントなんですが、『アヴェンジャーズ』みたいなカタルシスを求めるとすごい空振りをする作品です。
ジョーやジェットを見ていると、確実に映画としての爽快感や楽しさは詰め込んでいるのがわかります。しかし「サイボーグ9人が集まって何かを解決するハッピーエンド」な作品では全くないのです。
映画館を出る時ほとんどの人が首を傾げていました。狐につままれた顔、とでもいいましょうか。

物語のスタートは世界同時多発テロからはじまります。
この時ジョーは009であることを忘れていて、本人が自爆テロを実行する寸前なんです。えっ、なにそれ。
もう今にも……というところを、ジェロニモとフランソワーズによって覚醒させられて、やっと009であることを思い出す。
実は自分は何回も高校生を記憶ごとリセットされてやり直して、もう27年もたつのだ、と。

この話は、2012・13年のサイボーグ009の物語、リアルタイムなんです。
27年、というのは、石ノ森章太郎が最後に描いた『サイボーグ009』の「時空間漂流民編」が1985年だから。
全員、見た目こそ老けないものの、27年でばらばらに暮らし、個々の活動をしているんです。
だからアメリカ人のジェットはアメリカ国家安全保障局NSAの一員として独自にテロの調査をしている。すでにメンバーと一緒に活動してないんです。
007のグレート・ブリテンは変身能力を生かしてイギリス情報局でスパイをしています。
006の張々湖に至っては、世界規模の料理店を経営する大富豪になっており、ギルモア博士ともめたりして距離をおいています。
残っているのは001の赤ん坊イワン、フランソワーズ、ジェロニモだけ。

テロと言えば、思い出すのも恐ろしい例の事件が脳裏に浮かぶわけですが、作中ではっきり語られます。「9.11」と。
えっ、そんなの出しちゃうの!?と思ってみていたんですが、『サイボーグ009』ってベトナム戦争ネタとかもリアルタイムで描いているんですよね。
なので、そこは石ノ森章太郎イズムを継いでおり、2012年の今の世界の不安をそのまま描いています。
アメリカのペンタゴンも襲撃を受け、世界のトップは外部からも内部からもあっさり崩壊します。
世界の著名ビルは破壊されたくさんの人が死にますし、核爆弾も投下されて一瞬にして人間の命が消滅します。
考えうる、もっとも恐ろしい出来事が次々に起きてしまう。

なのに、そもそもサイボーグ00ナンバーは全員そろうシーンは一切ない。
みんなで集まって世界を救うぜ! この世界を地球を人類を守るぜ、なんてシーン、ないです。
ペプシNEXの宣伝ではユニークなサイボーグの姿が描かれていますが、そんなもんどこにもない。
こんなノリだったら幸せだったのにねー。
それどころか、誰かのために戦っても誤解される始末ですよ。
登場はしても、能力を一回も使わないサイボーグすらいます。これにはたまげた。
むしろ、9人がそれぞれ個々に悩んでいるシーンがひたすらに多い。
その悩みが積み上げられて、つながって、一つの巨大な謎になっていく。
神とはなにか、人はなぜ行動をするのかという巨大すぎるテーマです。
世界で起きている恐ろしいことよりも、もう一段階高いところの話が、コツコツと描かれます。

この手法は、非常に押井守的です。
『うる星やつらビューティフル・ドリーマー』をはじめ、『攻殻機動隊』『イノセンス』『機動警察パトレイバー』など、作品を器として使い、自らが描きたいものを観客に訴えかける。
この手法は非常にユニークでインパクトも強く、多くの押井守フォロワーを産みました。
神山健治は直接的ではないですが、心の弟子として押井守について来ました。その中で作った『攻殻機動隊S.A.C』『東のエデン』は高く評価されています。
では『009』も、神山健治が脚本を書いて押井守が撮ればよかったのではないか。
ここが、『009』がひとつの作品として完成された、なんというか……運がいいのか悪いのかわからない、運命の采配のような力が働いた結果なんです。

インタビューの中で、押井守がエンタテイメントに興味を失っていることを、神山健治は語ります。

「そのテーマ(「神」とはなにか)にもう一度挑むのなら『009』であれば容れ物として最適なんじゃない?と。ペンディングされたオリジナル企画の要素も入れ込みながら、うまくやれるんじゃないの、と。ただ、プロジェクトがそこまで見えてきても、押井さんはまだエンタテイメントをやる気がない」

「今回は「提示された脚本で撮りたくない!」という感情だけで、脊髄反射で全部ひっくり返した。味方をしてくれている高橋さんに対してさえ「そもそも『009』の企画を自分にもってきたこと自体が間違いである!」と一喝しはじめたわけです(笑)。で、今更009が普通に出てくる話をやっても意味が無い!と言い放った上で、自分のアイデアを滔々と述べ始めた。ギルモア博士は死んでいて、イワンは犬に脳を移植している。他のメンバーもみんな死んでいて、フランソワーズは58歳だと」

犬かー。押井守らしいですね。
神山健治は石ノ森章太郎の『サイボーグ009』の『天使編』『神々との闘い編』『地下帝国”ヨミ”編』を読み解きながら、石ノ森章太郎が生涯をかけて見つめ続けた「正義とは何か」、押井守が描く天使を引用しながら「神とは何か」という、大きなテーマに意欲的に挑みます。
それを、押井守に託して、撮ってもらいたいと。

「俺もラブレターのつもりで書き始めておきながら、結局自分が撮りたい映画の脚本を書いていたんだ、と。それはどうやら押井さんが撮りたいものではなかった。そんなわけで、この場を収めるには、もう俺が降りたほうがいいと思ったんですね。残念だけど、このホンを書き上げたことで俺はとりあえず満足だから、もう押井さんがすきなようにやったほうがいい、と」
「そしたら押井さんが「えっ、なんで降りるんだよ。やってよ!」とか言うわけ。いやいやいや、もう意味分かんねえよ!(笑)」

ほんと「意味分かんねえよ!」とこっちも言いたくなるんですが、この作家性の突拍子もない強靭さこそが、押井守の魅力なんです。
だから神山健治も頑張り続けていた。
この、神山健治と押井守のやりとり……一つはそれぞれのやろうとしていることのスレ違い、もう一つは神山健治が、心の師である押井守へのラブレターをしたためる様子、それが『アニメスタイル002』のインタビューで、長く語られています。
もうね、健気なんです。本当に押井守が好きで。押井守の影武者でもいいってくらいに思っていた神山健治が。

しかし、押井守に、神山健治のラブレターは届きませんでした。
その結果、押井守の手法を用いながら神山健治流として到達した『009 RE:CYBORG』が生まれました。
神山監督の作る「エンタテイメント」であり、「表現を追求した映像」であり、「強烈な個性を持った神山健治という作家性」が浮き彫りになった作品として、完成したのです。

『009 RE:CYBORG』は人と神の真理に挑む物語です。
同時に、正義は伝わらない、伝わっていくのは人の悪意だけという神山監督独自の感覚も反映された、不思議な作品です。
ヒーローがぼくらを助けてくれる、ありがとう、感謝しているよ、という映像に全くならないんです。
映像は爽快ですが、見たあとは爽快ではないです。
しかし見終わったあと、どうにも喉に引っかかる、妙な気分にさせられる映画です。
それを味わって欲しい。

もちろん、押井守と神山健治という二人の作家を知らなくても『009 RE:CYBORG』は楽しめるだけの映像作品になっています。
じっくりと「あのシーンはなんだったのだろう?」「あの少女はどうなったのだろう?」「あのサイボーグはどこに行ったのだろう?」と話し合うのも楽しいです。
答えは準備されていません。様々な見方ができます。
そして、神山健治という映画監督が、和製セル風3DCGアニメーションが、ここから大きくスタートする、その一歩とも言える作品になっています。
それにしても、ジョーのガールフレンドのトモエちゃんかわいかったなあ……あの子が……まさか……あんな……!

(たまごまご)