「前回のドイツ大会と言えば、高校3年生のときに練習参加していた鹿島アントラーズでヤナギさん(柳沢敦)が、メンバー発表を前に、必死でリハビリをしていたことを思い出します。『絶対に間に合わせる』というヤナギさんの姿が印象深い」

 2006年3月末に右足の骨折が発覚。約2カ月という全治を下され、ギリギリでワールドカップメンバー入りを果たした柳沢。ドイツでの本大会の印象よりも怪我と戦う柳沢の姿に心引かれたと、内田は語った。17歳の彼にとって、それくらいワールドカップは遠い存在だったのかもしれない。

 07年アントラーズに加入。1年目からレギュラーとしてプレー。U−20ワールドカップ出場、U−22代表でも活躍した。08年1月にはA代表にも選出され、1年と10ヶ月、代表キャップ数も10月10日のスコットランド戦で24となった。全33試合中、9試合を欠場しただけで、他全て先発出場。不動の右サイドバックと言っても過言ではない。

「主力だとか、レギュラーだとか、そういう存在ではまだない。いつ代表から外されるか、わからないといつも思っている」と内田。もちろん代表としてのプライドも自覚も覚悟もある。しかし、現状の自身のパフォーマンスに納得がいかないのだろう。試合中の嘔吐ももはや特別な出来事ではなくなった。「息が上がると吐き気があるんだけど、もうそれすら慣れてきた。普通の俺っていうかね(笑)」

 コンディションについて問われると「万全ではない」とはっきりと口にするものの「疲れた」ということはない。たとえ、過密日程を強いられていても、招集された合宿には参加し、起用されれば、ピッチに立つ。

「ピッチに立ったら、体調不良が言い訳にはできない。代表を辞退したいという気持ちもない。呼んでもらったのに行かないなんて、贅沢でしょう」
“贅沢”という言葉の中には様々な思いが隠されているように思う。

 16歳のころから日の丸をつけて戦ってきた。周りのチームメイトのほとんどがJリーグのクラブユースでプレーしていた。「練習が終わるとみんなトップチームの試合結果を見るんです。すでにトップチームで練習しているヤツもいた。彼らはプロになりたくて、クラブユースでプレーしている。でも僕は高校の部活。一人のんびりやっているんだなぁと思ったし、僕だけ上がないのかとも思った」

 しかし、ユース代表でも試合出場機会を伸ばし、アントラーズでプロになった。トントン拍子で歩んできたように見えるプロ生活の中にも壁は山積し、プレッシャーに押しつぶされそうになることも何度も経験している。

「プロになりたくても、俺なんかよりずっと強く『プロになりたい』と願ってもなれなかった選手もいる」

 その思いは代表に対しても同じなのだろう。アントラーズには小笠原満男をはじめ、代表クラスの選手は多い。懸命なリハビリを続けていた柳沢の背中も見ていた。だからこそ、代表を辞退するという発想は生まれない

 とは言え、ピッチ上での自身のパフォーマンスに対して不満が募っているのも事実だ。たとえ口にはせずとも疲労やコンディション不良の影響は必ずある。

「考えすぎているのか、思いっきりのいいプレーが減っているように感じる。プロ1年目はもっとガンガンプレーしていたし。だけど、自分の仕事は守備が第一だという気持ちもあるから。アントラーズでもそうだけど、守備陣が無失点で抑えれば、試合に負けることはないんだから」

 代表に招集されても常に「守備面での課題」を指摘され続けている。もちろん、足りない部分が何かというのは内田自身が最も強く意識しているはずだ。
 9月5日のオランダ戦。対面のポジションに立つロッベンとの対戦にはいつも以上に気持ちが入った。