民主党の津川祥吾前議員の東京事務所で、撤収を急ぐ政策秘書の石田さん(右)ら(撮影:常井健一)

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自民圧勝に終わった第44回衆院選の開票日から3日後の14日、国会議事堂周辺では、落選した前議員127人が議員会館から退去する作業が大詰めを迎えている。新たな当選組を受け入れるための明け渡し期限が同日夕に迫った2棟の衆議院議員会館では、廊下に書類や本を入れた段ボール箱が身の丈ほどの高さに積まれ、ごみ置き場にはまだ使えそうな食器や文具などが捨てられていた。会館周辺では、配送業者のトラックが行き来し、各事務所の秘書らが慌ただしく荷物を搬送する姿が見られた。

 14日昼、民主前職で静岡2区に出馬し、惜敗した津川祥吾さん(33)の東京事務所でも、政策担当秘書の石田敏高さん(40)と女性秘書の2人が選挙の疲れも癒えぬ中、作業に追われていた。国会議事堂や民主党本部が一望できる第2衆議院議員会館7階で、黙々と書類や食器などのこん包作業を続けながら、机や家電、プリンターなど国会に返却が必要な備品の確認に訪れる会館職員に応対。時折、あいさつに訪れる同僚秘書にファイルや封筒などの文具や備品を譲ったり、今後の身の振りについて語り合ったりしていた。

 2人は、選挙終了直後の12日に選挙区から東京に戻り、休む間もなく残務整理にあたった。石田さんは「負けたらこの手の書類は要らんかなあ」と、候補者と選挙区を駆け回って真っ黒に日焼けした顔に苦笑を浮かべながら、段ボール箱に封をした。

 国会議員は、政策担当を含む公設秘書を3人まで雇うことが認められており、公費によって給与が支払われる。公設秘書は議員同様、解散と同時に失職。今回、前議員127人が落選したことで、300人を超える公設秘書が失業した。

 “超難関”とされる国家試験で取得した政策秘書資格を持つ石田さんは、政府系金融機関や外資系コンサルティング会社などを経て、01年に民主党若手議員の秘書として入職。これまで3議員の政策立案を支えた。今後、秘書稼業を続けるには、新たに当選した議員からのオファーを待たねばならない。石田さんは「明日から“永遠の夏休み”に入ります」と冗談を交えながらも、「民主党は議席が減ったから、民主の秘書から自民に流れる人もいるでしょうね」と複雑な心境を表した。

 衆院によると、落選した前議員の撤収が完了した後、徐々に新たな当選組が入居し、東京事務所を構える。各部屋の割り当ては、衆院から各会派に委ねられ、選挙区が近い議員同士ができるだけ近くなるよう各党の国会対策委員らが配置を決めるという。【了】

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