米の値段の理由から、経済のフシギが見えてくる。


「働き方」を考えるには、「どうやって儲けるか?」という問いからも目が離せない。それを考える材料として、農業は極端で面白い。頭を柔らかくする思考実験として、少しお付き合い願いたい。

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トマトの値段と米の値段

 私は以前から、トマトなど腹の膨れない野菜が高く売れて儲かる割に、コメみたいに腹が膨れて、国民が餓死しないためにとても重要な穀物がなんで儲からないのか、不思議だった。

 そこでトマトの値段とコメの値段を比べてみると、トマト1個(約100g)はだいたいどこのスーパーでも100円くらい。他方、コメは100gに換算すると20円くらい。トマトは5倍も高く売れている。

 カロリー計算をするともっと面白い。トマトは100gで18.9kcal、コメは356.1kcal。もし同じカロリーを摂取しようとしたら、トマトはコメの100倍近くも高くつくのだ。逆に言えば、コメはトマトの100分の1の価値しか認められていないということになる。

 なぜこんなことになるのだろう? 命を繋ぐ米麦のような基礎食糧が安く買い叩かれ、野菜のように、重要ではあるけれど命に関わらないものが高く売れるのは、いったいどういうカラクリだろうか?

 経済学はこういう基本的な問いにはちっとも答えてくれない・・・と思ったら、大御所中の大御所、アダム・スミスの「諸国民の富」にとても分かりやすい例が書かれてあった。「水の値段」だ。

 水は足りないと命に関わるから、余分を確保しようとする。余分があるということは、市場原理に従えば在庫がダブついているということだ。すると、価格はタダみたいな値段に下落する。

 ところが水が足りないとなると、金銀財宝を山と積んでもコップ一杯の水が欲しくなる。それを飲まないと死んでしまうからだ。命に関わるから、市場原理に従うと価格が天井知らずに暴騰してしまう。

 このように、水みたいな「命に関わる」商品は、市場原理に乗せるとタダみたいに安い値段か、手が届かないほど高い値段か、極端な価格形成をする。

 これはコメのような基礎食糧も同様だ。コメや麦などの基礎食糧が足りないと餓死してしまう。だから不足することのないように余分を確保する。すると在庫がダブついていることになり、価格が低迷する。

 不足するとみんな食べずにいられないから価格が高騰する。皮肉なことに「命に関わる」商品だからこそ、生産農家が赤字垂れ流しになるくらいに安い価格でしか売れないのだ。

 他方、トマトなどの野菜は「命に関わらない」から、市場原理に乗せても極端な価格形成はしない。高けりゃ消費者は手を出さない。安すぎたら生産者も無理に出荷しない。だからほどほどの価格で売ることができる。

 コメや麦はそうはいかない。ある程度保存がきくため、出荷せずに置いていても在庫があることがバレてしまう。在庫があることを見越して価格が下落するから、出荷調整しても市場価格を調整することが難しい。

 しかし野菜など生鮮物は、出荷せずにいたらそのうち腐って売り物にならなくなる。在庫という概念がなく、出荷された商品の量がすべてだから、容易に市場を引き締めることができる。

 穀物は「命に関わる」からこそ、市場価格の調整が非常に難しいのだ。

農業がGDPに占める割合

 その視点で見ると、そこそこの値段で売れている商品というのは、「それがなくても死にはしない」ものが多い。スマホやパソコンは、今や社会になくてはならないインフラではあるが、持たなくても生きていくのに不都合はない。

 欲しいは欲しいけど、ないならないで構わない。そういう「命に関わらない」商品だから、消費者の心理さえうまく突けば高く売れる。全く、経済というのはアマノジャクなものだ。

 野菜はコメと比べれば高く売れる、が、それでも農業が経済全体に占める存在感は小さいものだ。農業が日本のGDPに占める割合はわずか1%程度。毎日ご飯を食べずにいられないのに、子どもにも「カラダにいいから!」と野菜を食べさせているのに、農業の総売上というのはその程度のものだ。

 ただし。日本だから農業の存在感が小さいのだ、と勘違いするなかれ。世界最大の農業国、アメリカはどうだろうか。1.2%。フランス、オランダなど、ヨーロッパを代表する農業国でも、それぞれわずか1.5%と1.7%。農業が儲からない産業なのは、先進国共通の現象なのだ。(海外農業情報。数字は2014年のもの)

 これはエンゲル係数とも深く関わっている。エンゲル係数とは、一般家庭が出費の中で食費がどのくらいの割合を占めているか、という数字のことで、エンゲル係数が高いと「食べるのに必死でお金をよそ(教育や医療、遊興)に回す余裕がない」という、貧困度を示す値ともなっている。

 農業がGDPに占める割合が1%強と小さいということは、それだけ国民が自分の稼ぎをスマホの購入やネットショッピングなどの出費に振り分ける余裕がある、つまりエンゲル係数が低くなるということなのだ。

 農業がもし経済成長のエンジンになり、GDPの5%、10%になっていくとどうなるか。なんと、食べるのに必死で生活に余裕がなくなるのだ。エンゲル係数が高くなり、食べること以外に出費する余裕が失われるのだ。

 これは農業研究者としては大変悩ましい話だ。他の産業と比べて経済的存在感を増したら国民が貧しくなるのだから。さりとて、農業が衰退し、食糧生産が不全に陥ったら、飢餓が発生する恐れがある。そうなると、食糧の価格も暴騰するから、結局国民が貧しくなる。

 結局、農業がGDPに占める割合が小さくなるくらいに他産業が元気な方が、国民は豊かな生活を送れる。さりとて、農業が衰退しすぎても国民は十分な食糧が得られず不幸になる。バランスの問題なのだ。

経済のバランスとフシギ

 では、先進国の今の状況、すなわちGDPの1%強くらいだと国民が豊かに生活できるのだとして、そのバランスをどう保つのかが次の課題になる。上述したように、米麦といった基礎食糧を作っても儲からない。なにせ、世界一の農業国、アメリカでさえ儲からないのだ。

 マイケル・ポーラン著『雑食動物のジレンマ』(東洋経済新報社)によると、カウボーイの時代(開拓時代)には1農家が生産する余剰食糧は12人分でしかなかったのが、今や129人分と、10倍以上の生産性を誇る。なのに奥さんに働きに出てもらい、自分も国から補助金をもらわないと、家族4人の生活が成り立たないと言うのだ。

 カロリーを稼ぐコメ、麦、トウモロコシといった基礎食糧は、ちっとも儲からないのだ。しかしそれを作らないことには、国民が飢えてしまうのも事実だ。

 だから、アメリカやフランスがそうしているように、基礎食糧を生産する農家には、生活を保証する何らかの補助が必要なのだろう。これらの国では所得補償を行っている。日本も何らかの手だてを打たないと、「命に関わるけど安くしか売れない」基礎食糧を生産する農家がいなくなってしまう。

 ここで、私が何度も農家から聞いた言葉を紹介したい。「こんなにコメが安くっちゃ、食っていけない」という言葉だ。

 私はなんとも、パロディめいたものを感じた。だって、食べるものを作っている農家が「食べていけない」なんて、おかしいじゃないか。

 理由を聞くと、納得できた。教育や医療に現金が必要なのだ。子どもを学校に行かせたい、おじいちゃんおばあちゃんを病院に行かせたい、そう思っても、コメが高く売れないと現金が手に入らず、ままならなくなる、というわけだ。

 ならば、基礎食糧を生産する農家は、教育と医療がタダになれば、話が違ってくるかもしれない。たとえコメが高く売れなくても、子どもの教育と親の医療や介護に心配がないなら、現金がさほど必要でなくなり、食糧も自分で作れるわけだから「食べていける」職業に変わるかもしれない。

 つらつらとりとめのないことを書いたが、経済のフシギを考える上で、農業というのは格好の考察対象だ。

・「命に関わる」商品は市場原理に乗せると安く買い叩かれる運命にある。
・市場原理に乗せても無茶なことにならないのは「命に関わらない」商品だから。
・世界一の農業国、アメリカでさえ農業はGDPの1%強。
・農業のGDPに占める割合が大きくなると、エンゲル係数が高くなって国民の生活が苦しくなる恐れがある。
・他産業が元気で、農業もGDPに占める割合が一定の範囲で元気なのが望ましい。
・基礎食糧を生産する農家は儲からない経済的宿命を背負っているので、何らかの手だてが必要。
 

 こうした基礎条件を備えていることを踏まえた上で、農業での「働き方」を考える必要があるだろう。また、農業から見えてくる経済のフシギを踏まえると、ビジネスのあり方を見つめ直すきっかけにもできるかもしれない。

筆者:篠原 信