俺たちを焦がした「夏のいいオンナ」!(4)<原千晶・クラリオンガール>初ロケのニューカレドニアで受けた衝撃

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「あさイチ」(NHK)や「ひるおび!」(TBS系)でコメンテーターを務めるなど、今もコンスタントに活躍を続ける原千晶(42)。その原点は、正統派キャンギャルにして、芸能界の登竜門・クラリオンガールにあった。

 94年に事務所に所属した直後に、さまざまなキャンギャルのオーディションを受けました。どの会場も、色白でキレイな子ばかりいましたが、当時の私は海や日サロで焼いたコギャル肌(笑)。私だけ明らかに異質で、「色が黒すぎるね」と苦言を呈されたこともありました。

 そして書類、面接、歌とダンスの審査を経て、4818分の1人に選ばれたのがクラリオンガール。

 当時はキャンギャル最盛期。同期には今も活躍している方々が名を連ね、中でもユニチカのキャンギャルだった本上まなみさんは別格! 雑誌のグラビアで隣のページに並ぶと「隣にしないでほしい」と切実に思ったほどのかわいさでした。

 初仕事はカレンダーとポスター撮影のためニューカレドニアへ。誰もいない浜辺で「これを着て」と渡されたのは、ふんどしや編み水着など、普通じゃないものばかり(笑)。衝撃を受けて一瞬、躊躇しましたが、一流スタッフに囲まれての撮影は楽しく、無事に乗り切りました。

 その後は地方のカー用品店などを回る仕事が中心。店頭でサイン会やじゃんけん大会をしていると、離れた影から私を狙うシャッター音が‥‥。怪しげな風貌のカメラ小僧さん、それが歴代クラリオンガールの追っかけで有名人だった“のりお”さんでした。

 私も先代の高田美佐さんから「各地に『のりお』が出没するけど、気にしなくて大丈夫だから」と引き継ぎを受けていて(笑)。

 ある時、ふだん接触しない「のりお」が近寄り、大きなファイルを目の前に置いて無言で去って行った。それは、彼が撮りためた私の写真集。うれしくて、今でも大事にしています。

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 原の活動は国内にとどまらず、海外へ──。休む間もなくアジア各国を回り、1年間でパスポートが埋まるほどだったという。

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 中でも、フランスのル・マン24時間レースを応援に行った時はレーサーが近藤真彦さんで、一緒に写真を撮っていただいたんです! 今でも自慢です。

 そして仕事の楽しみは地産の食! 調子に乗って飲み食いすると、4カ月で8キロも太り、ビキニの間からお肉がブニュンとはみ出すように‥‥。撮影会が迫っていたので、頑張って10キロやせました。撮影会に来るカメラ小僧さんって、「肌の調子が悪い」「目の下のクマが写る」とか、厳しい人が多くて、1度「うるさい! 気が散る!」ってキレたら、主催者が何事かと飛んできました(笑)。

 そんな気の強さは後にも発揮されました。クラリオン後の進退には、みんなが悩むところ。私には「下着あり」の写真集の話がありましたが、「下着なんて中途半端はイヤ。下着になるならヌードのほうがいい」と断固拒否すると、「話が違う!」と大人たちが怒って、立ち消えた企画がいくつかありました(笑)。

 その数年後、97年に篠山紀信先生に写真集「BORA BORA」でヌードを撮っていただくとは、この時は知る由もなく(笑)。

 現在は05年、そして09年に経験した子宮頸ガンと子宮体ガンの闘病を機に設立した婦人科ガンの会「よつばの会」の活動に力を注いでいます。悩みやつらさを共有し合い、タレントとして講演会で啓蒙活動を行ったり、会員は全国で500人を超えました。闘病のつらさに悩む方が1人でも減るように願っています。