『どんな球を投げたら打たれないか』(PHP新書)

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田中将大やダルビッシュ有が海の向こうに行ってしまった今、「球界のエース」の称号を手にする男は、金子千尋だろう。今シーズンは念願の沢村賞(最も優れた投手に贈られる)も受賞し、名実共にその地位を不動のものとしている。

そんな選手としてまさに脂がのっている金子が、自身のピッチングについて余すことなく、語っているのがこちらの本だ。『どんな球を投げたら打たれないか』(PHP新書)。

金子のピッチングは、教科書どおりでまさに「芸術的」。プロ選手としてはそこまで大きくない体(とはいえ180センチほどだが)ながら150キロほどのストレートや7種を超える多彩な変化球を投げ込む。しかもそれらすべての球が、一級品で、常に高い精度で放たれるから、もう打者はお手上げだ。
おそらく、「プロ選手の中で誰が理想的なピッチングをするか」という問いに対して、金子の名を挙げる野球ファンは多いだろう。そして野球ファンにとどまらず、多くの解説者も称賛を惜しまない。
きっと、あの桑田真澄氏も「金子くんのピッチングはいいですね〜。澤村君にもぜひ見習って欲しいですよ」と言っているはず(桑田は巨人の澤村に対して、尋常ではないレベルで辛辣コメントすることでおなじみ)。

しかし本書を読めば、そんなプロアマ問わず絶賛される金子の教科書通りの投球は、「普通の投手とは違う」いわばセオリーに反することで、完成したものであることが分かる。

野球が上手くなりたいと願う全国の野球少年のためにも、1つ例を挙げてみよう。

金子は打者と対決するときに、普通の投手とはまったく異なった意識をもっている。一般的に変化球といえば、大きく曲がれば曲がるほど打ちにくい武器となる。例えば、大魔神佐々木のフォークボールや伊藤智仁のスライダーなどの「魔球」はまさにその典型で、多くの打者に「狙っても打てない」と恐れられYouTubeでもこれらの魔球を集めた動画は人気だ。

しかし金子は、その真逆の「変化しない変化球」を理想としている。この一文だけでは、「お前は何を言っているんだ?」状態であるが、金子の言葉を聞くと合点が行く。
“すべてのボール(変化球)をいかに、変化するギリギリのところまでストレートに見せるか”
そうすることで、たとえストレートを投げても、打者はもしかしたら変化球かも? と考えてしまう。これが「変化しない変化球」の正体だ。

このように金子が人と違ったことを考えるのは、社会人時代の挫折が大きく影響している。
“同じチームにいるピッチャーのボールの速さと威力に圧倒されました”
この挫折を通して、「どうすれば打者が打ちづらくなるか」を常に考え、そのために必要なフォームなどを自分のモノとしたのであった。

金子は、魔球のような変化球や大谷翔平よろしく160キロのストレートを投げることはできない。そんな金子だからこそ、自分が生き残るためにはどうすべきか考え抜く必要があった。それは結果的に、野球の世界では非常識なことであっても、金子にとっては理想的といえるスタイルを確立させたと言えるのではないだろうか。

“思考はときに才能を超える”
この本文中に登場する一文は、まさに金子千尋の生き様である。

自身が生き残るために考え抜き、独自のスタイルを確立した金子が、皆からお手本とされるようなピッチングをしているのは、何とも面白い話に感じる。
僕たちは、お手本のようなプロのフォームや、変化球の投げ方を真似すると野球が上手くなった気分になるが、実際のところ、自分の持っているものを生かす最善なことを考え抜くべきなのだろう。
例えば、100キロのボールしか投げられなくても、60キロのボールと組み合わせることで、草野球で活躍できるかもしれないし。もちろん、すごく難しいことだろうけど。

さて、そんな金子、来年のメジャー挑戦が噂されている。ソフトバンクが金にモノを言わせて獲得するのでは、という噂もあるけれど、野球ファンはそんなことは望んでない。
なぜなら、金子がメジャーの大男たちを頭を使って翻弄する「柔よく剛を制す」ところを見たいからだ。
(さのゆう)