実はこんなにいた!プロで投打二刀流を目指した選手たち

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 東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一で幕を閉じた2013年のプロ野球ですが、ヤクルト・バレンティン選手の本塁打記録更新や楽天・田中投手の連勝記録など、いつになく話題の多いシーズンでした。 
 そんな中、最も注目を集めたのは日本ハムのルーキー・大谷翔平選手の「二刀流挑戦」でしょう。
 現代プロ野球は専門化・分業化が進み、投手の中にすら先発・中継ぎ・抑えなどの役割分担があります。そんな時代に投手も野手もやるのは無謀だという声は多く、シーズン前から賛否両論があったこの挑戦ですが、結果的には大活躍とはいかないまでも、投打で高卒ルーキーとしては上々の成績を残しましたから、大谷選手の挑戦はひとまず成功といっていいのかもしれません。
 ところで、投手が野手も兼ねるというのは戦前のプロ野球創成期だけの話だと思われがちですが、実はそんなこともありません。
 『プロ野球で「エースで4番」は成功しないのか 知られざる二刀流選手列伝』(小野俊哉/著、SBクリエイティブ/刊)を読むと、1970年代までは素質のある数人の選手が二刀流に挑戦していたことがわかります。

■永渕洋三(近鉄バファローズ―日本ハムファイターズ)
 1967年にドラフト2位で近鉄バファローズに指名されて入団した永渕洋三選手は、社会人野球時代から投手と野手両方をこなす二刀流でした。
 その起用法はプロ入り後も続き、プロデビューは投手登録だったにもかかわらず代打での登場。しかもその打席でホームランを放っています。
 その後も、野手として出場しながらワンポイントリリーフを中心に登板を重ね、1年目は最終的に109試合に出場し、打率.274で5本塁打、投手としても0勝1敗で防御率2.74というかなりの成績を残しています。
 ただ、永渕選手の二刀流はこの年だけでした。2年目はオープン戦でふるわず野手専任に。以降は外野手として活躍し首位打者にも輝いています。

■外山義明(ヤクルト―ロッテ―南海)
 外山義明選手は二刀流の可能性をかなり期待させてくれた選手だといえます。
 1969年のドラフト6位でヤクルトに入団すると、1年目は投手専任で4勝を挙げます。このまま先発ローテーションに入る投手として育成されるかと思いきや、当時の三原脩監督は、外山選手の打撃センスに目をつけ、二刀流挑戦を促しました。
外山選手も乗り気で「10勝・3割」を目標に掲げると、翌71年にすぐ結果を残すあたり、タダ者ではありません。7月までに5勝を挙げ、打率は何と.348。投打ともにハイレベルな成績を残し、「二刀流の主力選手」への期待が高まります。
しかし、この活躍は長く続きませんでした。8月に肘の故障が発覚したこともあってこの年は結局5勝11敗、野手としては打率.211に終わりました。外山選手の二刀流挑戦はここで終わりになりました。ケガの原因を「監督が二刀流に力を入れているのを知って、無理してしまったのではないか」とする向きもあり、二刀流への挑戦はケガとの戦いでもあることが改めてわかります。

■仲根正広(近鉄バファローズ―中日ドラゴンズ)
 1972年春のセンバツで4連続完投、打率.714という驚異の二刀流ぶりを発揮して優勝し、近鉄バファローズにドラフト1位で入団した仲根正広選手は、入団会見で「20勝20本塁打」と、二刀流を公約。
 しかし、オープン戦で一試合に3つのボークを取られるなどプロのマウンドになじめず、5年間で2勝8敗に終わった仲根選手は結局外野手に転向。通算189安打36本塁打、打率は.247と、入団時の期待からするとやや物足りない成績に終わっています。

 これまでに、何人もの才能あふれる選手が二刀流に挑戦したものの、投手・野手の両方をこなしながら主力として活躍できた選手は皆無であり、大谷選手が目指す道はやはりかなり厳しいといえますが、そこにロマンがあるというのも事実。来シーズン以降、彼の挑戦がどのような展開を迎えるのか、期待しつつ楽しみに見守りたいものです。
(新刊JP編集部)