【文春vs新潮 vol.18】巨人軍の「老害」、韓流ドラマ、玄葉外相と美人記者の蜜月

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[新潮]巨人軍のゴタゴタに見る組織の「老害」

週刊新潮と週刊文春のトップ記事は、いずれも巨人軍をめぐる読売新聞社内のゴタゴタに関するもの。球団代表兼GMの清武英利さんと読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡辺恒雄さん(通称ナベツネ)の確執がなぜ生まれたのかを探る内容である。

そして新潮は、トップの直後に「『老害』と後ろ指の『政治家』経営者」という記事を掲載しており、読売新聞社のみならず、多くの組織が「老害」に悩まされている実状を訴えている。冒頭で紹介されているのは、いうまでもなくナベツネさんである。

「齢85にして言論界、政界、そして球界に隠然たる影響力を保ち、球団の具体的なコーチ人事にまで介入できる」こと自体は立派なことだが、「ご本人の生きがいの充足すなわち、配下の人間の生きがいを奪うことだったりするので、老害と後ろ指をさされもする」と記事は指摘する。

つづいて、日本ラグビー協会の会長をつとめる森喜朗元総理(74)。お金がないのに「2019年にラグビーW杯を日本で開催する話を持ってきたり」、力もないのに「国立競技場の全面改修で、8万人を収容できるようにしよう」と考えたり。河野洋平全衆議院議長(74)は、1999年から日本陸上競技連盟の会長を続けている。

その他、日本サッカー協会の川渕三郎名誉会長(74)やオリックスの宮内義彦会長(76)、フジ・メディア・ホールディングスの日枝久会長(73)やキヤノンの御手洗冨士夫会長(76)などの名前があがる。ご覧のとおり、ここで紹介した方々は70歳を越えているわけだが、「なぜ、そんな歳になってまで、権威や権力にしがみつくのか」という素朴な疑問を抱く。

記事では、この老害の原因を「自分がいないとこの組織が成り立たない、と思い込むことがすべての始まり」としている。そして、老害に見舞われた組織は結果として「直接何かを言わなくても周りが勝手にその人の意を汲んで物事を決める。その過程には、気に入らないヤツは飛ばす恐怖政治もある」ような状態になってしまうと分析している。

「老害」と「世襲」は、一部の伝統芸能などをのぞき、組織にとっては「百害あって一利なし」となるものではないか。長期にわたり同じ人がトップをつとめていれば組織が硬直化することは目に見えている。また、会社を切り盛りしてきた経営者とその子どもとは別の人間なのだから、親が子どもに自分のあとを継がせる「世襲」など続けていても組織が良くなるとは思えない。

[文春]韓流ドラマの放映は「偏向」や「偏重」などではなく「苦肉の策」

文春が「テレビはなぜつまらなくなったのか」という追及キャンペーンの第2弾を掲載している。そのなかで、「テレビ局を占領した『韓流のヒミツ』」という記事が興味深い。俳優の高岡蒼甫さんがツイッターでフジテレビの韓流ドラマについて批判したことに端を発し、ネットを中心にフジテレビ批判が過熱。デモにまで発展した「反韓流」の流れは、すでに「のど元過ぎれば……」というように沈静化している。

そもそも筆者は、この問題はそんなに大騒ぎするようなことではないと批判が過熱していたときから考えてきたし、記事にも書いてきた。ちょっと考えたり調べたりすれば、それが「思想」や「ナショナリズム」の問題ではなく、経済合理性の問題であることがわかるのだから。また、多くのテレビ局が韓流ドラマを放映するなか、フジテレビだけを批判するのも全く筋が通っていない。


現在、地上波では、NHKとTBS、フジテレビが韓流ドラマを放映している。「BSにいたっては各局とも韓流依存状態」なのである。こうしてテレビ局が韓流ドラマを放映する理由はいたってシンプルだ。それは、「そこそこの視聴率が取れて、安く上げられること」(キー局ディレクター)である。

韓流ドラマの値段は安い。「放映権は1話あたり20〜30万円と激安でしたが、現在では価格が約10倍に跳ね上がったといわれます。それでも国内でドラマを制作するよりずっと安い」(広告代理店関係者)。また、「シリーズの話数が多いので、DVDの販売やレンタルでも稼げる」のも、テレビ局が韓流ドラマを放映する理由のひとつだ。

要するにテレビ局が韓流ドラマを放映するのは、どこぞの飲食店が原材料の値上がりなどの影響でメニューの構成を変えるのと同じようなものだといえる。新しいメニューが気にくわない人が増えればその飲食店の客が減り、つまらない番組を放映していればその放送局の視聴率が下がるだけの話である。

[新潮]美人記者をひいきする気分はわかるが、外相がそれを露骨にやるのはどうか

「『玄葉外相』と美人記者がお互いを『玄さま』『マリリン』」という記事で、現職の外務大臣とフジテレビの女性政治部記者との蜜月な関係を新潮が暴いている。お互いをあだ名で呼び合ったり、記者が外相を囲む懇親会のメンバーを同記者が決めていたり。

こういう話は政治家に限ったことではない。出版でいえば、男性の書き手には美人編集者を、女性の書き手にはイケメン編集者を担当にすることなど日常茶飯。まるで「方程式」のように決まり切ったかたちで成立するこうした関係性は、人間の欲望がさらけ出ているという意味で大変興味深い。

問題は、玄葉さんが外相という重要な公職についているにもかかわらず、そういう関係性を記者と持っているという点であろう。美人やイケメンをえこひいきしたくなる気分は筆者にも理解できる。しかし、国の外務を仕切る人々のトップなのだから、形式的にはそんな気分を抑えることも必要なのではないか。やるなら、ばれないようにやってください、玄葉さん。

[その他]今週の軍配は、新潮に。

【これまでの取り組み結果】

 文春:☆☆☆☆☆☆☆☆

 新潮:☆☆☆

(谷川 茂)