ユーザー事業者数30万超。約90万種類もの商品を扱い間接資材のAmazonともいえる存在がMonotaRO、流通の仕組みが遅れた分野にネットで風穴を空けた革命児である。ただし革命には旧態勢力からの抵抗が付きもの。数々の試練に打ち勝ち、上場に到った同社の歩みを紹介する。

第1回 
「メールで買ったパンツ」

■新聞をネットで読むビジネススクール

「パンツを買わないかってメールが来たんですよ。いま思えば、留学時代のあのメールがeコマースの原体験だったのかもしれません」

瀬戸社長は住友商事出身、1994年から96年までアメリカのビジネススクールに留学していた。94年といえばブラウザー・ネットスケープが登場した年であり、翌年にAmazonが創業。まさにインターネットビジネス草創期である。

「Amazonは仲間の間ですぐ話題になりました。さすがにビジネススクールともなると学内のPCはすべてネットにつながっていて、新聞もすでにネットで読むものになってた。そんなとき学内のメーリングリストを使ってパンツを売り始めた奴がいたんです」

瀬戸氏が留学していたダートマス大学はニューハンプシャーの田舎町にあり、パンツ一枚買いに行くにもクルマで出かけなければならい。メール一本でHanes製品が手に入る利便性はとても魅力的に映った。

「これからは、こういうビジネスができるんだって、目を開かれる思いがしました。言ってみればネットの下着販売ですよね。ウェブサイトこそ使ってないものの、ビジネスモデルは完全にeコマースの走りじゃないですか」

さらにビジネススクールならではの先進的な環境が、瀬戸氏のビジネスマインドを刺激した。

「自分でHTMLを書いてサイトを作る講義もありましたし、アントレプレニュアーシップといって、グループを組んでベンチャー起業するプランを競わせる講座では、半分ぐらいがネットを活用したビジネスアイデアを出していましたね」


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