日本で開催中のゴッホ展は大盛況。しかし、ゴッホの絵は生前ほとんど認められていなかった。美術史作家の井上響さんは「ゴッホは油絵の色彩において、それまでの常識を破壊。現代美術にもつながる革命を起こした」という――。

※本稿は、井上響『ムンクは何を叫んでいるのか?』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

■ひまわりが満開ではないワケ

黄色い花瓶に生けられた、黄色いひまわり。黄色い背景。画面全体が太陽のような色で満たされている。

しかし、この絵を見て「寂しい」と感じる人がいるという。明るく華やかなひまわりの絵なのに、なぜ寂しいのか?

答えは、花をよく見れば分かる。

これらのひまわりは、満開ではない。

いくつかは枯れかけ、花びらは萎れ、頭こうべを垂れている。夏の盛りを過ぎ、終わりに向かうひまわりたちだ。

なぜゴッホは、最も美しい満開の時期ではなく、枯れ始めたひまわりも描いたのか?

『ひまわり』(1888年)作者:フィンセント・ファン・ゴッホ 所蔵:ロンドン・ナショナル・ギャラリー(画像=国立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons )

1888年夏、南フランスのアルル。ゴッホは1つの夢に燃えていた。画家たちの共同体を作るという夢だ。

ゴッホは今でこそ、とんでもない価格で作品が取引される、有名で人気の画家であるが、彼が生きていた時に、売れた絵は片手で数えられるほどしかなかった。

端的にいうと、ゴッホは世間から認められていなかったのだ。

■「黄色い家」に来た唯一の画家

そんなゴッホの生活は、もちろん苦しかった。

しかし彼は信じていた。志を同じくする画家たちが集まれば、互いに助け合い、新しい芸術を生み出せると。

「黄色い家」と呼ばれる部屋を借り、仲間を呼ぶために手紙を書き続けた。その家を飾るために描いたのが、このひまわりの連作だった。

けれどそんなゴッホの夢は無惨に散る。

仲間に声をかける日々。しかし、手紙の返事はほとんどが断りだった。

ひまわりは「太陽の花」。南仏の太陽のように、明るい共同生活を送れますように――そんな願いが込められていたのだろう。

ただその一方で、彼は心のどこかで気がついていたのではないだろうか。そんな未来が決して叶わないことを。

だからこそ、この絵の中に描かれた閉じたひまわりに隠したのではないだろうか。彼の絶望を。

結局、「黄色い家」に来てくれた友人は1人だった。

そしてその友人との共同生活もわずか2カ月で終わってしまう。

ゴッホが自らの耳を切り落とすことで、その友人も去っていってしまうのだ。

もしこの絵を見て、「寂しい」と感じたなら、それはこの絵に込められた悲哀をあなたが汲み取ったからなのだ。

このひまわりには、絵が売れず、仲間も集まらなかったゴッホの悲哀が隠されている。

■異様な色彩で描いたカフェ店内

深夜の居酒屋。酔っ払った客たちがテーブルに突っ伏し、中央にはビリヤード台が置かれている。白い服を着た店主が、所在なげに立っている。

しかし、何かがおかしい。

壁が赤いし、天井が緑。床は黄色く、ランプの周りには不気味な光輪が広がっている。家具は歪み、空間全体がどこか不安定に見える。

現実の居酒屋が、こんな色をしているはずがない。

この絵の色は、すべて間違っている。しかし、ゴッホはわざと変えたのだ。

ゴッホといえば、渦巻くような筆致、ぐるぐると回る星空を思い浮かべる人が多いだろう。あの独特のタッチが彼の革新だと思われがちだ。

しかし、ゴッホの本当の凄さは、そこではない。

彼は色彩を自由にした男なのだ。

ゴッホ以前、絵画における色とは、現実世界を再現するための道具だった。肌には肌の色を、空には青を、木には緑を。見たままの色を、見たままに塗る。それが絵画の常識だった。

ゴッホはその常識を破壊した。彼は色を、感情を表現する道具に変えたのだ。

『夜のカフェ』(1888年)作家:フィンセント・ファン・ゴッホ(画像=イェール大学美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■人間が罪を犯している退廃と狂気

『夜のカフェ』について、ゴッホ自身がこう語っている。

「赤と緑によって人間の恐ろしい情念を表現しようと努めた」

「僕は《夜のカフェ》という絵で、カフェ(居酒屋)とは人が身を持ち崩し、気が変になり、罪を犯すところだということを表現しようと努めた。つまり、柔らかいピンク、鮮紅色、ブドウの搾りかすの赤のコントラストによって、また硬い黄緑と青緑とコントラストをなすルイ15世風、ヴェロネーゼ風の柔らかな緑、これら全てを地獄のるつぼと白っぽい硫黄色の雰囲気の中に放り込むことによって、居酒屋の闇の力のようなものを表現しようとした」

(引用『西洋美術の歴史7 19世紀――近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ』尾関幸、陳岡めぐみ、三浦篤著、中央公論新社)

赤い壁と緑の天井。この補色の組み合わせは、見る者に不安と緊張を与える。ゴッホはそれを知っていた。だからこそ、この場所に漂う退廃と狂気を表現するために、あえてこの色を選んだ。

現実のカフェの壁が何色だったかは、もはや問題ではない。ゴッホが描きたかったのは、居酒屋の「見た目」ではなく、居酒屋の「闇」だったのだ。

■現実にはない色彩で革命を起こした

これがどれほど革命的だったか、考えてみてほしい。

それまでの画家たちは、現実を正確に写し取ることに心血を注いでいた。いかに本物に近づけるか。いかに目に見える世界を再現するか。それが絵画の使命だった。

悲しみを描くなら、悲しみの色を塗ればいい。怒りを描くなら、怒りの色を塗ればいい。現実と違っていても構わない。空間が歪んでいても構わない。

大切なのは、その感情が伝わるかどうか。

この考え方は、後の美術史を大きく変えることになる。ゴッホが切り開いた道の先に、表現主義や抽象絵画が生まれていく。

だからこの絵の色は、すべて間違っていて、すべてが正しいのだ。

見たままを描くことが美術だった時代に、ゴッホは感情を描いた。

■一見「上手くない」セザンヌの絵

この絵を見て、どう思うだろうか。

山があり、木々があり、建物がある。しかし、何かがおかしい。

全体的にカクカクしている。

輪郭はぎこちなく、色の塗り方も粗い。

子供が描いたような、あるいは、まだ絵を習い始めたばかりの人が描いたような……正直に言って、下手な絵に見える人も多いだろう。

美術館でこの絵の前に立っても、「なぜこれが名画なの?」と首をかしげながら、足早に通り過ぎてしまうかもしれない。

『サント=ヴィクトワール山』(1902-1904)作者:ポール・セザンヌ(画像=フィラデルフィア美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

実際、この絵が描かれた当時、人々の反応もまったく同じだった。

ポール・セザンヌの写真、1899年(画像=Anniversaire Célébrité /PD US expired/Wikimedia Commons )

1903年、ある批評家はセザンヌの作品についてこう書いている。

「もしセザンヌ氏がまだ乳飲み子であれば、この落書きも許されるだろう」

(Rochefort Henri,《L’amour du laid》,L’Intransigeant, n°8272, 19 ventôse, lundi 9 mars 1903, p.1. : )※翻訳はオリジナル

しかし、こうした彼の「落書き」が、美術史を根底から変えることになる。

セザンヌは、わざとカクカクに描いた。下手だったのではない。彼にはある確信があったのだ。セザンヌはこう語っている。

「自然の中にあるものはすべて、球体と円錐と円柱に従って肉付けされる」

(引用『西洋美術の歴史7 19世紀――近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ』尾関幸、陳岡めぐみ、三浦篤著、中央公論新社)

■すべてのものを丸、三角、四角に

少し難しく聞こえるだろうか。簡単に言い換えよう。

セザンヌは、目に見えるものをそのまま描くことをやめた。代わりに、すべてのものを単純な形=丸、三角、四角に置き換えて描こうとしたのだ。

山は三角形に。
木々は円柱に。
建物は立方体に。

複雑に見える自然を、シンプルな幾何学の形に分解して、キャンバスの上で再構築したのだ。

ポール・セザンヌ『カーテンのある静物』1895年(画像=エルミタージュ美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

なぜそんなことをしたのか。

セザンヌ以前、絵画の目標は「見たままを描くこと」だった。

いかに本物に近づけるか。いかに目の前の風景を正確に写し取るか。写真のようにリアルに描けることが、優れた画家の証だった。

セザンヌは、それに疑問を投げかけた。

見たままを描くだけなら、写真でいいではないか。

画家の目と頭を通して、自然を解釈し、再構成する。それこそが絵画にしかできないことではないか。

だからセザンヌは、山をカクカクに描いた。
木をカクカクに描いた。
空さえもカクカクに描いた。

モーリス・ドニ『セザンヌへのオマージュ』1900年(画像=WikiART/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)

■セザンヌがピカソを目覚めさせた

現実とは違う。しかし、それでいい。画家のフィルターを通して世界を描き直すこと。それがセザンヌの革命だった。

井上響『ムンクは何を叫んでいるのか?』(サンマーク出版)

現代の私たちからすれば、「現実と違うように描く」ことは当たり前に感じるかもしれない。抽象画も、デフォルメされたイラストも、日常的に目にしている。

しかし当時、それは異端だった。誰もやっていなかった。

だから「落書き」と笑われ、誰にも理解されなかった。

セザンヌは、その孤独な道を歩き続けた。

彼の死後、1人の若い画家がセザンヌの絵に衝撃を受けることになった。

パブロ・ピカソ。

ピカソはセザンヌの「すべてを幾何学に還元する」という考え方を受け継ぎ、さらに推し進めた。その結果生まれたのが、キュビズムである。

1つの対象を複数の角度から同時に描く、あの革命的な手法だ。

ピカソは言った。

「セザンヌは私たち全員の父だ」と。

落書きと罵られた画家が、20世紀美術の父となった。

この絵は、その歴史的転換点を物語っている。カクカクした山は、下手なのではない。美術史が変わる瞬間を、私たちに見せているのだ。

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井上 響(いのうえ・ひびき)
美術史ソムリエ、クリエイター
東京大学文学部人文学科美術史学専修卒。「美術館が2割面白くなる解説」というTikTokアカウントをメインに、西洋絵画の背後にある物語や美術史を誰でも楽しめるように発信。2025年5月現在、SNS総フォロワーは19万人を超えている。著書:『美術館が面白くなる大人の教養 「なんかよかった」で終わらない 絵画の観方』(KADOKAWA)。
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(美術史ソムリエ、クリエイター 井上 響)