センバツの舞台・甲子園球場

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「春はセンバツから」のキャッチフレーズでおなじみの選抜高校野球大会。今年で98回目を迎えたが、長い歴史を振り返ると、グラウンド内の熱戦だけでなく、判定やプレー、応援をめぐって大きな波紋を呼んだ“場外騒動”も少なくない。今回は、そんなセンバツで物議を醸した3つの出来事を取り上げたい。【久保田龍雄/ライター】

【写真】甲子園の怪物たち

ベストの努力をした

 今でも「センバツ史上最大の誤審」として語り継がれているのが、1984年の1回戦、高島対佐賀商である。

 問題の判定が起きたのは5回裏、佐賀商の攻撃中だった。3対1とリードしていた佐賀商は、この回にタイムリーで1点を追加し、なおも無死満塁。ここで中原康博が放った打球は左中間へ大きく伸び、フェンスの4、5メートル手前でワンバウンドすると、そのままラッキーゾーン内へ飛び込んだ。

センバツの舞台・甲子園球場

 通常なら、2点が入るエンタイトル二塁打となり、なおも無死二、三塁で試合が続く場面である。ところが、打球を最も近くで見ていた二塁塁審は「ホームラン」と判定した。両軍ベンチだけでなく、スタンドの観衆やテレビで観戦していたファンの多くもワンバウンドと見ていただけに、この判定は大きな騒動に発展した。

 問題のシーンがテレビ中継のVTRで流れたあと、大会本部には視聴者から「ワンバウンドでラッキーゾーンに入ったのではないか」という抗議電話が殺到。試合後には、当該審判と責任審判が会見を行う異例の事態となった。

 その後、牧野直隆大会委員長は「事実関係を検討した結果、ワンバウンドのあとラッキーゾーンに入ったもので、審判委員の判定に誤りがあったとわかった」と誤審を認めた。一方、当該審判は「打球の行方を追って走り、確認したうえで、入ったと判断した。満塁のケースでの追い方としてはベストの努力をした」と釈明している。

 ただ、高島側からアピールがないまま試合は進行したため、記録は満塁本塁打のままとなり、試合も佐賀商が17対4で大勝した。打球を追っていた高島の左翼手はワンバウンドに気づいていたものの、緊張のあまりアピールする余裕がなかったという。高田明達監督も「審判の判定は判定です」と結果を受け入れたが、この騒動は思わぬ余波ももたらした。

 センバツでは当時、ラッキーゾーン後方に歴代優勝校の校名プレートが展示されていた。ところが、ラッキーゾーンの金網越しに見える白地のプレートが白球を見えづらくしていたのではないかという指摘を受け、その日のうちに撤去されたのである。たった一度の誤審が、長年親しまれてきたセンバツ名物を消すことになった。

高校生らしくない

 隠し球プレーが大きな反発を呼んだのが、1988年の3回戦、上宮対高知商である。

 高知商のエース・岡幸俊は、3日前の2回戦・福岡第一戦で延長12回を投げ抜き、その疲れから翌朝に風邪で発熱。それでも体調不良を押して先発し、上宮打線に8回まで13安打を許しながらも2失点に踏ん張る力投を見せていた。

 そんなエースの奮闘に打線も応える。2対2の8回1死一、二塁、岡林哲が右翼線に勝ち越しのタイムリー二塁打を放ち、高知商は3対2と勝ち越し。なおも1死二、三塁とチャンスが続き、流れは高知商に傾いたかに見えた。

 ところが、その直後に思わぬプレーが飛び出す。二塁走者の岡林が塁を離れた瞬間、上宮の2年生ショート・元木大介が近づいて素早くタッチし、二塁塁審は「アウト」を宣告した。いわゆる隠し球である。

 岡林は「一瞬何だかわからなかった。ショートがボールを持っているのを見て、やられたと気づいた」と振り返ったという。一方の元木は「相手が喜んでボールをまるで見ていなかったので、やってやろうと思いました。勝ち越されても、あきらめたらいかんと思っていました」と、してやったりの表情だった。

 このプレーで試合の流れは一変する。高知商はこの回、追加点を奪えず1点止まり。その裏の攻撃で、上宮は集中打で一挙5点を奪い、7対3で逆転勝ちを収めた。

 だが、試合後は元木の隠し球に怒りを覚えたファンから「卑怯なことをするな」「高校生らしくない」といった抗議の電話が学校に相次いだという。

 当時は高校野球でも隠し球は時折見られ、甲子園でも1986年夏に松商学園の三塁手、87年夏に帝京の一塁手が成功させていた。元木のプレーがこれほどまでに非難されたのは、試合の重要な局面で、劣勢だった流れを一気に変えるほど大きな効果をもたらしたことが、反発を招いたからだろう。プロ入り後、“クセ者”の異名をとった元木だが、そのしたたかさは高校時代から健在だったことがうかがえる。

音量を下げるように

 近年のセンバツで大きな話題となったのが、2019年の習志野応援団による“美爆音”である。

 2回戦の星稜戦で、三塁側スタンドに陣取った同校のブラスバンド部が大音量の応援を展開。これに対し、「うるさい」と大会本部に苦情が入り、担当者がスタンドまで足を運んで「音量を下げるように」と要請する一幕があった。

 この前代未聞の事態に、ネット上でも賛否両論が巻き起こった。「相手チームにも影響が出るなら音量を下げた方がいい」と制限を支持する声が上がる一方、「吹奏楽部の演奏を聴くのも甲子園の醍醐味」「そんなことまで苦情にしていたらつまらない世の中になる」と、“美爆音”継続を望む声も少なくなかった。

 もっとも、大会本部が「応援の手引き」をあらためて確認したところ、音に関する明確な規定はなかった。そのため、以後は同校の自主判断に委ねられることになった。

 判定、プレー、応援……。センバツではグラウンド内の熱戦が数々の名場面を生んできた一方で、その都度大きな波紋を呼んだ“場外騒動”もあった。長い歴史を持つ大会だけに、そうした出来事もまた、センバツの歴史の一コマとして記憶されている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部