能登半島地震で被災、繊維業者が復興へスクラム
亀裂が入ったナカムラ物産の工場の建屋。ベニヤ板で補強し、操業を続けている(撮影:筆者)
能登半島の西側の付け根に位置する石川県かほく市は、全国有数の細幅(ほそはば)ゴム入り織物の主産地だ。2024年元日の夕刻を襲った能登半島地震では液状化の被害が深刻で、多くの工場が被災した。本誌記者は、かほく市大崎地区を訪れ、液状化の被害や産地の復興の状況を取材した。
「これでやっとスタートラインに立てた」
石川県かほく市大崎地区で織物工場を経営する中村隆幸・ナカムラ物産社長はほっとした様子だった。
河北潟の干拓地に近い中村社長の工場では、元日の夕刻を襲った能登半島地震で地盤が液状化し、建屋に深刻な被害が生じた。それから8カ月が過ぎた今年9月中旬、中村社長は石川県が中堅・中小企業の復旧のために用意した「なりわい再建支援補助金」の申請にようやくこぎ着けた。申請手続きのために商工会の職員などの援助を受けて厚さ3センチメートルにもなる書類を用意し、3カ月をかけて準備作業を終えた。
なりわい再建支援補助金とは、能登半島地震で被害に遭った中堅・中小企業の再建を支援するために設けられた石川県による補助金だ。国および石川県で総額300億円の予算を用意し、再建に取り組む企業に交付する。必要資金の4分の3を補助するこの支援策は、復興を目指す企業にとって文字通り命綱となっている(中堅企業の場合は2分の1補助)。
ナカムラ物産は、建物の再建に約1億円の費用が必要だと見込む。申請が採択されれば、このうち4分の3が補助される。「これならば隣接地で工場を再建できる」。こう考えた中村社長は、今の状況を「スタートライン」と表現した。
液状化で「工場が3つに割れた」
1936年創業のナカムラ物産は、かほく市では老舗の繊維企業だ。隣接する石川県内灘町の繊維商社から原料の糸を仕入れ、パジャマやスウェットなどに組み入れる「インナー」と呼ばれるゴム製品を製造している。中村社長と妻、そして2人の正社員のほかに、パートや内職など12人を雇っている。
8月下旬、中村社長の工場を訪ねた。東西60メートルもある細長い工場の建屋は増築した際の接続部分が上下にずれてしまい、「地震で3つに割れた」(中村社長)。ベニヤ板で補強し、雨露をしのいでいるが、建屋は少しずつ傾きが大きくなっているという。
それでも操業再開を果たした。中村社長は地震発生当日から工場で寝泊まりし、復旧作業を陣頭指揮した。翌1月2日には懇意にしていた建設会社の社長が支援に駆け付けた。亀裂の入った工場の建屋には筋交いを入れ、ベニヤ板で補修した。
中村社長自身、早期再開は無理だと思っていた。だが、幸いにも機械に損傷がなかったことから、1月中旬には操業再開にこぎ着けた。仕上げ工程などで必要な水は、近くの畑にある井戸からくみ上げ、ポリタンクに入れて一輪車に載せて工場に運んだ。同じく被害が大きかった仕入れ先の繊維商社も原料糸の供給を絶やさず、15〜16社ある得意先からの注文にこたえ続けた。
石川県は全国でも有数の繊維産業の集積地だ。元日の地震は、その産地を直撃した。
石川県繊維協会が1月中旬に実施したアンケート調査によると、回答があった283社のうち「被害あり」と答えたのが174社。廃業および検討中を含めて10社にのぼるという。家内工業的な企業だけでなく、100台以上の織機を持つ大手企業も廃業を決めるなど、大きなダメージを受けた。
中でも、ナカムラ物産が立地するかほく市は、細幅ゴム入り織物と呼ばれる製品の一大産地だ。県庁所在地の金沢市から車で25〜30分のかほく市には、全国の生産量の6割以上が集中している。
石川県ゴム入織物工業協同組合(かほく市)によれば、組合員55社のうち50社がかほく市内に立地する。内灘町の企業を含めて約15社が地震による被害があったという。「地震を機に事業をやめる予定の企業も2〜3社ある」と同組合の宮崎泰弘専務理事は説明する。
とりわけ地震による被害が大きかったのが、ナカムラ物産がある、かほく市大崎地区や内灘町の業者だった。海に面した砂丘から河北潟の干拓地に向かう地下水が砂と混じり合って液状化し、横方向に流れる「側方流動」が起きたためだ。
トレーラーハウスの手配に奔走
液状化は、被害を大きくするとともに、早期の再建を著しく困難にしている。
同じくかほく市大崎地区で操業する「亀井重繊維」(亀井重春社長)では、工場とつながっていた自宅部分が側方流動によって県道に向かって倒れかかった。自宅と隣接する工場内の事務所部分も損壊し、自宅とともに取り壊しを余儀なくされた。幸い、機械が置かれていた工場建屋の主要部分は著しい被害を免れたが、二十数センチメートルの傾斜が発生した。
その後、事務所は、避難先として新たに借りた自宅に移設。加工場は取引先の一角を間借りし、行き来を繰り返している。「現在、工場では事務所スペースがないため、注文の電話が来た際には、外に出て通話をしている状態。雨や雪が降ると仕事にならない」(亀井社長)。
そこで亀井社長はトレーラーハウスを手配してこの冬を乗り越える算段だが、「入手には時間がかかりそうだ」という。現在、残った建屋部分では8台の機械がフル稼働しているが、能力に余裕がないため「試作品の作成ができず、柔軟に対応できない」という。
亀井重繊維の亀井重春社長。事務所部分と自宅が破損したが、操業再開にこぎ着けた(撮影:筆者)
それでも、事業を続ける方針に変わりはなかったのは、後継ぎで専務取締役の亀井重和さんへのバトンタッチができているためだ。重和さんはすでに15年の経験を持つベテランに育っている。亀井重繊維も「なりわい補助金」を活用して地盤補修を実施し、再建を目指す。
「当社が手掛けている細幅ゴム入り織物の需要がなくなることはない。多品種・短納期に徹することで、生き残りは可能だ」
中村編織工業の中村修一社長はこう言い切る。大崎地区に立地する同社では、約30人の従業員が働いている。液状化で工場の建物が50センチメートルほど傾斜したが、機械を据え付けてあるエリアの被害が少なかったことが幸いし、1月5日に操業を再開した。
中村編織工業の中村修一社長。助け合いの精神で産地の復興を目指す(撮影:筆者)
水道の復旧は5月までかかったが、その間、近隣の井戸から水をくんで台車に載せて運んだ。被害の大きかった亀井重繊維には機械などを置く作業スペースを提供し、操業再開を支援した。
かほく市大崎地区では多くの住宅や工場が液状化の被害に遭い、いまだに本格再建の見通しは立っていない。中村編織工業でも、液状化した地盤の調査はこれからで、建屋の修復方法はまだ決まっていない。それでも各社は復興に向けて少しずつ歩を進めている。
「さまざまな業種、企業がお互いに助け合うことで、産地は成り立っている」と中村修一社長は説明する。苦難の中でも関係者の士気は高い。それが復興の原動力となっていることは間違いない。
(岡田 広行 : 東洋経済 解説部コラムニスト)