ゼネコン界に舞い降りた天使「奥村くみ」誕生秘話
テレビCM「建設LOVE!奥村くみ」シリーズは2018年1月から放映を開始した。当初は視聴者から「奥村くみは本当の社員ですか」という問い合わせが複数あった(撮影:今井康一)
「7年前の最終プレゼンテーションで私が推す別のCM案が採用されていたら、今多くの方からご支持をいただいている『奥村くみ』は生まれていなかった」。中堅ゼネコン、奥村組(大阪市)の奥村太加典(たかのり)社長はそう振り返る。
奥村社長の言う奥村くみとは、2018年から放映しているテレビCM「建設LOVE!奥村くみ」シリーズのことだ。
人気俳優の森川葵さんが建築系の新入社員役を演じ、ドジを踏みながら成長していくストーリー。「本当に建設現場にいそう」――。複数のゼネコン関係者は、森川さんの熱演に親近感を抱いた。一般的にも好感され、本シリーズは若い人から年配者まで幅広い層の支持を得ている。
「新3K+K」の採用は社長発
シリーズ7年目となる今年5月からは、「新3K+K」篇の放映を開始した。
大学のキャンパスを歩く1組の若い男女。「私、建設業界に入ろうかな」と話す女性の言葉に、新校舎の現場監督としてその近くにいた奥村くみは微笑む。
ところが、男性は「建設業って3K(きつい、汚い、危険)じゃん」とNGを出す。これを聞いた奥村くみは、ワープするかのような勢いで2人の間に割って入り、「適正な給与、十分な休暇、未来への希望。そしてカッコいい」と建設業界の「新3K+K」を力説し、ひとり満足げにうなずく。
この新シリーズで強調されている「新3K+K」は、ゼネコンの業界団体である日本建設業連合会が業界のイメージ向上を狙って2022年ごろから提唱している標語だ。そもそも新3Kは国土交通省が2015年に発表した「新3Kを実現するための直轄工事における取組」で用いられていた。
「建設業界をあげて標榜している新3K+Kを当社のCMに使わない手はない」と奥村社長。テレビCMを管轄する秘書広報部の井戸田高明氏は、「当初は違うテーマで企画を進めていたのだが、社長から突然メールが来て、今の内容(新3K+K)に変更した」と明かす。
建設業界におけるマーケティング戦略において、奥村くみシリーズはエポックとなった。かつて、清水建設など幾多のゼネコンがCMを展開してきたが、俳優を用いたものはほとんど例がなかった。
最近では大成建設のようにアニメーションを採用した柔らかいイメージを意識したCMがあるが、基本的にはインフラ構築の大切さや会社の経営方針を打ち出した「実直」「重厚」な内容が多い。
これに対して、奥村くみシリーズは俳優を使ったストーリー仕立てで、しかも思わずクスッとしてしまう笑いの要素も含まれている。これまでの建設業界にはなかった「軽快」な内容に、「あのCMはいいね」と多くのゼネコン関係者が賞賛する。
奥村組は1907年創業で通天閣(2代目)などを建築してきた。その5代目社長が2001年に39歳で就任した奥村太加典氏。創業者を曾祖父に持つ(撮影:今井康一)
建設業界は長い間、構造的な問題に悩まされてきた。とくに最近は、2〜3年前に激しい競争をして獲得した工事が進捗し、資材高も加わって低採算に苦慮している会社が多い。技術者の高齢化の進行に加えて若手の流入が少なく、慢性的な人手不足問題も横たわる。施工不良を受け、組み上がっていた鉄骨を解体して建て直す事件が発生するなど品質問題も後を絶たない。
このように暗い雲に覆われていた業界に、さわやかな新風を呼び込んだ人物こそ、人気キャラクターとして定着した奥村くみだ。奥村組のCMの成功を見たほかの大手ゼネコンが続々と追随。西松建設や戸田建設、熊谷組といった大手ゼネコンも俳優を起用したテレビCMを開始した。
こういったCMの連打は、業界のイメージ改善に一役買っている。実際、足元では建設業に就職する新卒学生の数が増えており、とくに「建設女子」と言われる女性の技術者が増加している。
お蔵入りした案の「建設バカ」
建設業界全体に活気をもたらしたわけだが、奥村社長によると「まったく違う別のシリーズが展開されていた可能性があった」という。
奥村組は、2017年の初めごろに大阪国際女子マラソンに協賛することを決めた。マラソンのテレビ中継番組には協賛社CM枠が設けられていた。そのため「当社として初となるCMをつくらないといけない」(奥村社長)。
2017年の半ば、制作サイドとの複数回のディスカッションを経て、広告代理店が最終プレゼンの場で提案した企画案は2つあった。1つが森川さんを起用する奥村くみシリーズ。もう1つは、奥村組の社員を主人公とする「建設バカ」シリーズというものだった。
同僚と居酒屋にいても彼女とデートしていても、建物のことが頭から離れない。周囲が「建設バカ」だと呆れられるほど建設が大好きなゼネコン社員。ときに周りが戸惑う行動をとってしまうことがある――。
これは結局お蔵入りすることになったが、経営陣にはむしろこちらが本命だった。奥村社長は吐露する。「私はむしろ、こちらの『建設バカ』シリーズを推していた。当社の社員に建設バカがいたら嬉しいと思った」。
10名ほどの社員が集まった最終プレゼンの場では、奥村社長はあえて先に自分の意見を言わずに、みんなの意見を募った。すると、若手や女性を中心に出席者の8割ほどが「奥村くみシリーズがいい」と推したのだった。
内心がっかりした奥村社長だが、若い人の意見・感性は重要と考え、「わかった、奥村くみシリーズでいこう」と決断した。
建設業の魅力をうまく発信
知られざるエピソードはこれだけではない。
広報担当の井戸田氏によると「最初の企画段階では森川さんとは別の俳優も候補に挙がっていた」という。ただ「森川さんはヘルメットやユニフォームの着用がOKだった。彼女が名古屋市立工芸高校のインテリア科卒業であることも親和性があると思った」(井戸田氏)そうだ。
奥村組の経営陣に具体的なCM案が提示されたのは、森川さんに候補が絞られた後であり、別の俳優候補が存在していたことは、奥村社長も東洋経済の取材当日(インタビューは2024年9月25日に実施)まで知らなかった。
メジャーリーガーの吉田正尚選手をアンバサダーに起用。吉田選手が登場する新CM「想(おも)いが宿るユニフォーム」篇も放映した(撮影:今井康一)
奥村社長がテレビCM制作の際にこだわったのが、「大阪を本社とする会社のCMらしく、少し笑いの要素も加える」ことと、「建設業の魅力を発信する内容であること」だった。
大成建設で社長と副会長を歴任後、大和ハウス工業の副社長を現在務める村田誉之氏は、東洋経済のインタビューで次のように建設業の魅力を語ったことがある。
「私は建設業の魅力は大きく5つあると言っている。チームで多くの人と協力して仕事ができること。自分たちが作ったものが形として残ること。物作りのプロセスが楽しめること。お客さんの喜ぶ顔を見られること。そして仕事を通じて社会貢献できることだ」
制作サイドが村田氏の言葉を意識したわけではないが、奥村くみシリーズをくまなくみていると、村田氏が強調する建設業の5つの魅力が、ほぼ盛り込まれていることがわかる。だからこそ、ライバル会社の動きには批判的な姿勢でいることが多いゼネコンのベテラン社員も、奥村くみに親近感を持ち、抵抗感なく受け入れるのだ。
「来たー、現場」。憧れの仕事への就職を果たした奥村くみ。先輩社員に連れられて、初めて巨大な物流センターの建設現場にやってきた。むきだしの鉄骨。そびえるクレーン。思わず胸がときめく。そして絶叫してしまう。「好きだー」(奥村くみ篇第1話)。
子どものころから何かをつくるのが好きだった奥村くみ。建設中の物流センターに立ち、夕陽を見つめ、子どものころに砂の城壁や鉄骨の模型をつくったことを思い出す。現場を去る際に、鉄骨や床を見つめながらささやく。「また明日ね。また明日」(奥村くみ篇第2話)。
奥村くみは胸の内でつぶやく。「ひとりひとりの力がひとつになったとき、ヒトの力は想像をはるかに超える。どんな壁も打ち破ることができる」。そして力を込めて発する。「私たちは、チームの力を信じる」(私たちはチームだ篇)。
知名度が向上、採用面でも効果
経営面でも、奥村くみシリーズの効果は大きかった。奥村組は本社を構える関西では高い知名度だが、関東では「奥村組の名前を知らない取引先も多く、なかなか受注につながらないこともあった」(奥村社長)。
調査会社を使った同社の独自調査によると、CM開始前は関西での知名度(会社名の浸透度)は約50%だったが、現在は70%弱まで上昇している。一方、関東では2017年時点でおよそ30%でしかなかった。だが、現在では「倍ぐらいまで上昇した」(同)という。
採用面でも効果はてきめんだ。人手不足を背景に新卒の採用競争は激化する一方だが、奥村組はここ数年、年約140名の新卒採用の枠を順当に埋めている。「奥村組のブースはいつもにぎわっている」と準大手ゼネコンの採用担当者がうらやむほど、学生向けの就活ブースもつねに活気がある。
ただし、若手社員の定着率となると課題が残る。新卒社員の3年後定着率は直近で「85%程度」(井戸田氏)。60%台のゼネコンもあることと比較すると健闘しているものの、離職率が1桁台のスーパーゼネコンには見劣りする。
若手の定着率向上は、建設業界全体の課題でもある。ゼネコン各社は華やかなCMの残像が刻まれているうちに、待遇のさらなる改善や働き方改革を急ぐ必要がある。
(梅咲 恵司 : 東洋経済 記者)