(写真:© 2024 Bloomberg Finance LP)

石破茂新政権が1日夜、発足した。石破氏は同日召集された第214回臨時国会の冒頭、衆参両院本会議で第102代首相に指名され、同夜、石破新内閣を発足させた。石破首相は同夜の初記者会見で、改めて「9日・衆院解散・15日公示・27日投開票」を表明。これにより、各政党・政治団体は「10・27衆院選」に向け、候補者擁立を急ぎ、政界は一気に「選挙一色」の様相となった。

石破首相による「解散断行」が、戦後最短となる政権発足から9日となったため、次期衆院選は「超短期決戦」になる。ただ、総裁選中に「国民の皆様にきちんと判断材料をお示ししてから信を問う」と繰り返してきた石破首相の“変節”に、野党側はそろって「手のひら返しのだまし討ち」と反発、自民提示の「7、8日代表質問・9日党首討論」にも同意せずに自民攻撃に徹する構えで、解散前から与野党全面対決となっている。

今回の石破首相の「決断」は、「森山裕幹事長らの強い説得を渋々受け入れた結果」(党幹部)とされる。ただ、首相就任前の「解散宣言」は“ルール破り”の批判は免れず、その際の石破首相の苦し気な口調や表情とも相まって、「国民の前に、主体性のなさを露呈した」(自民長老)との厳しい指摘も相次ぐ。

そもそも森山氏らの狙いは「新内閣のぼろが出る前の、ご祝儀相場での選挙戦」(同)だが、「石破首相の変節が、国民の不信を招いた」(閣僚経験者)ことは否定できず、大手メディアが実施した政権発足直後の世論調査でも、「発足時の支持率は過去最低レベル」となった。このため、「今後の選挙戦では、石破首相のトップリーダーとしての見識・資質が厳しく問われる」(政治ジャーナリスト)のは避けられず、石破首相は「いきなり“宰相生命”を懸けた正念場」(同)を迎えることになる。

「国賊」発言の村上総務相に高市氏ら猛反発

臨時国会が召集された1日、石破氏は党総裁として自民党本部に陣取り、新政権発足へ準備を進めた。これと並行して、岸田内閣は同日午前の閣議で総辞職し、前首相となった岸田氏は昼すぎ、官邸スタッフらの拍手の中、満面の笑顔で3年間の官邸生活に別れを告げた。

これを受け、石破氏は午後の衆参本会議で首相指名を受けた後、与党党首会談を経て首相官邸に組閣本部を設置、間を置かずに再任された林芳正官房長官が閣僚名簿を発表し、前後して閣僚内定組が順次官邸に呼ばれ、石破首相から訓令・指示を受けた。 

新内閣の陣容は、石破氏が前日までに固めたため、新聞各紙は1日付け朝刊で詳細に報じ、主要閣僚として財務相に加藤勝信元官房長官、外相に岩屋毅氏、防衛相に中谷元氏がそれぞれ就任。岩屋、中谷両氏に防衛相経験者で、防衛専門家を自認する石破首相は、総裁選などで提起した日米地位協定見直しなどに取り組ませる方針だ。

また、総務相には石破首相と極めて親しい村上誠一郎元行政改革担当相が起用されたが、同氏は故安倍晋三元首相を「国賊」と呼んで役職停止処分となった過去もあり、村上氏は「あの時、直ちに、ご遺族に謝罪申し上げた。そのことについては終わったものと考えている」と釈明したが、高市氏や旧安倍派などが猛反発する事態となっている。さらに、首相指名後の自公党首会談で、公明党の斉藤鉄夫国土交通相(72)の再任が決まった。

「脱派閥」アピールも、女性閣僚は2人だけ

新内閣全体をみると、首相と閣僚計20人のうち無派閥(旧石破グループ、旧谷垣グループ含む)は11人と過半数で、「脱派閥」をアピールする陣容ともみえる。その他は、麻生派、旧茂木派、旧二階派から各2人、旧岸田派と旧森山派から各1人という内訳で、旧安倍派は入閣ゼロだ。初入閣組は13人だが、女性閣僚は阿部俊子文科相(65)、三原じゅん子こども政策担当相の(60)の2人だけで、前岸田内閣の5人から急減した。

主要閣僚の村上、岩屋両氏を含め、赤沢亮正経済再生担当相、伊東良孝地方創生担当相ら6人は総裁選で石破氏の推薦人。特に赤沢氏は石破首相の最側近だ。また、総裁選で小泉進次郎氏を推した坂井学国家公安委員長も、決選投票では石破氏支持に回ったとされ、今回の石破人事では、「総裁選での論功行賞」の色彩も鮮明となっている。

その一方で、総裁選出馬組では林氏が官房長官再任となり、加藤氏が財務相として再入閣した。さらに、高市早苗、上川陽子、河野太郎の3氏は閣僚から外れたが、上川、河野両氏と小泉、加藤両氏の推薦人は計6人が閣僚に起用された。ただ、「決選投票」で石破首相と競り合った高市氏の推薦人は“除外”となった。

新内閣閣僚20人の平均年齢は63.6歳。直近の第2次岸田再改造内閣発足時(2023年9月)の63.5歳と同レベルだが、歴代内閣に比べれば高齢だ。当選回数は石破、村上両氏の12回が最多。最高齢は伊東氏の75歳、最年少は福岡資麿厚生労働相の51歳で、初入閣組も衆院5回以上か参院3回以上のベテランのため、40歳代の若手閣僚は姿を消した。

政権発足前後からの動きを俯瞰すると、「党内野党で人脈も幅広さに欠ける石破首相に大きな影響力を行使しているのが森山裕幹事長」(自民長老)であることは明らか。その一方で、副総裁となった菅義偉元首相と、林官房長官らを通じて「実質的な石破首相の後見役」(同)とみられる岸田氏による「第3次岸田・第2次菅合体政権」の構図も見え隠れしている。

総裁選で高市氏を支持した麻生太郎前副総裁を、故中曽根康弘元首相以来の「最高顧問」としたことについては「岸田氏の助言によるもの」(旧岸田派幹部)との指摘も。さらに、麻生派の後継者とされる鈴木俊一前財務相を、高市氏が固辞した総務会長に起用したことも、「麻生氏への配慮」(石破首相周辺)とみられている。

一方、総裁選告示直前に推薦人不足で出馬を断念、小泉陣営に加わった斎藤健前経済産業相と野田聖子元総務相が“冷や飯組”となったのは「露骨な人事狙いの行動が党内の顰蹙を買ったため」(政治ジャーナリスト)との見方も広がる。

発足時支持率は「過去最低レベル」の50%前後に

そうした中、政権発足直後に大手メディアが実施した世論調査も、石破首相ら新政権幹部の期待に反する結果となった。各調査の内閣支持率・不支持率を列挙(単位%)すると、朝日新聞=46―30=、読売新聞=51―32=、日経新聞=51―37=、共同通信=50.7―28.9=。支持・不支持はどれもほとんど同じで、しかも、「政権発足時の支持率としてはほぼ最低レベル」(アナリスト)だ。

石破首相が総裁選で大逆転勝利を果たした段階では「多くの国民は、これで自民党も大きく変わると期待した」(同)のに、その後の解散時期をはじめとする「総裁選公約」を巡る“変節”が、「国民の失望や不信につながった」(同)ことは否定できない。

新政権が2日から始動する中、石破首相は同日、バイデン米大統領、尹錫悦韓国大統領らと相次いで電話会談、さらには同夜に先進7カ国(G7)首脳とのオンライン会議に参加するなど、早速石破外交を本格化させた。「出だしでややつまずいた」(官邸筋)石破首相にとって、4日の所信表明とそれに続く7日以降の国会審議が「態勢立て直しの機会」(同)となるが、「国会論戦で自ら名付けた『納得と共感内閣』をきちんとアピールできるかどうかが、10・27衆院選結果や、その後の政局運営を占うカギとなる」(政治ジャーナリスト)ことは間違いなさそうだ。

(泉 宏 : 政治ジャーナリスト)