後編では「非合理的な盗塁死をなぜ繰り返したか?」など、ビジネス的な視点から、「カープの歴史的大失速」を紐解く(写真:時事)

わずか1カ月の間で、1位から4位に転落し、CS進出を逃してしまった広島東洋カープ。

いったい何でこんなことになってしまったのか? いや、「組織の在り方」や「選手の起用法」「作戦・采配」を見ていれば、予兆はずっと前からあったのかもしれない……。

野球好きなビジネスパーソンにも、そこまででもないビジネスパーソンにもわかるように、ビジネス的な視点から、「カープの歴史的大失速」を紐解く前後編の企画。前編に引き続き、組織に詳しい経営コンサルタントの横山信弘氏にお話を伺いながら、カープの歴史的失速に思いを馳せてみた。

「日替わり打線」は企業にもよくない結果をもたらす

前編の記事ー新井カープ「9月の悪夢」経営視点で見る根本原因 「急場しのぎ」の組織運営は遅かれ早かれ瓦解するーでは、打線の計画性のなさについて、ビジネス的な事例を交えながら考察してきたが、思えば今季のカープは、中継ぎ・抑え投手でもその場しのぎが目立った。

本来、リードしている展開で登板するべき「勝利の方程式」を担う島内颯太郎、栗林良吏が同点の場面で出てくるシーンも多かった。その結果、島内は10月1日の試合が終了した時点で勝利数が10、敗北数が6と、中継ぎ投手としてはあまり見ない責任投手回数となっている。

打順や登板するシチュエーションがコロコロ変わるように、役職や組織を頻繁に変える企業は多い。あるいは「兼務」の名のもとに、役職がどんどん追加されていくなど……。期が変わるたびに、名刺が変わる経験をした読者も多いのではないか。横山氏は次のように話す。

「企業の役職や組織が変わるのは、刷新感を出すのが狙いだ。つまり組織改革が大目的なわけだが、そのために必要な過去との決別や新たな挑戦といったビジョンが見えず、うわべだけの組織再編をするケースが非常に多い。

確かに一時的に気分は変わるかもしれないが、こうしたその場しのぎの変更は、決して長続きすることはない。なぜ組織が停滞しているのか、目標を達成できないのか。その原因分析や追求をとことん行わない限り、成果は生まれない。

突き詰めると、こうした事態が起こるのはトップ層がリスクに対して過敏になってしまい、冒険ができない性格だからだと考えられる。そのため、小手先の変化をだましだましやる、という結論になってしまう」

思えば、打線のテコ入れが急務と思われる中でも、新井監督は不調の坂倉に対して「逃がさんぞ、と思っている」と語り、起用を続けた。また、代打の切り札・松山竜平を筆頭に、田中広輔、上本崇司、堂林翔太といった“実績組”のベテランに期待する采配が目立った。

もちろん、時には辛抱強く耐えることも必要だが、危機だからこそリスクを取ってでも新しい風を吹かす。そのような勇気が、リーダーには求められるものであり、これは野球にもビジネスにも共通する。結果から見れば、今季の新井監督には、そういった大胆さも必要だったのかもしれない。

伝統に縛られた非合理な「盗塁」が得点不足を加速

日替わり打線問題の他、特にシーズン序盤〜中盤のカープ野球で目立ったのが「盗塁死」である。カープといえば足を絡めた「機動力野球」のイメージもあるが、実態は違う。過去3年を見ても盗塁数がセリーグトップだったことはない。

データを見ると、そもそもカープは盗塁が苦手な感もある。3連覇を果たした2016〜2018年こそ、いずれも盗塁数はリーグトップだったものの成功率がリーグ1位だったのは2017年のみ。2016年、2018年ともに成功率はリーグ4位に甘んじている。

今年の話に戻ろう。10月1日終了時点で、カープの盗塁数は64で、失敗が51。成功率は55.7%である。成功数はリーグ2位であるものの、成功率は下から2番目で「数打ちゃ当たる」状態といって差し支えないだろう。

新井監督は、監督就任時に機動力野球の復活を掲げた。しかし、就任した2023年の成功率がリーグ4位、今季も上述の通りで、データからは「向いていない」という結論を出さざるを得ない。

特に今シーズンは開幕から“投高打低”、つまり得点が入りにくい環境だとの指摘が多かった。そんな中、長打力不足にあえぐカープにとって、1つのアウトの重要性は言うまでもない。

そもそもカープの本拠地であるMazda Zoom-Zoom スタジアム広島は、土と天然芝のグラウンドで屋根もなく、時間帯によっては日光と打球がかぶる。打球のイレギュラーも多く一部では“魔境”と呼ばれることがあるほどである。そうした地の利を生かさず、みすみすアウトを献上することが多いのは非常にもったいなかったのではないか。

カープの例に限らず、統計的に得点へつながりにくいとされる送りバントの多用や、右投手には左バッター、左投手には右バッターといった“左右病”と揶揄される采配など、野球にはデータを超越した戦術がいまだ多い。

野球を見ていて「何でそんな采配をするのかなあ」と嘆く読者も多いだろうが、実はこうしたデータ軽視は、ビジネスでも見られる。例えば、生産性を高める上で、本来は「投入量」に対する「リターン」の多さという2軸で考えるところ、前者の投入量のみで考えるケースが多いと横山氏は話す。

「典型例が『時短』。労働時間を減らせば生産性が上がる、と考える企業が多すぎる。コスト削減も似たようなもので、利益アップのためにとにかくコストを下げることしか考えない企業も多い」

こうした手法は「甘い罠」だと横山氏は続ける。そもそも投入量、コストの削減には限度があり、短期的な思考といえる。言葉を換えれば「ラクしてうまくいく方法」ともいえるが、すぐにできる簡単なものは、他社も追随しやすい。人材採用で金銭的な待遇だけを向上させても、他社が横並びにすればすぐに価値がなくなる、と考えればわかりやすい。

そうではなく、より長期的な視点に立って、適切な投資を行い、長い期間をかけてでも価値を培うこと。急がば回れこそ、ビジネスの成功の秘訣だと横山氏は話す。加えて、何にコツコツと取り組むべきで、逆に何を切り捨てるべきかの見極め力も肝心だと付け加える。

応援する球団の監督が、どんな状況でもバントを選んだり、左投手には右打者を、右投手には左打者を代打に送る時、われわれ野球ファンは「またかよ……」となりがちだが、何のことはない、データ軽視は企業でも起きているのだ。

「地の利」を生かす、渋沢栄一の考え

「地の利」については、地方企業の例が挙がった。ある地方の印刷会社では「地域密着」「顧客第一」を掲げ、週末に開催する地域の縁日に社員を参加させる、ボランティアの炊き出しに積極的に参加する、小中学校の印刷物を無償で引き受ける、といった取り組みをしていたという。

しかし、社長が代替わりしてからはSNSを中心にマーケティング活動へと軸足を移し、積極的な投資を行うように。その結果、売り上げは微増したものの利益が激減してしまい、赤字へと転落してしまった。背景にはマーケティングコストや、商圏を地域から全国へ広げたことによる経費の増加があるものの、横山氏は「地域密着のブランドを崩したことこそ、最大の失敗要因」と指摘する。

もう一つの例として、北陸にある建設会社のエピソードも挙がった。この会社では、売り上げの拡大を狙い、より市場規模の大きい関東圏へと進出したものの、自社の強みを生かし切れなかっただけでなく、中京圏の企業が北陸に進出したことで、地元のシェアも落としてしまったという。

「二世帯住宅に強みがあった会社なのですが、地盤の北陸は二世帯の同居が多い一方で、関東圏では核家族も多く、親と同居する世帯はそう多くない。

2020年の国勢調査では、親と同居する夫婦世帯の割合が最も低いのが東京で、神奈川が44位、埼玉は41位という結果だった。自社のドメインを理解せずにマーケットの規模と、都心部への過度な期待で事業拡大へと走ってしまったという、地の利を生かせなかった好例といえる」

ここで挙がった2社以外にも、自社の強みを理解・活用できずに転落してしまう企業は非常に多いと横山氏。そうした企業に対するアドバイスとして「蟹穴主義」を挙げる。

蟹穴主義とは、渋沢栄一が『論語と算盤』で提唱した考えで、蟹が自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘ることから、ビジネスでも自分の得意なことを認識して極めるのが大事であり、それをもって社会に貢献せよという意味を持つ。「他社の成功事例を参考にするのもよいが、それ以前に、まずあるべきは自社の強みや弱み、ドメインを客観視することなのは間違いない」と横山氏は指摘する。

思えば、昨年日本一となった阪神タイガースは、甲子園という投手有利の球場で、村上や大竹ら強力投手陣を中心とした「守り勝つ野球」だった。球場を味方につける野球ができるかは、やはり重要なポイントなのだろう。

辛いです、カープが好きだから

ここまでカープとビジネスについて解説してきたが、そもそもカープも野球という興行ビジネスを行う、企業である。特に他の11球団と異なり親会社がいないことから、今季のような大失速は観客動員やグッズ収入の減少につながりかねず、経営にも大打撃だ。

かつて新井監督はFA宣言をした際に「辛いです、カープが好きだから」という言葉を残したが、いま全国の鯉党はそっくりそのまま、同じ言葉を返したいはず。野球とビジネスの両面で、来季こそは最後まで駆け抜けてほしい。そう思う筆者なのであった。

前編の記事はこちら:新井カープ「9月の悪夢」経営視点で見る根本原因 「急場しのぎ」の組織運営は遅かれ早かれ瓦解する

カープの9月の戦績はこんな感じだった


9月、カープは黒星ばかりになった(出所:NPB公式サイト)


横浜スタジアムでの開幕戦。この頃は希望に満ち溢れていた(筆者撮影)


春先のマツダスタジアムでの様子(筆者撮影)


美しい光景である(筆者の妻撮影)


1位になれる…そう思っていた日々だった(筆者の妻撮影)


9月、ほぼ終戦となった神宮での1枚。雨模様なのもあり、いつもより元気がなく感じられた(筆者撮影)

(鬼頭 勇大 : フリーライター・編集者)