朝ドラ初の外国人ヒロインとして、話題になったシャーロット・ケイト・フォックス

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【前後編の前編/後編を読む】ジャパニーズウイスキーブームは一段落? 今後のカギを握る「クラフト蒸留所」と「グレーン」

 今から10年前の2014年9月29日、NHK朝ドラ「マッサン」が放送を開始した。本作は、大正時代に日本初の本格ウイスキー製造に生涯を捧げた竹鶴政孝と、スコットランド人の妻・リタの実話がベースとなっている。玉山鉄二扮する亀山政春がスコットランドでウイスキー作りを学び、妻エリーを連れて帰国しウイスキー造りに挑む様子と、当時は珍しかった国際結婚に伴う文化の違いや困難に立ち向かう姿が描かれ、平均視聴率は21.1%を記録した。

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 当時、リタを演じたシャーロット・ケイト・フォックスが朝ドラ初の外国人ヒロインを演じたことも話題となったが、ロケ地である北海道のニッカウヰスキー「余市蒸溜所」や広島の竹鶴酒造にも注目が集まり、10年経った今でも、多くのファンが“聖地巡礼”に訪れるという。また、「マッサン」の影響でジャパニーズウイスキーに興味を持った視聴者も少なくないだろう。

朝ドラ初の外国人ヒロインとして、話題になったシャーロット・ケイト・フォックス

 実際、本作の放映を機に、ニッカウヰスキーの「竹鶴」シリーズやサントリーの「山崎」などが大ヒット。特に、北海道内における「竹鶴」シリーズの販売量は、2014年の9月から12月にかけて前年比202%の伸びを示し、国産ウイスキー全体でも同期間で前年比約141%と大幅に増加した。また、国税庁によると、国産ウイスキーの14年における輸出額は約58.5億円だが、翌15年は約104億円、23年には約501億円にまで拡大しており、国内のみならず、海外での需要も高まっていることがわかる。

今回の取材にご協力いただいた「リカーズハセガワ本店」店長の倉島英昭さん

「マッサン」が追い風となり、今なお続くジャパニーズウイスキーブーム。ここ10年における軌跡や、人気が上昇したゆえに生まれた新たな課題、今後の展望について、東京・中央区の酒販店「リカーズハセガワ本店」店長で、4代目マスター・オブ・ウイスキーでもある倉島英昭さんとともに、2回にわけて考察していく。

20年以上続いた“ジャパニーズウイスキー冬の時代”から奇跡の復活

 近年のジャパニーズウイスキーブームについて論じる前に、日本におけるウイスキー誕生からこれまでの歴史について、ざっと振り返ってみよう。

 日本初の本格ウイスキーと言われているのは、1929年に発売された「白札」ことサントリーウイスキーだ。当時、サントリーの前身である寿屋の社長・鳥井信治郎が、スコットランドに留学しウイスキーの製造を学んだという青年・竹鶴政孝の存在を知り自社にスカウト。鳥井は政孝が入社した1923年に大阪で蒸留所の建設に着手し、翌年に国内で最初のウイスキー蒸留所となる「山崎蒸溜所」が誕生。その初代工場長に就任した政孝は1929年、ついに国産ウイスキー第一号を生み出したのである。

 政孝はその後、理想のウイスキー造りを追い求めて寿屋を退社し、1934年に北海道・余市にて大日本果汁株式会社(現ニッカウヰスキー)を設立。最初の数年は余市産のリンゴジュースを販売しながらウイスキーの製造準備を進め、第二次世界大戦が勃発した翌年、1940年に「ニッカウヰスキー」を発売した。

 同社は戦時下において貴重なアルコールを製造する場として国から保護を受け、経営も安定したが、敗戦後には食糧難から密造酒が出回り、“模造ウイスキー”の流通によって市場は混乱。それが1950年頃にやや収束を見せると、戦中・戦後に参入した生産者らの間で熾烈な価格競争が起こるように。そうした中で、コストパフォーマンスがよく、消費者のニーズに合った製品を生み出すメーカーが支持され、特に寿屋(サントリー)、大日本果汁(ニッカ)、大黒葡萄酒(オーシャン)の3社は大きなシェアを占めるようになった。

 高度経済成長期を迎えると、これら3社の製品を看板とするバーが急増し、ついにウイスキーは大ブームに。各社がさまざまなキャンペーンを仕掛け、国内消費量は上昇の一途をたどり、1983年には約38万キロリットルとピークを迎えた。しかし、焼酎や酎ハイの台頭もあって翌年からは右肩下がりとなり、蒸留所も閉鎖や生産停止が相次ぐなど、長らく冬の時代が続く。2008年にはピーク時の1/5ほどとなる7万5000キロリットルまで減少していたが、この流れを打ち破ったのが、同年にサントリーが始めた“角ハイボール作戦”だ。「角瓶」をソーダで割って飲む「角ハイボール」が全国の酒場を席巻し、国産ウイスキーの消費量も徐々に上昇して、2013年には10万キロを超えた。そこに、2014年の「マッサン」放映が背中を押すかたちで、ジャパニーズウイスキーブームはいよいよ本格化していくのである。

「“角ハイボール作戦”が浸透してきたころから、来店数やジャパニーズウイスキーの売り上げが伸びるなど、ブームの波は感じていました。特に『マッサン』が始まってからは、『竹鶴』や『余市』を求める電話が1日に5件以上くることも。ドラマが終わる頃には、肌感ですが、ジャパニーズウイスキーに関する問い合わせ数はそれまでより50%ほど増えていたと記憶しています」(倉島さん、以下同)

「山崎18年」は10万円以上、「響30年」は90万円!? 価格高騰が加速するワケ

 このブームに乗っていたのは、当然、倉島さんの店だけではないだろう。全国の酒屋が仕入れ数を増やす中、ジャパニーズウイスキーは供給不足に陥った。

「当時は、長期熟成の製品もいくつかは店頭に並べられていました。例えば余市20年という製品は、当時2万円前後で販売させていただいておりました。その後ほどなくして、そのような長期熟成ウイスキーの在庫は市場からなくなりました。ご存じのように、ウイスキーはすぐには製品化出来ないため、一気に流通を増やせるわけではありません。あまり売れてなかった時代に減産していたこともあると思います。その後売り場に並ぶのは、NAS(No Age Statement)といって、年数表記のない製品が中心になっていきました。現在でも供給が間に合っていない製品も多く、それがジャパニーズウイスキーの大きな価格高騰を招いています」

 倉島さんの言うとおり、2014年当時は市場価格が約1万5000円ほどだったサントリーの「山崎18年」は現在、その価格が10倍ほど上昇し、10万円以上で取引きされることも珍しくない。同様に、サントリーの「響」やニッカの「竹鶴ピュアモルト」「余市」シリーズも、その希少性から価格が急上昇。熟成ものや、限定ボトルをはじめとする“プレミアムウイスキー”は、一種の投資商品としても扱われるようになった。

 最近では、ノンエイジの『山崎』に2万円弱、『山崎12年』は4万円ほどの値がついていることも珍しくない。中には、サントリーの『響30年』が90万円弱で売られていることも。数量限定モデルや生産終了商品も価格が跳ね上がっており、海外オークションでは、すでに閉鎖された『軽井沢蒸留所』で作られた『軽井沢1960年』が日本円にして約5600万円で落札された。

 また、ウイスキーファンからも人気が高い『ベンチャーウイスキー』が手がけた『イチローズモルト』のフルカードシリーズ(それぞれ異なる樽で熟成され、ラベルにトランプの絵柄がデザインされたウイスキーの54本セット)は香港の競売にて1億円近い価格で落札されるなど、市場で手に入らない商品を求めて、世界中のマニアが躍起になっている。

“ジャパニーズウイスキーもどき”に警鐘、日本市場に求められることは

 このように、国内外での需要が高まる一方で、新たな問題も生まれているという。

「日本では、2021年に日本洋酒酒造組合がジャパニーズウイスキーの表示に関する基準を発表し、例えば、糖化・発酵・蒸留は日本の蒸留所で行う、熟成については700リットル以下の木製樽を用いて国内で3年以上は貯蔵するなど、産地や製法についての規定が明確になりました。ラベル表記は“ジャパニーズウイスキー”で統一され、要件を満たしていない場合には、日本を想起させる地名や人名、国旗等を表示しないともされています。

 しかし、組合に属さない企業はこれを守る必要もありませんし、罰則などももちろんありません。海外などでは、焼酎のような製品がジャパニーズウイスキーとして売られていることもあると聞きます。ほとんどが輸入原酒で構成されているようなブレンデッドウイスキーが、お店によっては“100%ピュアなジャパニーズウイスキー”として認識されていたりするんですよね。海外からのお客様などで、いわゆる純粋な日本産の“ジャパニーズウイスキー”を求めていらしているのに、十分な説明も受けられず、そういった商品を買ってしまう方もいるとのこと。ですから“お酒のプロ”として店頭に立つ以上、正しい知識を持ってきちんと説明させていただくことが使命だと思っています。

 海外産のウイスキー原酒を使って、日本の技術力と感性で、ブレンデッドウイスキーを造ることは素晴らしいと思います。日本が造るワールドブレンデッドウイスキーは美味しいものばかりです。せっかく築いてきた日本のウイスキーのブランド力を保つためにも、我々のようなウイスキーを専門に扱う酒販店のスタッフも、知識をブラッシュアップしたり、努力を続けなければいけないのではないかと思います」

 空前のジャパニーズウイスキーブームがもたらした光と影。後編では、ジャパニーズウイスキーが海外でも広く愛される理由や、勢いを増すクラフト蒸留所の発展、ジャパニーズウイスキーの展望に焦点を当て、深堀りしていく。

(取材・文/篠宮明里)

倉島英昭(くらしま・ひであき)
東京駅八重洲地下街「リカーズハセガワ本店」店長。4代目マスター・オブ・ウイスキー。雑誌『ウイスキーガロア』テイスター、ウイスキーテイスティングクラブBLINDED BY FEAR ディレクター。また、ウイスキー文化研究所ウイスキースクールおよびカルチャースクール世界文化社セブンアカデミーウイスキーの講師も務める。

デイリー新潮編集部