飛行機が飛び続けた時間の世界記録は約65日で、これは半世紀以上破られていません。しかも達成したのは軽飛行機の代表的存在「セスナ機」です。なぜこのようなフライトが行われたのでしょうか。

「65日間セスナで飛び続けました」なぜ?

 飛行機は一体何時間飛び続けることが出来るのでしょう。空中給油が実用化されると、アメリカ空軍はB-47戦略爆撃機に空中給油を繰り返して世界一周無着陸飛行を行ったことがあります。1986年には「ルータンボイジャー」が無給油世界一周飛行を9日3分44秒で達成しました。ただ、フライト時間における世界最長記録は、これらをはるかに上回るものです。どのように達成したのでしょうか。


セスナ172(細谷泰正撮影)。

 記録が達成されたのは、1958年から1959年のこと。なんとセスナ機を用いて64日22時間19分という滞空時間世界記録を達成しています。この記録はいまでも破られていません。

 使用されたのは4人乗りの軽飛行機セスナ172型です。累計生産機数は4万機以上を記録し、史上最も多く生産されている飛行機の記録を持ち、かつ軽飛行機の代名詞にもなっている機種です。

 計画はアメリカ、ラスベガスから始まりました。ここでハシエンダ・カジノ(現ハシエンダ・カジノ・アンド・リゾーツ)を経営するウォーレン・ベイリー氏は、日ごろから自店の宣伝アイデアを探していました。

 ある日、そこでスロットマシーンの整備士をしていたボブ・ティム氏が一つのアイデアをベイリー氏に披露します。ボブは元爆撃機のパイロットで、自分が「ハシエンダ」と書かれた軽飛行機を使って滞空時間記録を達成するというもの。このアイデアにベイリーは飛びつき10万ドルの予算を用意します。

 しかしセスナ172は、ごく普通の4人乗り軽飛行機です。そのため、記録飛行に向けて改造が行われます。パイロット席を残して内装はほとんどが取り外され、胴体内に容量360リットル(95ガロン)の燃料タンクと燃料ポンプを取り付けたのです。加えて副操縦士側のドアも取り外され、飛行中の燃料補給、食料や水などの補給作業を可能にするため、アコーディオンドアとウインチ(曳航装置)が取り付けられました。

 では、どのようにして超長時間飛ぶための燃料や補給物資を受け取ったのでしょうか。

どうやって飛び続けたのか?フライトの様子は?

 セスナ172が飛び続けるための燃料や物資は、地上を走るトラックに向けてウインチから降ろされたフックにかけて受け取られました。

 燃料補給はウインチで給油ホースを引き上げ、胴体タンクに接続。そこから燃料ポンプをつかって主翼内にある通常の燃料タンクに移しながら飛行するという方法でした。一回の給油に要する時間は3分。これを毎日2回行いました。また、長時間連続稼働するエンジンは、飛行中でもオイル交換やオイルフィルターの交換ができるよう配管が追加されています。

 このような改造が施されたセスナ172は何度かテスト飛行を行った後、1958年12月4日の15時52分、ラスベガスのマッキャラン空港(現ハリー・リード国際空港)を離陸しました。


ラスベガスのハリー・リード国際空港(画像:ハリー・リード国際空港)。

 機内にはパイロット2名が乗り込み、4時間ごとに交代して飛び続けます。食事はハシエンダのシェフが調理し、料理は小さく切り刻んで輸送用の容器に入れて提供されました。狭い機内ではキャンプ用の折り畳み式トイレが使用されましたが、汚物は袋に入れて砂漠の真ん中で投棄されたということです。

 毎日、2回の給油や物資の補給作業などが日課になり、時間を潰せたようですが、慣れてくると時間を持て余して地上を走る車を数えたり、それをネタにゲームしたりして過ごしたそうです。しかし、騒音を伴う狭い機内では十分な休息は不可能です。パイロットたちの疲労は徐々に溜まっていきます。

 また、エンジンも長時間の連続稼働でシリンダー内に煤(すす)が蓄積し、性能が落ちてきました。ほかにもいくつかの軽微な故障が出始めたため、彼らはついに着陸を決意。1959年2月7日にマッキャラン空港へと降り立ち、滞空時間ほぼ65日間という記録を達成したのです。

 この記録は、機体の信頼性などの技術的挑戦というより乗員の疲労と忍耐の限界に挑戦したものといえそうです。なお、記録樹立から65年が経とうとしていますが、いまだに更新されていません。

 ちなみに、記録を達成したセスナ機は65年経った今でも「ハシエンダ」の大きなマーキングを纏ってマッキャラン空港のターミナルビル内で展示されています。