瀬戸 小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンを開発したJAXA理事の國中均さんも武蔵のOBですからね。

 ─ OBも多士済々ですね。そんな武蔵高校を運営する根津育英会の創立者・根津嘉一郎さんの存在をどう捉えますか。

 森 お会いしたことはありませんが、同窓会長になって現理事長の根津公一さん(創立者の孫)から知ったことは、渋沢栄一さんが明治維新の頃に海外を視察しに行った際、根津嘉一郎さんも随行し、将来の日本の姿を自考されたということでした。帰国して鉄道事業から始まり、様々な事業をコングロマリット化しました。当時の世代の人たちのパワーはすごいと思います。

 そして、事業をゼロから立ち上げるという馬力だけではなく、先見の明もあって文化や人づくりという視点に立って根津美術館や根津育英会なども立ち上げた。目先の利益よりも、大所高所の視点に立って社会に還元するという思想があった実業家なのではないかと思いますね。

 瀬戸 懐の深さを感じますよね。事業を精一杯頑張るのはもちろんですが、相手を飲み込んだりするようなことはしないと。自分で全てをコントロールするのではなく、相手の意思を尊重して相手に自由にやらせてくれる。そういう思想が武蔵の校風にも生きているように感じます。

 内海 自分たちが経営する立場になって思うのは、会社にはミッションやビジョンがありますが、「自ら調べ自ら考える」を教育理念のトップに掲げていることはすごいと思います。そこから海外ともつながるという広い視野も持っている。当時はそれほどではありませんでしたが、今になって考えるとすごいです。

 瀬戸 東西文化の融合についても当時、本気で考えていた人は少なかったのではないでしょうか。根津美術館に行くとそれを感じます。そして武蔵の生徒は基本的には歴史的な書物は全て原典で読まされるのです。

 森 どうしてこれほど細かいことを勉強しなければならないのかと思いましたね。歴史の授業も全然進みませんでした(笑)。

 内海 そうでしたね(笑)。

 ─ 岩井さんは根津嘉一郎さんの存在をどう捉えますか。

 岩井 皆さんがおっしゃったように、わたしも学校をつくっていることがすごいと思います。事業で稼いだお金をどう社会に還元するか。もちろん、美術館などの文化面での還元もあるでしょうけれども、根津嘉一郎さんは学業にも取り組んだ。米国のハーバード大学も牧師の寄付によって設立されていますから、それと同じような感じですね。

 ─ それでいて校風が実にユニークな学校ですね。

 内海 わたしのいとこが運動会を見学しに来たのですが驚いていましたよ。組み分けが上半身裸組と体操着を着ている組で分かれていたからです(笑)。体育の時間もいい加減でした。

 瀬戸 体育祭は自由参加で参加せずとも良かったですからね。

 ─ それは先生にも許容度があるということですね。

 瀬戸 そうですね。当時は子どものやんちゃに対して大人が許すという許容度は社会全体でも大きかった気がします。

 岩井 我々の時代は〝水爆弾〟が学校の伝統でしたよね。

 森 ありましたね。中学1年の新入生が入学すると中庭に集合するのですが、そのときに校舎の上から上級生が水風船をどんどん投げてくるんですよ。

 内海 今にして思えば完全にハラスメントですよね(笑)。

 森 やられた学年は2年生になると、今度は自分たちが1年生に向かって投げるんですよ。

 瀬戸 わたしは兄から水爆弾のことは聞いていたので「そろそろくるな」と用心していました。でも渡り廊下で両側のドアを閉められて集中砲火を受けた連中は可哀そうだったな。