高学歴で英語通訳の資格も持つユズルさん。しかし、職歴はいずれもアルバイトやパートといった非正規雇用ばかりだ(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「足掛け7年の社会人経験はあるが、全て非正規雇用」と編集部にメールをくれた44歳の男性だ。

「いい大学に行きたいというエゴで病気になっただけ」

「君には社会資本は使わせない」

東京都内の有名私大を卒業してから数年。メンタルの不調から定職に就けずにいたユズルさん(仮名、44歳)が当時の主治医から告げられた言葉だ。障害者手帳を取りたいという相談を持ち掛けたことへの返答だったので、正確には「福祉制度は使わせない」と言いたかったのだろう。

障害年金の受給や障害者雇用枠での就労も認めないといわんばかりの勢いだったことから、ユズルさんが理由を尋ねると、こう一蹴された。

「君はいい大学に行きたいというエゴで病気になっただけでしょう。そういう自分勝手な理由には同情できません」

ユズルさんは10代で初めて精神科を受診。そこで「心因反応」という診断を受けた。心因反応とは、なんらかの心理的なダメージを受けた結果生じる症状などのことで、正式な病名ではないとされる。一方ですでに2度にわたる精神科病院への入院も経験しており、一般雇用枠での就労は厳しいのではないかという懸念があった。

もちろん障害者手帳や年金に関する事務手続きを所管するのは地方自治体、もしくは年金事務所だし、障害者の就労支援を担うのはハローワークである。ただ利用や支給の決定にあたっては主治医の見解が大きく影響する。ユズルさんはダメもとで精神保健福祉センターも訪ねてみたが、案の定、医師の見立てを基に「君のように普通に対話できる人は一般雇用枠での就労を目指したほうがいい」と事実上の門前払いを食らったという。

資格を取っても就職につながらない

手帳の取得を考えると同時に、ユズルさんなりに手に職をつけようと、大学卒業後は得意な英語に磨きをかける努力もしてみた。専門の学校などに通い、全国通訳案内士や英検1級、通訳技能検定2級を取得。その後、TOEICは975点(990点満点)を記録した。

「これなら通訳か翻訳家として食べていけるのでは」と夢を抱いた。ところが、通訳者や翻訳者を派遣する会社の面接を受けた際、著名な通訳者でもあった面接官から「君は大学を出てからなんの仕事にも就いていないんだね。まずは職業適性を見極めたほうがよいのでは」とダメ出しをされてしまう。

資格を取っても就職につながらない――。主治医に障害者手帳について相談をしたのはちょうどこのころのことだという。ところが、返ってきたのは精神疾患は自己責任といわんばかりの言葉だった。

通訳の資格も生かせない、福祉サービスの利用もできない。ならばと、いくつかの会社でパートやアルバイトとして働いてみた。倉庫内のピッキングやスーパーの品出しといった仕事だったが、いずれも1、2年でうつ状態になったり、気分の浮き沈みが激しくなったりしてどうにも働き続けることができなかったという。この間、両親に迷惑をかけまいと、一人暮らしを試みては体調を崩し、実家に出戻るということも繰り返した。

ユズルさんの履歴書の「免許・資格」欄を見ると、「サービス接遇実務検定2級」「リテールマーケティング検定2級」「ロジスティクス管理3級」「ITパスポート」など数多くの取得資格が並ぶ。転職を繰り返すなかで、少しでも能力やスキルを身に付けようとあがき続けた様子がみてとれるようだった。

一方でメンタルの状態は悪化の一途をたどる。


宿泊施設で働いているというユズルさんは待ち合わせをしたファミレスでホテル経営に関する本を読みふけっていた。その姿からは真面目で努力家の様子がうかがえた(編集部撮影)

20代の終わりに別の精神科医から双極性障害と診断される。数年前には独断で処方薬の服用をやめてみたが、4カ月で体重が20キロも落ちた。結局、3度目の入院をすることになり、その際に統合失調症と気分障害が併発する統合失調感情障害と診断された。

そして退院後に障害者手帳を取得。今は毎月約6万円の障害年金を受給しながら障害者雇用枠で働く。フルタイム勤務ではないので、月収は年金を合わせても17万円ほどだ。  

そもそもユズルさんが精神疾患を発症したきっかけはなんだったのか。

あらためて時系列で振り返ってみる。

ユズルさんの子ども時代、学校の勉強はよくできた。共働きの両親はとりたてて教育熱心というわけではなかったが、進学した私立高校では成績優秀だったことから学費は全額免除。特別進学コースにクラス分けされ、国立大学を目指していたという。

数十万円するカセットテープで成績はアップ

ところが、あるとき成績が落ち、担任から「第一希望の大学は厳しい」と言われてしまう。そこでユズルさんが頼ったのが集中力や記憶力が高まるとうたう、いわゆる自己啓発本だった。数十万円するカセットテープのセットも「親に頼み込んで買ってもらいました」。

テープを聞き始めると、効果は2つの面で即座に現れた。成績はアップ。再び志望校の合格圏内に戻ることができた。一方で夜眠ることができなくなった。正確には数時間は眠るものの、その間も脳が覚醒しているようでまったく休めた気がしなかったという。

「テープは呼吸法や瞑想(めいそう)法を教えるといった内容で、それを1日1時間ほど聞いていただけです。でも、それ以来、英単語や参考書の文字を見ただけで脳が異常に興奮するというか、情報に過敏に反応するようになってしまったんです」

不眠状態が4カ月ほど続いたところで、初めて精神科を受診。それでも症状は改善せず、思考や注意力の低下もみられるようになったため入院をすることになった。病院ではさまざまな薬物を投与され、一時は集中力が続かず中学生レベルの問題も解けなくなったり、歩くのもままならない状態に陥ったりしたという。

日本の精神医療をめぐっては、長期間の強制入院や身体拘束、薬漬けといった問題への批判がある。ただユズルさん自身は「私の場合は強制入院ではありませんでした。たしかに薬漬けの状態ではありましたが、『患者に合った薬物を探すためにいろいろと試している』という病院側の説明には納得しています」という。

結局、2回の入院を経て2年遅れで大学に進学。第一希望の学校ではなかったが、ゼミではゼミ長を務めるなど学業に専念した。一方で「友人との何気ない会話が苦手。飲み会に対しても不健全というイメージがぬぐえなくてサークル活動などからは距離を置いていました」と言い、交友関係は広くはないようだった。

自身の性格や体調を考え、比較的安定して働ける公務員を目指し、在学中から専門の予備校にも通った。しかし、いざ試験を受けると、複数の自治体などで筆記には通るものの、面接ですべて不合格となってしまう。悩んだ末に新卒での就職は諦めた。

精神疾患発症のきっかけとなった自己啓発テープについて、ユズルさんは次のように語る。「私には良くも悪くも効果が強く現れすぎたようです。トリガーにはなりましたが、遅かれ早かれ(精神疾患は)発症していたと思います」。

障害者雇用枠での就労という選択肢を絶たれ、非正規雇用で働いていたときは遅刻や無断欠勤はなかった。残業が月80時間を超えることが続き、体調を崩して辞めた会社からは後に「また戻ってこないか」と声をかけられるほど勤怠は真面目だったという。

一方で気が付くと、仕事以外のことで過度に活動的になることがあった。英語のスピーチサークルに参加したり、行政書士の勉強を始めたり、留学の準備を進めてみたり。「ハイテンションになってあれこれ手を出すのですが、どれもが中途半端に終わり、結局は落ち込む」とユズルさん。双極性障害におけるそう状態の典型的な症状だという。こうしたときは、仕事でもケアレスミスや指示忘れが続くようになる。

いずれの職場にも精神疾患のことは打ち明けていた。しかし、障害者雇用枠ではないので、相応の支援や配慮を受けることはなかった。メンタルの状態が不安定になったせいで周囲との関係が悪化することもあったという。

炭酸水を飲んで空腹を紛らわせることも

断薬を試みたのも「ハイテンション」の時期。しかし、服薬をやめた途端「眠れない、食べなくても平気」という状態に陥る。体重が激減して3度目の入院、そこで統合失調感情障害と診断された。

「実はこれまで主治医や病院は結構変えてきました」とユズルさんは打ち明ける。「(3度目に入院した病院で)統合失調感情障害と診断されたことは、妄想や幻覚があるわけではないので疑問もあります。でも、このときに初めて『これまで苦労されましたね』と言ってもらえたんです。救われた気持ちになりました。障害者手帳を取得するよう勧めてくれたのもこの病院でした」


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かつての主治医から「エゴで病気になった」と言われて20年。現在は障害者雇用枠で宿泊施設のパート従業員として働く。月収約17万円のうち約6万円は家賃に消えるので、やり繰りは厳しい。そのうえ、ここ数年の物価高も追い打ちをかける。

「暖房代を節約するために部屋ではダウンコートを着て過ごすこともありますし、炭酸水を飲んで空腹を紛らわせることもあります」

あらためて当時の主治医の発言をどう思うかと尋ねると、「とても悲しい気持ちになったことを覚えています」と振り返る。「悔しい」でも「怒りを覚える」でもなく、「悲しい」と表現するところが、ユズルさんの人柄を表しているようだった。

「もっと早く障害者手帳を取ることができていれば、違った人生があったのではと考えることもあります。社会がもう少し精神疾患のある人に寛容になってくれればと思います」とユズルさん。まずは今勤めている会社で契約社員になり、できれば無期雇用社員になることが当面の目標だという。ささやかすぎる希望である。

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(藤田 和恵 : ジャーナリスト)