寺岡製作所のMBOに、旧村上系ファンドが介入している(記者撮影)

企業価値を下回る割安価格でのTOB(株式公開買い付け)に、大義はあるのか。複数の上場企業が、こうした問いを突きつけられている。

伊藤忠商事の関連会社で、粘着テープメーカー・寺岡製作所のMBO(経営陣による買収)が暗礁に乗り上げている。足元の株価がTOB価格を上回って推移しており、不成立となる公算が高まっているためだ。

TOB価格の安さがアクティビストを呼び寄せた

創業家出身の寺岡敬之郎(けいしろう)会長が出資し、代表を務める企業が寺岡製作所に対してTOBを実施している。会社側も寺岡氏による買収に賛同しており、10月31日から1株564円で買い付けが始まった。

株価は当初TOB価格近辺で推移していたが、11月16日に突如600円台へと急騰した。前日の15日、旧村上系ファンドの「シティインデックスイレブンス」による買い増しが明らかになったためだ。大量保有報告書によれば、シティはTOB開始直後の2日から株を買い進み、保有比率は15日時点で8.71%に達した。

アクティビスト(物言う株主)であるシティを呼び寄せた原因は、TOB価格の安さだ。1株564円は直近のPBR(株価純資産倍率)に換算すると0.54倍と、解散価値を大幅に下回る。価格水準の妥当性について、寺岡製作所側は「簿価純資産額が、そのまま換価されるわけではない」と説明している。

株価が1株当たり純資産の何倍かを測るPBR。1倍を割る水準でTOBが実施されると、株主は買収対象となった企業の資産価値よりも、安い価格で株式を手放すことを迫られる。このような「割安TOB」に渦巻く株主の不満を突いたのがシティだ。

シティの参戦によってTOBを狂わされた企業は、ほかにもある。静岡県の調味料メーカー、焼津水産化学工業だ。

投資ファンドが8月からTOBを実施していたが、PBR0.7倍という割安な価格にシティを含む複数のアクティビストが目をつけ、焼津株を買い増した。株価がTOB価格を突破して推移した結果、応募が集まらず、不成立に追い込まれている(詳細は10月17日配信記事:村上系ファンドの餌食に、静岡・老舗企業の盲点)。

大株主の「変心」が痛手

寺岡製作所の場合は、大株主の「変心」も痛手となりそうだ。

寺岡製作所へのTOBは、成立する公算が高いと見られていた。筆頭株主の伊藤忠商事や創業家がTOBに同意しており、議決権ベースで3割以上の賛成を確保できていた。金融機関や取引先企業、持ち株会といった「会社寄り」の大株主も多く、買い付け予定数の下限である約61%の達成は決して困難ではないと見られていた。

ところが、シティは11月15日に発行済み株式数の1.54%にあたる41万株を市場外で取得した。一部の大株主がTOBに応募する代わりに、TOB価格よりも7円高い1株571円でシティに持ち株を売却したようだ。TOB応募時と比べて、売り主は単純計算で287万円の売却益を多く手にしたことになる。

寺岡製作所の株価は12月に入っても600円台で推移しており、株主にとってはTOBに応募するよりも市場で持ち株を売却したほうが得をする。期限である12月13日までに応募が集まらなければ、買収者である創業家が買い付け価格を引き上げるか、TOBを断念して経営陣がシティと対話するかの険しい選択を迫られる。

割安TOBに対して株主の不満が渦巻くのは、寺岡製作所のような中小企業だけではない。

「PBR1倍が最低水準であるとの社会的通念が形成されつつある中で、0.85倍という価格での市場からの退場は、少数株主を軽視した判断だ」。12月1日、マネックスグループ傘下のカタリスト投資顧問が声明を発表した。やり玉に挙げたのは、同社のファンドが投資している大正製薬ホールディングス(HD)だ。


TOBが進行中の大正製薬HD(記者撮影)

大正製薬HDに対しては創業家の上原茂副社長がMBOを計画しており、11月27日から2024年1月15日まで、1株8620円でTOBが始まった。TOB価格はPBR換算で0.85倍と、やはり解散価値を下回る。

2024年も割安TOBが控える

純資産額を下回る価格でのTOBについて、大正製薬HDは「純資産は理論的な清算価値を示すものではない」と主張している。一方、株価はTOB開始直後から8700円近くまで上昇している。

同社株の4割は創業家が握っており、買い付け下限である発行済み株式数の66%の応募を集めることは難しくない。それでも、TOB価格よりも高値で買い取るアクティビストが参戦し、株式を高値で売却する大株主が出現すれば、TOBの成立に暗雲が垂れ込める。

2024年も割安TOBが控える。半導体商社のマクニカホールディングスによる、同業のグローセルへのTOBだ。価格は1株645円とPBR換算で0.71倍。グローセルの直近の株価はTOB価格近辺で推移しているが、実際の買い付けが始まる2024年2月上旬になって、アクティビストが襲来するかに注目が集まる。

PBR1倍を割る価格水準でのTOBに、法的な問題はない。それでも、東京証券取引所がPBR1倍割れ企業に対して改善を求める中、「(PBR算出の基準となる)簿価と時価は異なる」という紋切り型の抗弁では、株主の納得は得にくい。

8月に経済産業省が公表した「企業買収における行動指針」では、買収提案を受けた会社は「株主にとってできる限り有利な取引条件で買収が行われることを目指して、真摯に交渉すべき」と明記されている。株主に対する合理的な説明がなければ、TOBが不成立に終わるリスクはこれまでになく高まっている。

(一井 純 : 東洋経済 記者)