北越谷駅の北で高架から地上に降りたあたり。1800系リバイバルカラーの「りょうもう」とすれ違う(撮影:鼠入昌史)

東武スカイツリーラインは「私鉄最長の複々線」として名高い。その距離は、北千住―北越谷間18.9kmに及ぶ。下り列車は西新井駅から高架に駆け上り、ほぼ一直線に関東平野を北に向かう。

複々線区間を過ぎた先の春日部駅付近までは、元荒川や大落古利根川沿いの低地が続く。スカイツリーラインの線路が通っているのは、そうした中でもわずかに標高の高い、元荒川の自然堤防上だ。北越谷駅までの高架区間では、線路沿いに市街地が形成され、その奥には田園地帯が広がる越谷の町の有り様がよくわかる。

沿線風景がのどかになる

「北越谷駅までは複々線で高架ですが、そこから地上に降りて複線。沿線の雰囲気も、北越谷駅を境にしてがらっと変わる印象ですね。私が見ている駅ですと、北越谷駅のほかには大袋・せんげん台のふたつがありますが、その2駅はどちらかというとのどかな雰囲気が漂っています」

東武鉄道春日部駅管区の秋元修一北越谷駅長はこう教えてくれた。つまり、複々線区間の終点である北越谷駅は、いわば“東京的な沿線都市”の終点とも言えるのだろう。


左が北越谷・大袋・せんげん台の3駅を管理する秋元修一北越谷駅長。右は中村和伸新越谷駅長(撮影:鼠入昌史)

実際に北越谷駅にやってくると、確かにこの駅は立派なしつらえである。高架でホームも2面4線。急行は通過してしまうが、駅としては実にターミナル然としたものだ。

「北越谷駅には折り返し線があり、いまでも朝には始発列車が設定されています。だから座って通勤したいという方には助かる駅だと思いますよ」(秋元駅長)


北越谷駅ホーム。複々線区間の終点で2面4線の高架。始発列車の設定も(撮影:鼠入昌史)

駅の周辺は立派な市街地。商業地としての越谷の中心は越谷駅や新越谷駅に譲っているが、遠くまで住宅地が広がっている。西口の駅前からは、冬になると富士山も見えるのだとか。

もともと「越ヶ谷駅」だった

実は、1899年に東武伊勢崎線が開業した時点では、越谷市(当時は越ヶ谷町)のターミナルは北越谷駅だった。当時の所在地は越ヶ谷町ではなく大沢町だったが、駅名も越ヶ谷駅と名乗っていた。

駅北方には皇室のための埼玉鴨場があり、貴賓室も設けられていたという。実際の旧越ヶ谷宿は少し南に離れていて、いまの越谷駅のすぐ近く。それでもこの場所に最初のターミナルが設けられたのはもしかしたら鴨場に関係しているのかもしれない。


北越谷駅西口駅前広場。緑豊かな駅前で、少しずつ都心から離れているのを感じさせる(撮影:鼠入昌史)


遠くにスーパー「ライフ」の看板が見える北越谷駅西口。天気がよければ奥に富士山も(撮影:鼠入昌史)

結局、もっと古くからの市街地である宿場町に近い場所にも駅がほしい、ということで、1919年に現在の越谷駅が開業。こちらの駅は、武州大沢駅に改称している。北越谷駅に改まったのは1956年のことだ。ただ、いまでも交通の結節点としての機能を持つ。春日部駅管区で新越谷駅長を務める中村和伸さんは言う。


北越谷駅東口。高架下には飲食店などが入り、地域の中心ターミナルらしい雰囲気が漂う(撮影:鼠入昌史)

「たとえば、しらこばと水上公園は北越谷駅からバスに乗って行かれる方が多いですね。それと何より、北越谷駅はスカイツリーライン沿線では埼玉スタジアム2002の最寄り駅なんです。浦和レッズの試合日にはシャトルバスが運転されて、真っ赤なユニフォームを着た人たちでにぎわいますよ」

高架を降りた小さな駅

いまも元荒川沿いにある埼玉鴨場を左手に見ながら高架から地上に降りると、そのままスカイツリーラインは住宅地の中を走る。少し左にカーブしたところで国道4号の下を潜り、到着するのが大袋駅だ。各駅停車(と準急)しか停まらない、小さな駅だ。


大袋駅南側の踏切からホームを見る。相対式のホームに橋上駅舎という一般的な構造だ(撮影:鼠入昌史)

「駅の東側、西側どちらにも昔ながらの古い商店街があります。駅舎は2013年に橋上化した新しいものですが、駅の周りを歩くと昔から変わらない駅前住宅地といった印象ですよね。だから、この駅まで来ると北越谷駅よりも都心寄りとの違いがはっきり感じられておもしろいですよ」(秋元駅長) 


大袋駅東口。手前には西口とを結ぶ地下道があり、奥には橋上駅舎の入り口が見える(撮影:鼠入昌史)

大袋駅のロータリーは西側にあるだけで、東口は目の前にすぐ商店街。橋上駅なので駅舎内を経由して東西を移動することもできるが、南側には踏切、また地下道まで用意されている。地上を走る鉄道が町を分断するという話はよく聞くが、大袋に限ってはいくつもの方法でそれが回避できるようになっているのだろう。

一線を画す駅前の雰囲気

秋元駅長の言葉通り、駅周辺はどこまでも広がる住宅地。ただ、大きなマンションなども目立った北越谷駅や、たくさんの商業施設が駅を取り囲んでいた越谷・新越谷駅とは一線を画する雰囲気がある。商店街もチェーン店に混じって古い個人店もある。それでいて、駅のすぐ近くに大きなスーパーがあったりするから、生活環境は悪くない。


大袋駅西口のロータリー。空が広く感じられるあたりは都心の駅と少し違う(撮影:鼠入昌史)

さらに大袋駅から北に進むと、こちらは急行、そしてTHライナーも停車するせんげん台駅だ。“台”というからには、やはり少し高台にあるのだろうか……と思ったら。

「越谷市内の6駅の中で、いちばん低いところにあるかもしれないです」(中村駅長)

駅名の由来は駅のすぐ北を流れる新方川がかつて千間堀と呼ばれていたことから。この川が、越谷市と春日部市の境界にもなっている。

“台”が付くことからなんとなく想像できるとおり、この駅はニュータウンの駅だ。1960年代に完成した武里団地が駅のすぐ北側(新方川より北、つまり行政区画としては春日部市に入る)の最寄り駅として、1967年に開業している。


せんげん台駅の東口。緑地化された中央島がある立派なロータリー(撮影:鼠入昌史)

半世紀前にニュータウン誕生

「何もないところに武里団地ができて駅もできて、そこから駅の周りにも町が生まれた、という感じですね。ニュータウンといっても半世紀ほど昔のことですから、せんげん台駅周辺もどことなく懐かしい感じがしますよ」(秋元駅長)


武里団地はいまも完成時の面影を残す(撮影:鼠入昌史)

せんげん台駅には東にも西にも駅前広場があり、西口には駅ビルの「トスカ」。東口には埼玉県民にはおなじみ「ぎょうざの満洲」もある。そのすぐ周りにはマンション、そして川を渡った先には武里団地。このあたりも、完全に住宅地に囲まれた駅といったところだ。

1960年代以降、沿線の人口拡大に伴ってお客も急増した東武伊勢崎線。それより古い時代の地図を見ると、旧日光街道沿いと駅の周りに小さな市街地があるくらいだった町が一変し、電車のお客も増えていった。そんな“発展の時代”の象徴が、もしかしたらこのスカイツリーラインの越谷市内の駅たちなのかもしれない。

そして、スカイツリーラインの電車は越谷市内でとどまらず、さらに北へ。ここから先は、いよいよクレヨンしんちゃんでおなじみの春日部市だ。また時を改めて、じっくりと春日部を堪能してみたい。


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(鼠入 昌史 : ライター)