スイスでは登山鉄道の旅が人気を集めている。富士山はどうなるか(写真:トム企画/PIXTA)

スイスではアルプスの山々が連なる風景の中を走る登山鉄道の旅が人気を博している。日本でも富士山の山麓から標高2304mにある5合目まで鉄道を走らせるという「富士山登山鉄道」構想が飛び出した。ただ、地元が一枚岩となっているわけではなく、推進派の山梨県と反対派の富士吉田市の間で、意見が真っ向から対立している。

富士山に鉄道を通すという構想は以前から存在した。戦前にも計画があったほか、1960年代には地元の交通・観光事業者である富士急行が地下ケーブルカーの建設を計画したこともある。2015年には、富士山周辺の自治体や観光関係者などでつくる富士五湖観光連盟が富士スバルライン上への鉄道整備を提言した。

既存の道路上に軌道を整備

今回の登山鉄道もスバルライン上に軌道を整備する計画だ。富士吉田料金所付近に設けられる「山麓駅」を起点に終点のスバルライン「五合目駅」までの約25〜28kmが対象となる。あらかじめレール溝を刻んで成形したコンクリートブロックを道路に埋設して整備し、道路の拡幅などの工事は行わない。景観に配慮して、バッテリー搭載またはワイヤレス給電などの架線レスが前提となる。

長崎幸太郎知事は「森林を切り開くといったことはせず、現在の自然環境を傷つけることなく整備できる」と胸を張る。途中には展望景観に優れ、既存遊歩道との結節点となる中間駅も設置する。中間駅は既存の駐車場を利用して整備することで新たな開発は行わない。

登山鉄道の車両には一般的な鉄道車両ではなく、小型かつ低騒音・低振動でバリアフリー性に優れるLRV(軽量軌道車両)タイプの採用を想定している。車両基地などの施設は県有地を活用するため用地取得費はかからないが、全体の整備費用として1400億円が見込まれている。

スバルラインには急カーブが複数箇所存在し、その最小曲線半径は27.5m。車両がカーブを曲がれるか気になったが、長崎知事は「技術的に解決できるという専門家の意見をいただいている」と話す。有識者らからなる富士山登山鉄道検討会が2021年2月にまとめた報告書によれば、長さ10mの車体を3つつなげた長さ30mの車両を開発し、これを2連結して走行するとしている。10m単位でくねくねと曲がるのであれば、確かに対応できそうだ。ただ、道路の拡幅をまったく行わないかというと、長崎知事は「道路を10cmも広げないということはない」とも話しており、急カーブ区間のすれ違い対策などで多少の拡幅工事が必要になるかもしれない。


富士山登山鉄道構想のイメージ。富士スバルライン上に軌道を敷き小型の車両を走らせる(画像:山梨県)


富士スバルラインには急カーブが複数存在する(記者撮影)

「高めの運賃」で入山者数をコントロール

最急勾配は8.8%。このレベルの勾配をLRVが20km以上連続で走行した事例は海外でも確認できていないとされ、急勾配で安全に停止できるブレーキ性能も含め、あらためて検証を行うという。こうした構想策定段階における技術面でのコンサルはパシフィックコンサルタンツが実施しており、今後の技術的コンサルは日本工営に委託する予定。また、日本工営に対して軌道や電気など専門家から助言・指導を行う事業化検討委員会の設置を予定している。

上りの最高速度は時速40kmで所要時間約52分、下りの最高速度は時速25kmで所要時間約74分。絶景を眺めながらの鉄道旅となるが、運賃はどうなるのか。検討会の報告書では運賃水準について立山黒部アルペンルートや海外の登山鉄道を参考に往復1万〜2万円としている。

高額にも感じられるが、長崎知事は、「ディズニーリゾートのチケットは1万円を超えるが、かえって待ち時間が減って満足度が高まったという声もある」として、富士山登山鉄道にはそれだけの付加価値があると反論する。運賃を高めに設定することで、5合目を訪れる客の数を減らしたいという考えが背景にある。

新型コロナが5類に移行して以降、富士山の訪問客は急増している。スバルラインの5合目は登山者や観光客でごった返し、「渋谷のスクランブル交差点のような状況」(長崎知事)だ。訪問客を運ぶ自動車やバスからの排ガスが環境に与える影響は大きく、排ガス問題を食い止めるためのマイカー規制はすでに実施されている。一方で、規制対象外の大型観光バスの通行台数はむしろ増加傾向にある。そこで、スバルラインに登山鉄道の軌道を敷設することでマイカーや大型バスが乗り入れないようにしたいとする。


大勢の観光客や登山客でごった返す富士スバルライン5合目(記者撮影)

富士登山の玄関口としてはスバルライン5合目のほかに吉田口5合目、須走口5合目、御殿場口新5合目、富士宮口5合目などがあり、中でもスバルライン5合目が最も利用者が多いとされる。登山鉄道の乗車を全席予約制にすれば、富士登山者全体の人の流れもコントロールできる。曜日や季節に応じて運行本数を増減するが、需給に応じた変動料金にすることでも人の流れをコントロールする。

電気バスではだめなのか?

ここで1つの疑問が生じる。排ガスをなくすとともに5合目の訪問客をコントロールしたいのであれば、わざわざ鉄道を造らなくても専用の電気バスを運行してほかのマイカーや観光バスの乗り入れを制限すれば、それで十分なはずだ。最近はバスを無人運転で隊列走行させる技術の実用化も進み、鉄道に近い輸送力を発揮できるようになった。

なぜ電気バスではだめなのか。この理由について長崎知事は、「電気バスは通っていいが、ほかのバスは通行してはいけないというわけにはいかない」と話す。


山梨県の長崎幸太郎知事(記者撮影)

しかし、JR大船渡線・気仙沼線BRT、JR日田彦山線BRT、かしてつバスなどには、一般の車両が走行できないバス専用道がある。この点について、県で富士山登山鉄道推進事業を担当する和泉正剛知事政策局次長は、「大船渡線・気仙沼線BRTと日田彦山線BRTは被災した鉄道路線をバス専用道として活用しており、かしてつバスは生活に密接に関わっていた鉄道が廃止されて、その代替手段としてバス専用道が認められた」と話し、スバルラインのような観光道路をそこまで規制するのは困難だとする。

だったら、いっそのこと道路を完全にやめて鉄道に切り替えればよさそうだが、その点については、災害などの非常時には緊急車両を通行できるようにするため、道路の機能は維持する必要があり、一般的な鉄道ではなく、LRTがよいということだった。

スバルライン5合目の所在地である富士吉田市の堀内茂市長は「電気バスで十分」と公言する。その理由は鉄道整備による環境破壊の懸念によるものだが、電気バスではほかの車両の通行をコントロールできないという県の主張をどう思うか。


観光バスが行き交う富士スバルライン(記者撮影)

市の渡辺一史企画部長は「長野県の上高地ではマイカー規制と観光バス規制を同時に行っている」と話す。「長野県ができることをなぜ隣の山梨県ができないのか」というわけだ。

県の和泉次長に確認したところ、スバルラインの現状は激しい渋滞が発生した場合などに適用される道路交通法の交通規制基準に該当していないため、観光バスを規制できないが、上高地の例は今後参考事例として研究したいとのことだった。

「ライフラインの整備」も狙い

県はなぜそこまで登山鉄道にこだわるのか。そこには別の理由があった。それはスカイラインの5合目には電気も上下水道も引かれていないということだ。来訪者の増加に伴いレストランや宿泊施設が使用する水や燃料の運搬量が増え、自家発電量も増加、加えてトイレの処理能力が低下するなどの環境負荷が増加している。

こうした問題を解決するため、県は登山鉄道の整備と一体的に電気および上下水道等のライフラインを整備したいと考えているのだ。道路にレール溝を刻んで成形したコンクリートブロックを埋設する工事を行う際に上下水道や電力ケーブルの管路も併設する。

5合目のライフライン整備は富士吉田市にとってもメリットのある話だ。この点について市の渡辺部長に問うと、「その問題はわれわれも重要と認識している」としつつも、「登山鉄道とライフラインの問題は切り離して考えるべき」と述べる。渡辺部長によれば上下水道や電力ケーブルの管路を埋めるなら別ルートの「滝沢林道」を活用するほうがコスト的にもずっと安上がりだという。また、渡辺部長は、富士山の5合目付近は雪崩の発生しやすい場所であり、2021年3月にも雪崩でスバルラインが被害を受けたとして、道路に埋設したケーブルが損傷するリスクについても懸念していた。

このように富士山の環境や混雑をめぐる問題について県と市が対立しているが、解決まで長い時間はかけられない。9月10日から始まったユネスコの世界遺産委員会で、イタリアが気候変動やオーバーツーリズムからベネチアを守る努力が足りないとして、ベネチアを存続が危ぶまれる「危機遺産リスト」に登録すべきかどうか協議された。結局、登録は見送りとなったが、危機遺産に登録されると国には危機脱出に向けた努力を行う必要があり、状況が改善されないと世界遺産登録から抹消される可能性がある。


5合目の駐車場の人工的景観は登山鉄道整備を機に周辺の緑と調和した空間にする方針だ(記者撮影)

富士山も世界遺産登録の決定時、ユネスコの諮問機関であるイコモスから登山者の混雑、自動車による環境負荷、人工的景観などを改善すべき点として指摘されている。県は登山鉄道構想に合わせて人工的景観を周囲の緑に調和させるような整備も行うことで、こうした問題を一気に解決させたいと考えており、外国メディアに向けてPR活動を積極的に行っている。

県は地元に十分な説明を

海外から登山鉄道の機運を醸成しようとする県に対して、市は「われわれにはきちんとした説明がない」と不満を隠さない。市は10月以降に地元の交通事業者や観光事業者らと登山鉄道構想について意見交換する場を設ける方針だ。

一方の県は、「登山鉄道構想は富士山を取り巻く課題を解決するソリューションの1つとして提案しており、鉄道ありきではない」(和泉次長)。地元や観光事業者に十分な説明ができていなかったと認め、今後あらゆる機会をとらえて説明していきたいという。

県と市が対立している状況が世界遺産としての富士山の評価にプラスに働くはずはない。アプローチこそ違うが、県と市が目指す目標は同じだ。できるだけ早い合意形成が望まれる。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)