始発ちゃんとして活動するきっかけとなった旧波並駅のイラスト(イラスト:始発ちゃん)

「始発ちゃん」のペンネームで、鉄道と女の子をモチーフにした作品を描くイラストレーターとして活動し、人気を集めている女性がいる。

始発ちゃんが作品を発表するツイッター(現X、以下ツイッター)では、「懐かしい気持ちになる」「ほっこりする」などといったファンからのコメントが多い。始発ちゃんの作品は、繊細なタッチで精密に描き出された実在の駅や車両と女の子が描かれていることが大きな特徴で、そうしたイラストの世界観に温かみを感じるファンも多いようだ。

いすみ鉄道のイラストで脚光

その人気はツイッター上にとどまらず、これまでいすみ鉄道との公式コラボグッズ制作や、JR貨物北海道支社の北海道新聞全面広告のイラスト制作など活躍の場を広げてきた。そんな始発ちゃんとはいったい何者なのか、本人に話を聞いた。

「いすみ鉄道との公式コラボグッズを制作させていただいたことが大きなきっかけになりました」と始発ちゃんは振り返る。

始発ちゃんが描いたいすみ鉄道の大原駅ホームでのイラスト作品がクリアファイルやポスターになり、いすみ鉄道オンラインストアや大原駅での販売が開始されたのは2020年夏のこと。このイラスト作品が沿線住民の方の目に留まったことが公式グッズ化のきっかけだった。


いすみ鉄道との公式コラボグッズになったイラスト(イラスト:始発ちゃん)

いすみ鉄道のイラストを描いた理由は、レトロな大原駅ホームに佇む黄色い車両、そしてホームに掲げられた「ようこそいすみ鉄道へ」のレトロな看板に心が惹かれたからで、イラストを見る人にも懐かしさを感じてほしいという思いから描くことにしたという。

その後、始発ちゃんの公式コラボグッズは、東京湾アクアラインの「海ほたる」売店などへも販路を広げ、多くの人が作品を目にすることになった。それまでも、ツイッター上では大勢のフォロワーさんに恵まれ、仕事の依頼につながることもあったが、いすみ鉄道との公式コラボグッズの実現により、JR貨物北海道支社から北海道新聞への全面広告掲載用のイラスト制作依頼を受けるなど、実際の鉄道会社との仕事の機会を広げることになったほか、鉄道建設・運輸施設整備支援機構の広報誌「鉄道・運輸機構だより」でも連載を始めることになる。

始発列車に乗って通学した高校時代

そんな始発ちゃんのペンネームの由来は高校時代に遡る。始発ちゃんは、自宅のある岐阜県瑞浪市から岐阜市内の高校に進学し、JR中央本線瑞浪駅から、毎日、始発列車で2時間かけて通学をすることになったのだ。

途中、多治見駅ではJR太多線へと乗り換え、終点の美濃太田駅へ。さらにJR高山本線に乗り換えて岐阜市内の高校最寄り駅まで3年間通学。列車での通学中には「車窓風景を見ながら宿題をしていた」ほか、幼いころから絵が好きだったこともあり「列車の乗客をスケッチして過ごした」という。

列車通学を始めた当初は、鉄道に対する興味や関心は強いわけではなかったが、駅で目にする列車の行先から「列車の行先のさらに先にある自分の知らない世界に想像を膨らませていた」という。例えば、瑞浪駅で通学とは逆方向の「中津川行」の行先を見て中津川駅の先の世界への想像を膨らませていたほか、家族でのドライブでたまたま見かけた1両編成のローカル列車の存在に興味を持つこともあった。

始発列車での3年間の通学は「しんどいと感じることもあった」と振り返るが、それでも卒業まで通学できたのは「本当に行きたい高校に通わせてもらっていたから」と話す。こうした始発列車での通学経験が鉄道イラストレーター「始発ちゃん」の原点となった。

大回り乗車にドハマリした大学時代

高校を卒業した始発ちゃんは関東の大学に進学した。大学では友人に誘われて「大回り乗車」を知ったことで本格的に鉄道への興味を深めていくことになる。大回り乗車とは、「大都市近郊区間」と呼ばれる指定された範囲内では、実際に乗車した経路にかかわらず最安となる経路で計算した運賃で乗車ができるという特例を利用し、あえて遠回りの経路で乗車することをいう。

始発ちゃんは「隣駅までの運賃で多くの路線に乗車できるということに衝撃を受けた」と同時に「面白い」と感じ、その後、大回り乗車にハマり、さまざまな路線に1人で乗車しに行った。特に印象的だったのは、鶴見線を訪問したときのことで、「鶴見駅にあった乗り換え改札口で駅員さんに自宅最寄り駅からの初乗りきっぷを見せなければいけなかったときはハラハラした」と当時の思い出を語る。また、大回り乗車以外にも青春18きっぷで静岡や岐阜、京都へ行くなど鉄道での行動範囲が広がっていた。

絵を描くことが好きな始発ちゃんは、高校時代と同様に列車で旅する時は、乗客のスケッチも続けており、大学卒業時までにこうしたスケッチノートは延べ10冊以上に及んだ。このほかにも駅を題材にした手描きアニメーション制作を行ったこともある。こうした活動を続けていく中で大学卒業後は絵を描く仕事をしたいと思うようになっていったという。

大学を卒業した始発ちゃんは、ゲストハウスで働きながら鉄道を使って各地を巡り始めた。「私は旅が好きで、はじめてのさまざまな景色を見てみたいという思いを持ちながら、懐かしい匂いのする場所を求めて心の拠り所を探していたのだと思う」と当時の心境を振り返る。

このような想いで、石川県の「のと鉄道」能登線の廃線跡を旅していた時に出会った旧波並駅で、営業当時のまま放置されていたプラットホームから見えた美しい海の景色に感動し、鉄道イラストレーターとして活動していこうと決めた。イラスト作品は、主にツイッターで発信を続けることでファンが増えていったといい、その後、個展を開催できるまでになったという。

こうした始発ちゃんの作品の世界観は、映画や美術館の鑑賞によく行っていた「子供のころの懐かしい世界に帰りたい」という思いが原点になっているという。例えば、アニメ「クレヨンしんちゃん」の映画では、「子供のときは漠然と面白いとしか思っていなかった」が、大人になってから再び観ると「度々出る夕焼けのシーンに胸がぎゅっと締め付けられ、学校終わりに友達と公園で遊んだことを思い出し懐かしさがこみあげてきた」といい、そうした体験も作品の世界観に影響を与えている。

今後はマンガも描いていきたい

最近は、2023年3月31日限りで石狩沼田―留萌間が廃止されたJR北海道の留萌本線を4コママンガや駅のイラストで紹介する同人誌作品を仲間と一緒に制作し、東京ビッグサイトで開催された夏のコミックマーケットに出展した。


始発ちゃんの著作『るもいせん各駅散歩』(写真:山本留吉)

マンガ作品の制作は、「自分のイラストを見てくれた方が、よりその世界観に深く入り込めるようなコンテンツを作りたかったこと」から挑戦を決めたといい、分かりやすい解説を含めて「見る人」に寄り添えるように気を付けて創作活動を行った。

さらに、始発ちゃんは、「ツイッターなどの投稿を見ているとマンガはとても身近な存在で、ついつい読んでしまうものだと感じた。その中で、伝わりやすくするだけでなく、明るく面白い印象となるようにしたかった」ため、制作した同人誌作品には「ギャグ」の要素も取り入れたという。

全国各地で赤字ローカル線問題が表面化している中で、始発ちゃんのイラストやマンガを通じ、地方の鉄道に興味を持つ人が出てくるかもしれない。そんな人たちがモデルとなった場所に訪れれば、鉄道の支援につながるかもしれない。それは始発ちゃんの今後の目標でもある。

(小椋 將史 : ライター)