古事記の世界に転生した男、因幡の白兎に出会う
『古事記』の世界に転生し、兄たちと旅をする道中で出会ったのは(写真:m.Taira/PIXTA)
バーテンダーのサムは、仕事も人間関係もズタボロ。ある日、常連客とのトラブルに巻き込まれて命を落とす──。目覚めた彼は、『古事記』の世界で神様として転生していた! 元の世界に戻るために必要なのは、日本の建国……!? 令和と神話が交錯する小説『古事記転生』を試し読み第2回(全4回)をお届けします。
「プロポーズするために旅をしているのか?」
タマちゃんが教えてくれたこと。
ここは数千年前の日本で、俺はナムチという“下の中”の神様であること。
ナムチは、兄たちとどこかに向かっていること。
それらを振り返りながら歩いていると、先を歩いていたタケルたちが戻ってきた。
「おいコラ、ナムチ! キビキビ歩けよ! お前はただでさえのろいんだから」
「あー、クソ! タマちゃんの声も聞こえなくなっちまったし、これからどうすればいいんだよ……」
「何を言ってるんだコイツは? 早く歩かないと先に行くぞ。おぉい、勇敢な八十神たちよ、景気づけに歌でも唄おうではないか! ガッハッハ!!」
タケルの呼びかけに八十神たちが応じると、一行は野球の応援団もびっくりするくらいの声量で唄い始めた。
勇ましき八十神が
海越え、山越え、あなたに会いに行きますぞ
因幡国の美しき女神ヤカミヒメ
あなたに見初められれば、因幡国は我らのもの
八十神は必ずやあなたを妻にしますぞ
ワッショイ! ワッショイ!
「な、なんだこの変な歌は……まさかコイツら、ヤカミヒメとかいう人にプロポーズするために旅をしているのか?」
「今更何を言ってるんだ? ヤカミヒメと結婚できれば、因幡国は思うがまま! そのために遠い祖国からはるばる旅をしているんだからな。祖国の王位継承権を持たないワシらは、この方法で成り上がるしかないだろう」
コイツら、何言ってるんだ? 結婚で国を牛耳ろうとするなんて、現代人の感覚だとタケルが言っていることは全然理解できない。
「おっと、父上のお気に入りであるお前は別だったかな? さぁ、因幡国も目前だ。弟たちよ、駆け足で行くぞ!」
「か、駆け足? 今でももう限界なんだけど……あっ、ちょっと!」
「ナムチよ、お前はゆっくり歩いて来るといい。万が一ヤカミヒメがお前を選ぶなんてことがあったらコトだからな! おっと、預けた荷物はちゃんと運ぶんだぞ? 1つでもなくしたら殺すからな! ガッハッハ!」
タケルの号令をきっかけに八十神たちはものすごいスピードで駆け出し、あっという間に見えなくなってしまった。
「あぁ、行っちゃった……。それにしてもこの体の持ち主のナムチってなんであんなに兄たちから疎まれているんだろう。下の中なのにな」
神様になっても能力は並以下。転生したのに無双もできない。現世と同じで、兄ともうまくいかない。結局俺の人生って、どう転んでもダメなんだな。
転生早々、やるせない気持ちを抱えながら草原を歩いた。小一時間ほど進んだところで、風が強く吹きつけ、心地よい潮の匂いが漂ってくると、海が近いことに気づいた。足早に進むと、目の前には眩しい光が反射する海が広がっていた。その眩しさに少しでも気を紛らわせたかった俺は、深呼吸をして景色に見とれてしまった。しばらく海を眺めていたら、どこからかシクシクとすすり泣く声が聞こえてきた。
「この泣き声、どこから聞こえてるんだ?」
気になって声がする方に進むと、そこには皮を剥がれて血だらけになった白ウサギが横たわっていた。グ、グロい!! グロいことも気になるけど、白ウサギが……泣いてる?
「痛いよ、助けてよぉ……」
しゃべった。普通にしゃべった。転生だのなんだの言われて、ここまで来たらちょっとやそっとじゃ驚かないと思っていたけど、血まみれの白ウサギが泣きながらしゃべっているなんて、これはさすがについていけないわ。
「それにしても誰がこんなにひどいことを?」
「あ、あの……大丈夫?」
「グスッ……だまされた……あのクソ野郎ども! 『海で洗ったら良くなる』って言ってたのに。ちくしょうめ!」
「うわ、口悪っ!! その傷、海で洗ったの!?」
「そうだよ。ついさっき、ここを通りがかった連中にそう言われたんだ。言われたとおり海で体を洗ったら、痛み倍増だよ! 皮膚が乾いてパリパリするよ〜」
「絶対タケルたちだな。あいつらどんだけしょうもないやつらなんだ! とりあえず海の水はダメだ、きれいな真水で洗わないと……ちょっと待って!」
持っていた大量の荷物をひっくり返すと、瓢箪が出てきた。振ってみると液体が入っている音がする。おそらく、この時代の水筒なんだろう。匂いを嗅いで一口飲んでみると、液体が水であることがわかった。
「ウサギさん、ちょいと染みるけど我慢してね!」
「ぎえーーーーー!!」
俺はパリパリになった白ウサギの皮膚に瓢箪の中の水をかけた。傷を刺激しないように、そっとかけたつもりだったが、白ウサギは絶叫しながらとんでもない勢いで飛び跳ねた。アニメでしか見たことがない現実離れした大ジャンプだ。
「おい、痛いじゃないか! さてはお前もさっきの連中の仲間で悪いやつなのか!?」
「違う違う! 水で洗い流さないともっとひどくなるぞ。ほら、こうやってちゃんと洗わないと……ちょっと痛いだろうけど我慢してくれ!」
「ぎゃーーーーーーーーー!!」
来たばかりのよくわからない異世界で、皮膚なし白ウサギを洗うだなんて、俺は夢でも見ているんだろうか。
「うぅ〜……痛いけど、少しはマシになってきたよ。ありがとう。君、名前は?」
「えっと、俺の名前は……ナ、ナムチ! それにしても誰がこんなにひどいことを? さっき通りがかった連中が海水で傷を洗えって言ってきたってことは、君の皮をひん剥いたのは別の人なんだよね?」
「そうだよ、オイラの皮をひん剥いたのは恐ろしいツラしたワニの一族だ! あの野郎どもがオイラをこんな目に遭わせたんだ」
「ワ、ワニの一族?」
喋る白ウサギの次はワニ……。完全におとぎ話のノリじゃないか。そもそも昔の日本にワニなんているのか?
「オイラは元々、ここから海を隔てたずーっと遠いところに住んでたんだけどさ。どうしても因幡国に来たくてね。因幡国の近海に住むワニたちに、ある勝負を持ちかけたんだよ」
「ふんふん……それでそれで?」
勝負は白ウサギの提案で始まったらしい。
まず、ワニ一族の1匹を呼び寄せて白ウサギはこう言った。
「オイラたち白ウサギ一族と、お前たちワニ一族。どっちの数が多いか勝負しないか?」
ワニ一族が勝負に興味を示すと、白ウサギはこう続けた。
「まず、オイラがお前たちワニ一族の数を数えるから、向こうに見える島に向かって順番に並んでくれ。オイラがワニたちの背中をピョンピョン飛んで数えていくから、その次にオイラたち白ウサギ一族を数えてくれ」
「ワニたち単純だからさ、すぐに勝負に乗ってくれて、元いた国の海岸からこの国の海岸までズラーッと並んでくれたんだよ。それでオイラはワニたちの背中を渡って、この国に来られたんだ」
「ちょっと待って、それって数比べ勝負になってないよね? 白ウサギ一族って言ってもここには君しかいないし、君が陸に上がったらワニたちは数えようがないじゃないか」
「あ、やっぱり気づくよね」
「この国まで来たかったから、ワニたちをだましたってこと?」
「……まぁ、簡単に言うとそうなるね……」
「コイツらだまされてやんのー!」
バツが悪そうに白ウサギが言った。白ウサギのずる賢さに呆れながらも、俺の頭には1つの疑問が浮かんでいた。
「それじゃあ、君はいつ皮を剥がれたんだ?」
「それはね、オイラが“耐えきれなくなった”からなんだ……」
「耐えきれなくなった?」
「そうさ。ワニの背中をピョンピョン飛び跳ねていたら、こう……ププッと笑いがこみ上げてきてね……。コイツらだまされてやんのー! って気持ちが抑えきれなくなっちゃって、最後の1匹にこう言っちゃったんだ。『やーい、マヌケなワニどもー! お前らがだまされてくれたおかげで、無事に海を渡ることができたよー!』ってね」
「うわー……最悪じゃん」
「あっかんべーして、お尻フリフリしてたら最後のワニがめちゃくちゃ怒り出してさ。オイラの首根っこを摑んで皮をひん剥いて、すんごい力で放り投げたんだよ!」
「そこにタケルたちが来たのか!」
「そういうことさ。皮をひん剥かれた痛さで泣いてたら、さっきの連中がゾロゾロと現れてさ。『皮を剥かれたときは、海で洗ったらすっかり良くなるよ』って言うからそのとおりにしたら、この有様さ!」
なんだろう……俺も冴えない人生を歩んできた自覚はあるけど、ここまでどうしようもないエピソードを聞くのは初めてだ。「自業自得」といえばそれまでだけど、この傷はさすがにかわいそうだもんなぁ……どうしたもんか。そんなことを考えていると、腰にくくられた袋から光が漏れてきた。
「この袋の中に入っている粉を白ウサギさんに塗ってあげ。これはナムチが大切に持っていたガマの花粉やから」
「なんだ!? 白ウサギさん、今何か言った?」
「な、なんだよ、何も言ってないよ。急に大声出さないでくれよ! オイラ耳がいいからビックリするんだよ」
「ごめんごめん! えーっと、この脳内に響く感じと関西弁はもしかして……タマちゃん!?」
「せや。ワシやで」
声の主は、あの関西弁のタマちゃんだった。
「ちょっとタマちゃん、どこ行ってたんだよ。それにしてもこの袋は一体? なんか、漢方薬みたいな匂いがするけど……?」
「早くそこの白ウサギさんにその粉を塗ってあげ。すぐに良くなるから」
「わかったよ、タマちゃん。白ウサギさん、この粉はガマの花粉っていってね、体に塗ると良くなるみたいだから、塗ってあげるよ」
俺はタマちゃんの言うとおりに、腰の袋から光る粉を取り出して瓢箪をシェイカー代わりに水と混ぜて塗り薬にして塗ってあげた。
「うわぁ、なんだかスースーして気持ちがいいよナムチ。いや、ナムチ様! 君はなんていいやつなんだ! これからは一生ナムチ様って呼ぶね」
「様づけとかやめてよ、くすぐったい! ナムチでいいよ」
「君は本当にいいやつだなぁ! ナムチみたいな男こそ、ヤカミヒメと結婚すればいいのに」
「もしかして、ナムチはヤカミヒメと結婚したいの?」
ヤカミヒメって、タケルたちが結婚したいって言ってた人だ。
「え、今なんて? もしかしてヤカミヒメと知り合いなの?」
「それはもうバリバリの知り合いさ。オイラたち白ウサギ一族はずーーーーっと昔はこの因幡国に住んでいて、ヤカミヒメのご先祖様に仕えていたのさ。古い一族同士の約束を果たすために、オイラはこの因幡国にわざわざやって来たってわけ」
「へぇー。その約束ってなんなの?」
「それはね、『太陽と月が重なってお昼なのに真っ暗になったとき、ご先祖様がお世話になったヤカミヒメの一族を助けに行け』って言い伝えがあるんだよ。詳しいことはオイラもよくわからないんだけど、時代が変わって争いごとがたくさん起こるようになるんだってさ」
「ふーん……なんか物騒な言い伝えだね」
白ウサギの話を聞いていたら、今このタイミングで彼と会えた幸運を感じて、少しだけ気持ちが楽になった。白ウサギはこの国にも詳しいだろうし、タケルたちに置いていかれて、どこに行けばいいかわからなくなっていた俺にとっては、今や白ウサギだけが頼りだ。
「オイラ、ヤカミヒメに会うためにここまで来たんだ。国を出発する前にも何度も渡り鳥を通じてやり取りをしていてね。……もしかして、ナムチはヤカミヒメと結婚したいの? あっ、その顔はどう見ても結婚したいって顔だね。わかった。オイラが『とんでもなくいい男がいる』ってヤカミヒメに伝えてくるよ!」
「いやいや、そんなこと1ミリも言ってないじゃないか! すごい勢いで話進めるね君は……そもそもヤカミヒメのことは全然知らないし──」
「わかったわかった、とにかくナムチはヤカミヒメと結婚したいんだね! じゃあ、ひと休みしたらオイラと一緒に行こう。言い忘れてたけど、オイラの名はハクト。よろしくね!」
「あ、ありがとうハクト。話は全然通じてない気がするけど、どうせ行くあてもないし、とりあえず一緒に行こうか!」
(9月18日の配信の次回に続く)
(サム(アライコウヨウ) : 神話系YouTuber「TOLAND VLOG」の語り手)