この記事をまとめると

ホンダ車のデザインは1980年代〜90年代が黄金時代と言われる

■筆者は1981年の初代シティが始まりだという

■1990年代は80年代に築き上げた資産で評価されていた感もある

1980〜90年代はホンダデザインの黄金期!

 ヴェゼルやステップワゴンなど、最近シンプル路線へ回帰したホンダデザインが話題ですが、しかし同社のデザインと言えば1980年代から90年代初めこそが黄金期との声が圧倒的です。では、今回はあらためてその黄金期を振り返ってみたいと思います。

本質的な造形で余計な要素を削ぎ落とす

 1980年代から始まる怒濤のグッドデザイン攻勢は、個人的に1981年の初代シティがプロローグだったと考えています。1980年代らしいモダンな面構成はもとより「本質的な経済車として不要なモノを一切外す」という徹底した姿勢や、ほかに類を見ないトールボーイスタイルの導入という、オリジナリティ豊かな発想が新時代のホンダを予見したのです。

 そうして1983年に登場したのが、3代目のワンダーシビックとバラードスポーツCR-Xです。流麗なロングルーフや切り落とされた広いガラス面のリヤが特徴のシビック3ドアは、グッドデザイン大賞を獲得したことも含めて常に話題の中心ですが、いわゆるMM思想を直球で反映させたビッグキャビンの端正なセダンや、現在のミニバン時代を先取りしたシャトルという三者三様の提案もまた見所です。

 シビックの姉妹車であるバラードの派生車として登場したCR-Xは「FFライトウェイトスポーツ」を掲げ、コーダトロンカ的に切り落としたリヤと短いホイールベースで登場。「軽さ」を造形に落とし込むことにより、結果的にスポーティさを獲得した点が秀逸です。

 もうひとつの流れが、リトラクタブルランプによる独創的な顔をもった3車=2代目プレリュード、3代目アコード、クイントインテグラです。同じデザインテーマながら、低さを強調したプレリュード、ビックキャビンを載せたアコード、凝縮感を持つ実用的なインテグラと、それぞれに個性を持たせることに成功。北米市場を意識したバタ臭さと同時に、欧州車的な合理性を感じさせるプレーンなデザインが圧巻でした。

 さらに、1985年には初代トゥデイという傑作も飛び出すのですが、こうしたグッドデザイン攻勢の裏には、のちに四輪デザインを統括した木越由和氏をはじめ、在間浩氏、岩倉信弥両氏などの、才能豊かなデザイナーの活躍があったようです。恐らく、彼らが自由にスケッチを描ける空気が社内にあったのでは? と思わせます。

いまでも根強いファンの多い名車が続々と生まれた

1980年代後半は「低さ」をテーマに駆け抜ける

 この1980年代前半の名作群を次の時代にどう引き継ぐのか? 実際にはさまざまな論議があった筈ですが、そのひとつとして先の2代目プレリュードを筆頭とした「低さ」への注目があったように思えます。

 その機運は、まず1985年の初代レジェンドに見られ、翌年、180度の趣旨替えでファンを驚かせた2代目シティで本格スタート。1987年にはシビックとCR-Xがモデルチェンジしますが、先代を基本としながらも、より低くスリムな佇まいが特徴です。両車ともこの世代の人気が高いですが、このわかりやすいスポーティさが理由かもしれません。

 そして、この流れの集大成が1989年に登場したアコードインスパイア/ビガーです。縦置きエンジンによるFFミッドシップという特殊な機構が前提とはいえ、低く、長いボンネットに小さなキャビンを載せたハードトップボディは「低いホンダ車」を決定付けました。そこに高い合理性は感じられませんが、大幅にアップした質感や明快なカッコよさが、1990年代初めの個性となったのは間違いないでしょう。

 こうしてホンダデザインの黄金期が築かれたワケですが、冷静に見ると、1980年代前半に圧倒的な実績を残し、その資産を使うことでギリギリ1990年代に届いたようにも感じられます。したがって、同じ黄金期でも前期と後期ではデザイン要素がかなり異なり、それぞれにファンを持つ点が面白いところです。

 さて、時は過ぎ、現在のホンダデザインはシンプル回帰路線を歩んでいますが、果たしてこれが後に「令和の黄金期」と呼ばれることになるのでしょうか?