18歳未満の「子供」が4億人以上いる…日本が"インドとの関係"を軽視してはいけない現実的理由
※本稿は、伊藤融『インドの正体「未来の大国」の虚と実』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■なぜインドと積極的に付き合わなければならないのか
われわれとインド。自由や民主主義といった同じ看板を掲げてはいるものの、そのなかをよく覗いてみると、ほんとうに価値の大半を共有しているといえるのかどうか疑わしい。そして中国の台頭と挑戦をめぐっても、その対応には温度差があり、さまざまな場面でみずからは途上国、あるいはグローバル・サウスだと強調するインドとは、利害が全面的に一致するわけでもない。だとすれば、なぜそんな国と積極的に付き合わなければならないのか? もっと距離を置いてもいいのではないか? そういう疑問がでてくるだろう。われわれにとって、インドという国と距離を置くという選択肢が現実的なものなのかどうかを検討してみたい。
その前提として大事なのは、インドという国の実力と潜在力がどの程度のものなのかを把握することだろう。インドは中国や韓国と違って、われわれの隣国というわけではない。もし現在も未来も、それほどのパワーをもつ国ではない、ということであれば、遠く離れたインドと無理して付き合う必要はない、という理屈も成り立つからだ。
■日本の8倍以上の面積を誇る
まずは地理的な視点からみてみよう。この国はユーラシア大陸南端のインド亜大陸に位置する大陸国家であり、かつインド洋に面する海洋国家でもある。後者に関していえば、ヨーロッパ、中東と、日本や東・東南アジアをつなぐ海上輸送路の中央に、インドが位置するという点が重要だ(図表1)。故安倍元首相も語ったように、インドの海域や港湾は世界中の通商の要といってよい。かつて、ソマリア沖・アデン湾の海賊問題が大きな脅威となった。インド洋に突き出したインドが、不安定化して同様のことが生じたり、万一、インドが航行の自由を妨害するような国になったりするならば、国際通商に及ぼすダメージはそれ以上の甚大なものになる。
メルカトル図法の世界地図を眺めていてもピンとこないだろうが、地球儀をよくみると、インドは面積も意外なほど大きい国だ。もちろん中国にはかなわないが、インドの国土面積は、東欧を除く大陸ヨーロッパとほぼ同じくらいの規模になる。日本の8倍以上の広さだ。そして北部にヒマラヤ山脈があるものの、中央部のデカン高原を含め、国土の大半は、耕作あるいは牧畜が可能で、人の住める環境下にある。
■2023年には人口世界一、若い世代が多い
したがって、人口規模が大きく、かつ稠密になるのは、自然の摂理といえるかもしれない。独立した1947年時点でもすでに3億4000万人ほどの人口大国だったとされるが、その後も人口は増えつづけ、半世紀後の1997年には10億人を突破した。独立から75年後の2022年の国連推計では、インドの人口は14億を超えており、翌2023年には中国を上回って、世界一となることが確実視される。
規模の大きさにくわえて、注目しておきたい特性は、その人口構成だ。日本では、少子化と高齢化が急速に進みつつあり、生産・消費の中核を担う世代の減少が深刻な問題となっている。長く「一人っ子政策」をつづけてきた中国においても、同様の傾向が指摘されはじめている。インドはこれとは対照的だ。2019年に行われた総選挙の有権者数は、9億人だった。18歳以上の男女が有権者であるから、18歳未満の「子ども」がなんと4億人以上もいることになる。若い世代の多い「ピラミッド型」の人口構成だ(図表2)。今後数十年間、生産・消費人口がこれだけの規模で増えつづける国はほかにない。
■「人口ボーナス」が経済成長の土台
この「人口ボーナス」こそ、インドの経済成長の土台だ。長らく「眠れる巨象」などと揶揄されてきたインド経済だが、1991年に本格的な経済自由化に踏み切って以降、段階的に規制緩和や民営化、外資の導入が進んだ。年率にしてほぼ5〜10パーセントの経済成長がつづく。とくに2014年のモディ政権発足以降に絞れば、中国と同等か、あるいは上回る成長率の年がほとんどだ。長期のロックダウンを余儀なくされたコロナ禍の2020年こそ、日本以上の大きなマイナス成長となったものの、そこからの回復は比較的早かった(図表3)。
順調な経済成長に伴い、国内総生産(GDP)は着々と伸びている。アメリカ、それを猛追する中国のビッグ2とはまだまだ比べようもないが、それ以外の主要先進国、G7の域には間違いなく達している(図表4)。IMFが2022年に発表した中期予測は、インドのGDPは今後、イギリス、フランスを完全に引き離し、2025年にドイツ、そして2027年には日本を追い越して世界第3位となるとしている。もちろん、その時点でも、人口1人当たりのGDPでいえば、インドは世界の下位にとどまっているだろう。つまりインド人が日本人より豊かになるというわけではない。けれども、「国力」としてみれば、近いうちに日本がインドに抜かれるのは間違いない。
■かつての中国同様「世界の工場」となるのを目指す
このような自由化以降のインド経済の成長の中心にあるのが、ITや金融を中心とする第3次産業の台頭だ。第3次産業は労働人口の3割強、GDPでは半分を占める。他方で、製造業など第2次産業は、未発達なままだ。たしかに医薬品の製造に関しては、モディ首相みずから「世界の薬局」と胸を張るほどの優位性を誇ってはいる。しかし全体としてみれば、製造業はインドでは立ち遅れており、依然として4割以上の労働人口が第1次産業に従事している。モンスーンがちゃんと来て、雨が降るか降らないかによって生活が左右される農村人口がまだまだ多いということだ。
そこで、豊富な若年層の所得を増やし、消費を拡大する、すなわち、人口ボーナスをもっと活かすためには、労働力の第2次産業への移行が欠かせない。2014年に成立したモディ政権が、「メイク・イン・インディア」のスローガンを掲げ、各国から製造業への投資を誘致しているのはそうした認識にもとづく。かつての中国と同様、インドが「世界の工場」となるのを目指しているのだろう。
■教育水準の底上げが不可欠
もちろんそのためには、教育水準の底上げが不可欠だ。インドに進出した日系企業にアンケート調査を実施した佐藤隆広によれば、「質の高い労働力の確保」が、インドにおける最大のビジネス障害とみなされているという。たしかに、インド独立当初の識字人口は2割にも満たなかった。それでも、2011年のセンサスによると、識字率は74パーセントにまで上昇した。就学率の向上に伴い、ユネスコの推計では、若い世代の識字率は9割を超えているとされる。
先進国と比べると大学進学率はまだ低いものの、進学希望者は増加傾向にあり、優秀なエンジニアを輩出してきたインド工科大学(IITs)などの入試競争は激しい。倍率100倍ともいわれる超難関大学を目指して、塾、予備校などに子供を通わせる家庭は多い。そうしたエリート校に入れば、カーストの壁も越えられるのではないか、という期待もある。ITのような新しい高度専門職は、伝統的なカースト(ジャーティ)には存在しなかったものだからだ。
海外への留学も増えている。とくにアメリカへの留学生数では、2022年には、インド人は中国人を上回り、国別でトップに立った。米中関係悪化の影響もあるが、英語にコンプレックスのない、それなりに裕福な家庭出身のインドの若者たちが増えているのだ。またインド国内でも、IITs、デリー大やネルー大など、名の知れた名門国立大学だけでなく、近年、つぎつぎと私立大学が新設され、学生を受け入れている。こうした変化が起きているのをみれば、これからのインド経済の成長を支える土台は整いつつある。
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伊藤 融(いとう・とおる)
防衛大学校教授
1969年広島県生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、博士(学術)。在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授等を経て2009年より防衛大学校に勤務し、21年より現職。『新興大国インドの行動原理 独自リアリズム外交のゆくえ』(慶應義塾大学出版会)など、インド外交や南アジアの国際関係に関わる著作多数。
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(防衛大学校教授 伊藤 融)