■イーロン・マスク氏がAI開発の一時中断を求めた

イーロン・マスク氏が、ChatGPTの開発に「待った」を掛けようとしている。ロイターは4月5日、マスク氏がAI開発に反対の立場を表明していると報じた。

AI専門家などと共同発表した公開書簡のなかで、「行きすぎた人工知能(AI)の開発は危険」「社会への潜在的なリスクがある」と主張し、開発を今後6カ月間は一時中断するよう求めている。

写真=AFP/時事通信フォト
SpaceX社のテキサス州ボカチカビーチにある施設「スターベース」で記者会見するイーロン・マスク(=2022年2月10日)。米メディアが見た社内メールによると、Twitterの現在の価値は200億ドルで、彼が買収に支払った440億ドルの半分以下とした。 - 写真=AFP/時事通信フォト

TeslaやSpaceXを率いるマスク氏は、これまで新しい技術の開発・普及に一貫して積極的だった。さらにChatGPTを開発する米OpenAI社の共同創設者のひとりでもあった。AI開発にだけ反対の立場をとる氏の言動はあまりに不自然だろう。

ロイターや米インサイダーはマスク氏がOpenAI社を追い出された「苦い経験」を指摘。さらに自社でAIを開発するまでの引き延ばしを図るしたたかな戦略だという見方を示す。

■標的は、世界が大注目するChatGPT

昨年11月のデビュー以来、ChatGPTの評判はうなぎ上りだ。これは、ユーザーが入力した質問に、自然な文章で、知りたいことを端的に答えてくれる対話型AIだ。

一方で、まるで人間が書いたような文章を生成するAIには慎重論も出ている。イタリアでは使用が一時禁止となり、アメリカや日本などでも学生の利用を禁止するところが出てきた。

マスク氏が外部顧問を務めるNPO「生命の未来研究所」(Future of Life Institute)も、慎重な立場を示している。公開書簡を通じ、最新版のGPT-4を超える先端AI開発を6カ月間中断するよう求めた。

ロイターは、書簡にはマスク氏のほか、Google系列のAI企業であるDeepMind社の研究者や大学教授など、識者1000人以上が署名したと報じている。米CNBCが4月6日に報じたところでは、署名は1万3500人に達したという。

フォーブス誌によると、この団体は2021年、マスク氏が創設したマスク財団からの資金提供を受けているという。

■「徹底して偽善的である」

急速に発展するAIに関し、専門家らが一時停止と問題点の整理を促すことには、一定の妥当性が感じられる。だが、問題はそう単純ではない。

CNBCによると、Microsoftの共同創業者であるビル・ゲイツ氏は、「警戒が求められる領域を特定する」ための研究を推進するべきだと述べ、安易な開発停止はむしろ危険だと指摘する。

良識ある大手が開発を停止したところで、新興企業が停止要請に従うとは限らないためだ。Microsoftが検索エンジン「Bing(ビング)」でOpenAIと提携していることを差し引いても、もっともな主張だと言えよう。

停止を要請したマスク氏の行動については偽善的だとの指摘すら上がっている。

米コーネル大学のジェームズ・グリメルマン教授(情報法)は、ロイターに対し、「Teslaが同社の自動運転車の不完全なAIへの説明責任に対し、いかに激しく闘ってきたかを考慮するならば、イーロン・マスクが(書簡に)署名したことは、徹底して偽善的である」と指摘している。

真に危険が差し迫った新技術があるとするならば、それは人間を乗せたままでの動作不良が繰り返し報じられているTeslaのEVだろう。人の命を預かるEVの安全性に目を背けてAIの危険性を論じるのは理にかなわない、とグリメルマン氏は論じる。

■共同創設者だったマスク氏

なぜマスク氏はそこまでしてChatGPTに待ったをかけようとしているのか。

米フォーブス誌は、AIの危険性を吹聴するマスク氏の動機に、「ChatGPTへの恨み」を挙げている。記事は、米大手テックサイトのギズモード出身であるマット・ノヴァク氏が寄稿した。

記事によるとOpenAIは、2015年に非営利団体として設立された。現在CEOを務めるサム・アルトマン氏のほかに、イーロン・マスク氏が共同創設者兼会長として名を連ねている。マスク氏は「団体の顔」として認知されていた、と記事は振り返る。

画像=OpenAI公式サイトより

ところが2018年ごろになると、2人はすれ違うようになる。当時のGoogleがAI開発で優位に立っており、マスク氏は焦りを募らせていたようだ。

マスク氏は、私財を投じてAI開発を支えていた。米著名テックメディアのヴァージは、マスク氏が1億ドル(約130億円)の資金をOpenAIに投じていたと報じている。Googleに悠々とリードを許したのでは、巨額の投資が無駄になってしまう――と氏は危惧したことだろう。

業を煮やしたマスク氏はアルトマンCEOに対し、OpenAIの開発指揮を自らに一任するよう迫る。同メディアは「乗っ取りを図ろうとした」と指摘する。だが、アルトマンCEOら重役メンバーは、ノーを突き返した。

米ニュースサイトのセマフォーは、当時の内部事情に詳しい関係者8人に取材した記事を公開している。それによると経営陣は、すでにTeslaモデル3の生産問題に押しつぶされそうになっていたマスク氏に、さらにもう1社の陣頭指揮は荷が重いと判断したようだ。もっともな判断である。

■経営陣との溝が深まり、会社を追放された

これを境にマスク氏とOpenAI経営陣のあいだに溝が深まり、やがてマスク氏はOpenAIを去った。表向きには、利益相反の回避とされている。米CNETによる当時の報道によると、OpenAIは、「TeslaがAIに引き続き注力するなかで、イーロンが将来的に対立する可能性を排除するため」だとコメントしている。

しかし水面下では、マスク氏とアルトマンCEOらとの軋轢は、もはや隠しがたいレベルにまで発展していた。米ニュースサイトのセマフォーは、利益相反による離脱だとマスク氏が社内のスピーチで説明した際、「ほとんどの従業員たちは信じなかった」と述べている。あからさまな亀裂は、従業員たちのあいだでも公然の秘密となっていたようだ。

記事はまた、関係者の証言として、「彼は長期にわたり、およそ10億ドルを寄付すると確約していた(すでに1億ドルの寄付を行っていた)が、彼の離脱後に支払いは停止された」と報じている。

ギズモードは今年3月、この報道を取り上げ、「イーロンがOpenAIを辞めたのは、それは自分をビッグ・ボスにさせてくれないからだと報じられている」と伝えた。へそを曲げて組織を去ったマスク氏だが、2023年になって後悔するとは思いも寄らなかったことだろう。

■マスク氏追放がもたらした皮肉な結果

マスク氏の離脱後、あたらな資金源を必要としたOpenAIは、米Microsoftとの提携を強化した。米著名テックメディア・ヴァージによると、Microsoftは数十億ドルの資金を提供する見返りに、OpenAIの技術を独占的に使用するライセンスを確保した。

Microsoftは現在、検索エンジン「Bing(ビング)」を通じてChatGPTによる回答機能を試験提供し、AI検索の面でGoogleへの優位を確実にしつつある。

皮肉にもマスク氏が去った瞬間から、BingとChatGPTの連携への布石は打たれていたようだ。フォーブス誌は、マスク氏からの資金の途絶がMicrosoftとの提携に直接つながったと証明できる客観的証拠は不足しているとしつつも、氏の離脱がMicrosoftとの関係を深めたとの話は「もっともな解釈である」と評価している。

■追放後に上がったChatGPT、買収後に下がったTwitter

1億ドルの私財をのみ込まれ、揚げ句に追放されたマスク氏にとって、現在のChatGPTの成功は目の上のこぶだろう。

氏は今年2月のツイートで、「OpenAIはGoogleを抑制するオープンソースかつ非営利の企業として立ち上げられた(だから私は『OpenAI』と命名した)が、今ではMicrosoftが支配するクローズドソースの利益追求企業になってしまった」と述べ、不満を爆発させた。

画像=イーロン・マスク氏のツイートより

このような愛憎劇を念頭に置けば、結局のところ、AIの開発停止を求めるマスク氏の姿勢は嫉妬から来るものにも思われる。フォーブス誌は、「技術の安全性を担保するためだとマスク氏は言うだろうが、もっと簡単に説明がつく」と指摘する。

「もはやOpenAIとの関係が絶たれたマスク氏は、ChatGPTに相当するものを自らがまだ手にしていないことに、不満を抱いているのだ」

結果としてマスク氏は、身の振り方を大きく間違えたことになる。

Twitterに投じる巨額の資金を捻出できるのであれば、OpenAIに資金を提供し、堅実な付き合いを続けた方が賢明であった。やけどを負うどころか、ChatGPTの立役者のひとりとしてさらなる注目を浴びていたことだろう。

マスク氏による買収後、Twitterの株価は急落したと報じている。440億ドルあった時価総額は、半減する事態となった。

一方、OpenAIは躍進している。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、Microsoftによる公開買い付けが予定されており、時価総額は2年前の140億ドルから倍増する見込みだと報じている。

■「あのぶどうは酸っぱい」とキツネは言った

イソップ寓話(ぐうわ)に、『きつねとぶどう』という教訓話がある。遠い昔から語られている物語だが、まるでマスク氏の現在を物語るかのようだ。

ある日、腹ぺこのキツネが、豊かに実ったぶどうの木を見つけた。喜び勇んで飛びつくが、何度やっても高く実ったぶどうに口が届かない。地面を蹴り、跳ねて、もう少しというところで届かず、ついにキツネは諦めてへそを曲げた。

去り際にキツネは言う。「あのぶどうは、きっと酸っぱいんだ。こっちからお断りだよ」

写真=iStock.com/sduben
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sduben

喉から手が出るほど欲しかったが、自分には手に入らないと思い知ったとたん、価値のないものだと蔑(さげす)んで留飲を下げようとする。そんな愚かな思考を戒める教訓だ。

頭脳明晰(めいせき)な連続起業家のマスク氏だが、ChatGPTとの確執をめぐっては、いつしか寓話のキツネに成り下がってしまった。無限の可能性を秘めるChatGPTは、氏が1億ドルを出資し、一時はその10倍も出そうかというほど心酔した技術だったはずだ。

だが、開発の乗っ取りを図って共同創設者の反感を買い、急速に距離は離れた。世間にChatGPTの価値が認められたいま、1億ドルを吸い取られたマスク氏としては、悔しくてたまらないだろう。

そこで、「そのぶどうは危険だ」と声を上げ、開発停止を求める正反対の立場に回っている。仮に開発停止に至れば、「もともと無用な技術だったのだ」と、マスク氏はせめて自身をなだめることができるかもしれない。

■AI開発の主導権を取り戻そうとする企み

待ったをかける理由はもう一つあるようだ。

米フォーブス誌は、さらに踏み込み、マスク氏がChatGPTに対抗できる自社技術を完成させるまでの時間稼ぎに出たのではないかと論じている。

「マスク氏が配下のエンジニアたちをけしかけ、6カ月の期間を使って高性能のAIをリリースさせる展開になると予想します。そう複雑な話ではないのです」

もともとマスク氏はTeslaの自動運転技術の開発を通じ、AIの可能性に未来を見いだしていた。世に吹き荒れるChatGPT旋風を目の当たりにし、自社でのAI開発のさらなる重視を決意したとしても不思議ではない。

Teslaの場合は画像処理および空間認識であり、ChatGPTの場合は文字ベースの言語モデルという違いはある。マスク氏がAI開発を推進しているとして、どのような分野を対象としたものかは定かでないが、いずれにせよ自社開発のAIが完成するまでの時間稼ぎとしてAIの開発停止を求めた可能性が指摘されている。

OpenAIは、高性能な画像生成AIの「DALL-E(ダリ)」もリリースしている。Teslaと共通する画像処理分野で直接競合し、マスク氏が牙城の切り崩しをもくろんでいる可能性もあるだろう。

2019年4月、2018年後半版スターシップの模型を手にするイーロン・マスク氏(写真=NORAD and USNORTHCOM Public Affairs/PD US Government/Wikimedia Commons)

■開発中止を求めながら、ひっそりと動き出す

インサイダーは4月11日、「時間稼ぎ」を裏付ける新たな情報を報じる。記事は、「イーロン・マスクは無数のGPUを購入し、その後Twitterで新しいジェネレーティブAIのプロジェクトを進めている」と指摘している。

ジェネレーティブAIとは、大量の既存のデータから法則を学習し、新たな文章や画像などを生成するAIを指す。まさにChatGPTやDALL-Eの分野だ。

同記事によると、マスク氏はAI開発に反対を表明したにもかかわらず、およそ1万個のGPUを調達したという。GPUはもともと画像処理に用いられる演算装置だが、AIの構築に重要な役割を果たす機械学習においても、高速な演算処理を実現する目的で活用される。

関係者の1人はインサイダーに対し、マスク氏がTwitter社内で、大規模言語モデル(LLM)の開発を推進していると明かした。現在プロジェクトは初期段階にあるという。

マスク氏はTwitterの財務状況に苦しみ、多くの従業員を解雇している。
4月、英BBCのインタビューに応じ、8000人弱いた従業員が現在では1500人にまで縮小したと説明した。

GPU自体は、必ずしも機械学習のみに使われるものではない。しかし資金不足の折、決して安価ではないGPUを1万個も発注した動きには、特定の目的があったとみるべきだろう。インサイダーは、AI用の高価なGPUは1個1万ドル(約130万円)を超えると述べている。水面下でAI開発を試みている可能性は大いに考えられそうだ。

■「一時中断の要請」は自分の意思を達成させる方便

マスク氏はSpaceXの開発初期、自動着離陸制御にいくら失敗してもめげず、自らのビジョンを堅持した。メディアの批判に屈することなく開発を続け、民間宇宙開発企業として確固たる地位を築き上げた。

こうした彼の来歴を踏まえると、ChatGPTなどのAIへの批判は、これまでの基本姿勢と相いれないように思われる。かつて自らが育てたOpenAIのビジョンを、私怨により妨害しているとすれば、残念でならない。

マスク氏はたびたび方便を使う。Twitterの買収騒動の際、「ボットが多すぎて新のユーザー数を確認できない」と主張して一度買収方針をひっくり返したことは記憶に新しい。

氏がAIの過剰な発展に以前から警戒感を示していたのは事実だが、唐突な「6カ月間の停止要請」もまた、自分の意思を達成させる方便なのだろう。

実際に、イーロン・マスク氏が、AI開発に乗り出したようだ。英フィナンシャル・タイムズ紙は4月15日、「イーロン・マスクがOpenAIに対抗すべく、人工知能のスタートアップ企業を計画している」と報じた。

自らCEOを務めるSpace XやTeslaなどの既存投資家たちと、新事業に向けた資金調達についてすでに協議を進めているという。記事は米ネバダ州の記録をもとに、マスク氏が3月9日付で「X.AI」という名の企業を設立したとも報じている。

フィナンシャル・タイムズ紙は、マスク氏がChatGPTのようなAIの開発停止を求める書簡を出し、幾多の賛同者を集めていたことを指摘したうえで、AIの自社開発を示唆する今回の動きについては「AIコミュニティの一部は、その動きの速さに眉をひそめることになるだろう」と批判している。

チャットAIは現状、OpenAIの「ChatGPT」とGoogleの「Bard」の一騎討ちになっている。6カ月後、開発停止を訴えたマスク氏が手のひらを返し、独自のAIを引っ提げて三つ巴(どもえ)の構図になったとしても、さして驚くことではないだろう。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)