高齢者は“お荷物”なのか? 「集団自決すればいい」発言から考える、高齢者の“現在地”
「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」。経済学者・成田悠輔氏の発言が話題となっています。議論するに値しない発言とはいえ、高齢者を単なる“お荷物”のように見ている、彼ほど過激ではないものの似たような考え方の人に、NPO法人「老いの工学研究所」理事長を務める筆者が伝えておきたいことがあります。
「支えられる側」に回らざるを得なくなった高齢者
まず、高齢者は現役世代の負担によって支えられる側になりますが、これは、高齢者が積極的に支えられる側に回ろうとしたのが原因なのではなく、そもそも、国としてそのような制度設計をし、それを放置してきたことが原因です。
超高齢社会になるのは何十年も前から分かっていたにもかかわらず、例えば、企業の「定年退職制度」を法的に容認し続け(欧米の多くの国では禁止されている)、年齢を理由にまだまだ働ける人を辞めさせ続けた結果、労働や収入を得る機会を失って、支えられる側に回らざるを得なくしたわけです。
今になって「リスキリング」などと言っていますが、何十年も前から中高年の再教育に予算を割いて注力していれば、生涯現役で働ける人はもっと増えたはずです。それに、リタイア後の社会参加の機会を提供する努力も不十分でした。ボランティアや地域活動、収入を伴う労働などに関する情報提供は、今もおおむね民間任せで、元気なシニアの居場所や活躍の場の不足は続いています。
要するに、高齢者には「できる限り助けを借りず、自立して暮らし続けよう」「世の中の役に立とう」としている人が多いのに、機会や支援を提供せず、“お荷物”のように扱うのはひどい話だということです。“お荷物”のようになってしまっている高齢者がいるとすれば、それは機会や支援を提供しなかった結果ともいえるでしょう。
また、「高齢者が病院に行き過ぎるので、医療費が過剰になっている」とよく言われますが、それは、高齢者が好き好んで病院に行っているからではなく、病院が高齢者をターゲットとしたビジネスを強化しているからです。
国民全体の健康意識が高まり、病人が減っていくと、病気の治療だけでは病院経営が成り立たなくなってきます。だからまず、「正常」の基準となる数値を変えて、病人をつくり出します。
例えば、国民の4300万人が高血圧者であるとされますが、これは「高血圧」の基準を変えた結果です。次に、高齢期の加齢現象を「病気」と位置付けて“治療”の範囲を拡大します。加齢現象は病気ではないので、治療で治るようなものではありませんが、医師に言われれば病院通いをせざるを得ません。高齢者が病院に行かなくなったら、経営が危なくなる病院は多いはずです。
高齢者の交通事故の問題もよく話題に上りますが、交通事故は高齢者に多いわけではありません。警察庁の「令和3年中の交通事故の発生状況」を見ると、免許保有者10万人当たりの交通事故件数は、75〜79歳で390.7件となっており、25〜29歳の424.9件を1割下回っています。80〜84歳で429.8件、85歳以上で524.4件と増えますが、それでも20〜24歳の605.7件よりは少なくなっています。
また、年次推移でみると、免許保有者10万人当たりの事故件数は、2011年に80歳以上で約1000件であったものが、年々減少して、2021年には429.8件(80〜84歳)、524.4件(85歳以上)となっています。10年程度で交通事故を半数まで減らした高齢者の姿勢は、評価されるべきだろうと思います。
高齢者の体力は「右肩上がり」
そして、スポーツ庁は「体力・運動能力調査(平成30年度)」を受け、高齢者(65〜79歳)の体力・運動能力について「握力」「上体起こし」「開眼片足立ち」「6分間歩行」など、ほとんどの項目で上昇傾向にあるとしています。具体的には、「開眼片足立ち」で立っていられる時間は、75歳女性で平成10年の約35秒から、平成30年には約60秒まで伸びました。「6分間歩行」も同様に、約480メートル(平成10年)から約540メートル(平成30年)となっています。
青少年(6〜19歳)ではやや低下傾向、成人(20〜64歳)ではおおむね横ばいとなっている中、高齢者の体力だけが右肩上がりになっているのは、さまざまな要因があるでしょうが、現役世代の世話にならず、自立生活を継続していこうという意欲の表れだと考えます。
その結果、日常的にサポートが必要になる「要介護2」以上の人の割合は、80代後半で23%に過ぎません。90歳を超えても、その割合は46%です。(介護保険事業報告から筆者計算)。これは、80代後半で4人に3人、90歳超で約半数が自立生活をしているということであり、その自助努力は評価に値すると思います。
もちろん、“老害”としか言いようのないケースも見聞きしますが、それは一部の人であって、高齢者全体に当てはめるのは適切ではありません。ごく一部の若者の犯罪や非行を取り上げて「今どきの若い者は…」というのがおかしいのと同じことです。
先述したように、高齢者を「支えられる側」に閉じ込めてしまった経緯を反省、改善すべきです。また、高齢者の実態を正確に把握できていないという問題もあり、高齢者が行っている努力は評価しなければなりません。それでも高齢者を一方的に責めるのであれば、それは「いつか自分も高齢者になる」という当たり前の自覚が欠けているのだと思います。