8月24日時点で打率.329、45本塁打、111打点といずれもトップに立ち、2004年の松中信彦氏(ダイエー)以来18年ぶりの「三冠王」も見えてきている東京ヤクルトスワローズの村上宗隆(22歳)。そんな村上は小学生時代、かつて"史上最高のスイッチヒッター"と呼ばれた松永浩美氏に指導を受けたことがあるという。


令和初の三冠王の期待がかかるヤクルトの村上 photo by Sankei Visual

 現役時代、阪急・オリックス、阪神、ダイエー(現ソフトバンク)で活躍した松永が村上と出会ったのは、元広島の今井譲二氏が熊本県で運営していた野球塾だった。

「現役時代から交流があった今井さんが野球塾を始めた頃に何回かコーチとして呼ばれて、『子どもたちにインコースの打ち方を教えてほしい』と頼まれたのですが、その中のひとりが村上だったんです。彼が小学3年生くらいの時だったと思います。

 ただ、最初にプロで試合に出ている村上を見た時に、自分が指導した子だとは気づかなくて。(2019年に)初めてホームランをシーズン30本以上打った頃に出身地が熊本県だと知って、今井さんに電話したんですよ。『ヤクルトにいる村上って、熊本出身みたいですけど知ってますか?』と。そうしたら、『マツ、何を言ってんの。お前に指導してもらった子だよ!』と言われて思い出しました(笑)」

 ほぼ1年を通して行なわれているという今井の野球塾に、毎週のように通っていたという村上。松永は、インコースを打つために教えたことについてこう話す。

「インコースを打つ時は体重移動がすべてなので、その体重移動の仕方を教えたのと、かかとをちょっと意識させただけです。教えた時にすぐ納得したのか、最初はわかっていなかったのかは定かではないですけどね。今の村上は(投手側の)右足のつま先からステップして、右足のかかとにクッと重心を乗せるだけ。それで体重移動は十分にできている。だからほとんど頭が動かないし、体も前に突っ込まないんです」


阪急などで活躍した松永浩美 photo by Kyodo News

小学生の村上に感じた人間力

 指導をしてから数年後、試合で見た村上の活躍ぶりに、松永は驚かされたという。

「たまたま顔を出した時に野球塾の中で試合をやっていて、村上がレフト、センター、ライトと3打席連続でホームランを打ったんですよ。その時は小学5年生くらいだったと思いますが、当時はそこまで体が大きくなかったので、『意外とパワーがあるんだな。すごい子やな』と思いました。

 ただ、私は野球がうまい子はたくさん見てきました。技術の高さ、体の強さや大きさももちろん大事ですが、選手にとって一番必要なのは人間力だと私は考えています」

 その人間力を見るために、松永は指導をする際にあることを試すという。

「例えば、キャッチボールを5組(10人)でやる時に、何も声をかけずに通り過ぎてみるんです。それで、後から『スルーされてどう思った?』と聞いて、『嫌われてると思いました』『相手にされていないんだと思いました』と答える子がいる。そういう子は、そのままだとあまり伸びない傾向にあります。だから、『声をかけなかったのは、悪いところがなかったからだよ。悪かったら、キャッチボールを止めて指導しているから』と言ってあげて、意識を変えてもらえるようにします。

 その点、村上にはほとんど声をかけませんでした。『他の選手にアドバイスをしている時に、近くにいたらそれを聞いといてね』とは伝えましたね。彼のような子は失敗しても落ち込んだり悩んだりするのではなく、失敗した原因と、改善するための方法を自分で考えることができる。すぐに『行動』ができるんです」

 ヤクルトでは若くしてリーダーシップを発揮し、22歳とは思えない貫禄を漂わせている村上。4番打者として活躍するだけでなく、ベンチでも積極的に声を出してチームメイトを鼓舞するなどしてチームを引っ張っているが、その片鱗も小学生の頃から見せていたようだ。

「周囲への気配りがよくできる子で、学年が上がっていくのに合わせて積極的に大きな声を出すようになっていきました。自分の意見もしっかりと言える芯の強さも感じましたし、野球に取り組む姿勢も真っ直ぐだった。『これぐらいは練習しないとうまくならない』という感覚もあったと思います。体の強さ、スイングの速さといったことも含めて、総合的にプロに向いていたんでしょうね」

22歳で到達した打撃の境地

 バッティングに関しても、もともと身についていたことがあった。

「スイングする時に、バットのヘッドが寝ないで立ったまま出ていました。ヘッドが寝てしまう(地面と水平のラインよりも下がる)と、インパクトの際に力が入りにくいのですが、立っているとインパクトが力強くなります。ときどき、何も言わなくても身についている子がいるんですが、村上にも元から備わっていました。

 ただ、バッティングフォームは変わりましたね。当時は腰を引いて体が『く』の字になるような感じで構えていましたが、今は真っ直ぐに立っている。それだけしっかり体ができてきたということですね」

 今季はハイペースで本塁打を量産。日本人野手としては2002年の松井秀喜氏(元巨人、ニューヨーク・ヤンキース)以来となるシーズン50本塁打も射程圏内だ。村上の成長曲線はどこまで伸びていくのか。

「彼は、私が一軍の試合に出始めて6年目、25歳くらいの時に掴んだ感覚をすでにモノにしているように見えます。

 ボールの高低、コース、球種などによってバッティングフォームは変わりますが、そのフォームは頭の中に絵として残ります。投手が投げた瞬間に、その絵を思い浮かべて再現する。その感覚が身につけば、相手バッテリーの配球などに惑わされることなく打つことができるようになります。

 たぶん、村上はすでにそのくらいの領域まで達しているはず。まだ22歳というのがすごいですし、これからどんな成長を見せてくれるか楽しみです」

(敬称略)