打倒・大阪桐蔭を掲げチームをつくってきた仙台育英(宮城)と、大阪桐蔭を破り一躍大会の主役となった下関国際(山口)との間で行なわれた夏の甲子園決勝。多くの高校野球ファンや関係者が「ここにいるはず」と見ていた大阪桐蔭の影を感じながら、テレビで夏の甲子園最後の一戦を見た。

 王者が戦いの舞台から姿を消したのは、決勝戦4日前の8月18日だった。こまめに休養日が設定されるようになり、随分と時間が経ったように感じる。


3度目の春夏連覇に挑んだ大阪桐蔭だったが、準々決勝で下関国際に敗れた

センバツ圧勝で世間の評価が一変

 下関国際との準々決勝、大阪桐蔭はベスト4進出まであと3人からの逆転劇を許してしまった。「強すぎる問題」といった言葉まで生んだ王者の敗退に、各地で優勝候補が次々と敗れる波乱が話題になった地方大会を思い出した。下関国際のたしかな力を感じつつも、「104回目はこういう夏だったのか」と。

「少し前に選手に言ったんです。『甲子園に行っていないチームでもめちゃくちゃいいチームがあったし、このチームはオレのなかでは歴代13番目くらいや』って」

 これは夏前に行なったインタビューで大阪桐蔭の西谷浩一監督が口にしたチーム評だ。圧倒的な強さで今春のセンバツを制し、ネット上には「強すぎる」「選手を集めすぎ」とのワードが並んだ。そんなチームに対し「13番目くらい」という評価に、思わず「おいおい!」とツッコミが入りそうだが、西谷監督にしてみれば紛れもない本音だった。

 そこから話は、2018年に春夏連覇を達成した根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)らの代の話題へとつながった。

「その時も『もしオレが順番をつけるなら、このチームは歴代で8か9か10番目くらいや』って言ったんです」

 神宮大会準決勝で創成館(長崎)に敗れたあと、このままでは「センバツは勝てない」と、選手を鼓舞する意味もあったのだろう。ちなみに、この評価は根尾たちが2年秋の段階のもので、ここからセンバツ、そして夏に向かっていく間でチーム力を上げたことは言うまでもない。

 ただ、大阪桐蔭の歴史を振り返ると、もっとダイレクトに強さを感じさせるチームはいくつもあり、今回の西谷監督のチーム評は決して謙遜とは思わなかった。

 そもそも「強さ」に明確な基準はなく、感じ方も人それぞれ。勝てば「強い」となり、そこへわかりやすい数字がついてくると、「強すぎる」といった今回のような評価になる。

 センバツでは不戦勝を除く4試合で、大会新記録となる11本塁打、51得点。接戦もなく、傍から見ると「圧勝」だった。しかし、対戦した相手投手のコンディションなどを考えれば、その結果が実力どおりでないことは、大阪桐蔭の選手、指導者らが誰よりもわかっていたことだった。

 だからこそ夏へ向かうなかで、チームに油断や慢心といった類のものは皆無。世間の評価に惑わされることもなく「まだまだ。もっともっと」と、それまでと変わらず野球に打ち込んだ。

データ班の分析は「下関国際は手強い」

 春の近畿大会決勝で智辯和歌山に敗れ、公式戦の連勝が29でストップ。その後の練習試合でも東海大菅生(東京)、東海大相模(神奈川)、報徳学園(兵庫)に敗れた。それでも夏の大阪大会を危なげなく制すると、甲子園にはもちろん「大本命」として登場した。

 1回戦の旭川大高(北北海道)戦は、この夏初めての接戦となったが逆転で勝利。続く聖望学園(埼玉)戦は25安打、19得点の猛打で圧倒。3回戦の二松学舎大付(東東京)戦は背番号1の川原嗣貴が完封して4対0。

 過去のチームを思い出し、今回が抜けて強いとは思わないが、それでも他校との比較となると「今回もやはり大阪桐蔭か......」という気分になっていた。しかし、そうはならなかった。

 下関国際戦の前日、西谷監督はオンライン取材で「攻撃も守りもしぶとくやられるチーム。粘り合いになると思います。なんとか負けないようにやりたい」と語っていた。西谷監督らしい慎重なコメントに映ったが、大阪桐蔭の強さを支えるデータ班の分析結果も「下関国際は手強い」だった。

 事実、データ班の見立ては的中することとなる。初回に2点を挙げて一気にペースを握るかと思われたが、その後、攻めきれずにいると、徐々に下関国際が持ち前の粘り強さを攻守で発揮。試合は僅差のまま後半戦に突入した。

 それでも最後は大阪桐蔭が逃げきり、この一戦が連覇へのターニングポイントになったというストーリーが頭のなかに浮かんでいた。なぜなら、マウンドには切り札・前田悠伍が立っていたからだ。

前田悠伍の快投で始まった快進撃

 このチームの快進撃は昨年秋、当時1年生の前田の投球とともに始まった。ボールのキレ、質、強さ、制球力、フィールディング、メンタル......勝てる要素を備えたサウスポーへの信頼は絶大だった。

「前田がいる」という安心感のなか、それまで実戦経験に乏しかった野手が育ち、先輩投手陣も刺激を受けて成長した。

 背番号1をつけたことはなく、西谷監督も明言することはなかったが、このチームのエースは前田であることは起用を見ていれば明らかだった。

 今年夏の大阪大会では不安を感じる場面もあったが、履正社との決勝ではしっかり修正し、8回無失点。甲子園では2回戦の聖望学園戦に先発し、5回を投げて1安打、9奪三振の好投。あとは勝ち上がっていくなかで、前田をどう起用していくか。それこそが連覇のカギだと思っていた。

 下関国際戦で前田がリリーフでマウンドに上がったのは5回表。大阪大会で20イニング無失点だった先発の別所孝亮が追いつかれて2対2の同点となり、なおも二死一、三塁の場面だった。想定よりはやや早めのスイッチだったかもしれないが、この時点で十分な地力を感じていたであろう下関国際に対し、後手に回ることなく切り札を投入。ある意味、大阪桐蔭にとっては盤石の継投だった。

 前田は勝ち越した直後の6回表に1点を許し、一度は追いつかれるも、再びリードしたあとの7、8回はテンポよく下関国際打線を無失点に抑えた。この時点で、かなりの確率で勝利を確信したのだが......。

 しかし9回表、甲子園の"魔物"が現れ気配が一変した。ここ数年、甲子園の名物になりつつある劣勢チームへの気まぐれな大応援である。これが瞬く間に球場内に広がった。連続ヒットを許して無死一、二塁。送りバントで一死二、三塁となると、手拍子にうちわ、メガホンを叩いての"大応援"はさらにヒートアップした。

「相手の応援がすごいほど燃えてくる。大好物です」と言ったのは、大阪桐蔭の2012年春夏連覇のメンバーである澤田圭佑(現・オリックス)だが、この10年の間に応援の質は明らかに変わった。

 かつては贔屓チームの選手たちの背中を押したいと、自然発生的に生まれた応援は心地よく耳に馴染んだが、今のそれは威圧的な大音量を伴い、グラウンドに立つ選手たちに容赦なく襲いかかる。大阪桐蔭にとっては完全アウェーの戦いとなり、前田も飲み込まれていった。

 相手の4番・賀谷勇斗のカウント1-1からの3球目、前田が昨年の秋以降にこだわり、磨いてきたストレートを叩いた打球は大きく弾み、前進守備の二遊間の真ん中を割ると、センター・海老根優大の懸命のバックホームも及ばずふたりが生還。一瞬にして試合がひっくり返った。

危機感しかなかった昨年秋

 試合後、一塁側ベンチ前で仲間と抱き合いながら涙する大阪桐蔭ナインの姿を眺めていると、夏へ向かう取材のなかで熱く語ってきた西谷監督のもうひとつのチーム評を思い出した。

「ほんと一生懸命やるいいチームなんです。ものすごくしんどい練習をしても前向きで、ハートの強い選手が多いチーム。毎日一緒に練習しながら『この子たちと勝ちたい』という気持ちにさせてもらいながらやっています」

 誰に聞いても同様の答えが返ってくる。ふだんの取材では、すぐに笑いへ持っていこうとする攻守の要である松尾汐恩も、チームを語る時には真剣な目で語ってくる。

「ほんといいチームですよ。おちゃらけの時もありますけど、やる時はやる。この切り替えの感じが抜群によくて......このメンバーで1日でも長くやって、夏も絶対に日本一です!」

 敗戦翌日になると、各方面から敗因の分析も含め、"大波乱"の一戦を振り返る記事に溢れた。いろんな記事を読みながら、頭のなかに浮かんだのは「あのスタートからよくここまで......」という1年前の風景だった。

 昨年のチームは松浦慶斗(現・日本ハム)、池田陵真(現・オリックス)という投打の軸を筆頭に、春夏連続で甲子園出場を果たしたが、センバツの初戦敗退に続き、夏も2回戦敗退。しかも智辯学園(奈良)、近江(滋賀)の、近畿のチーム相手に続けて敗れるなど、これまでの大阪桐蔭にはなかった結果に、周囲は一気にざわついた。

 もしチームになったばかりの秋もあっさり負けるようなら、高校野球の勢力図が変わるかもしれないと......。のちにその話を西谷監督に向けると、「去年の秋は危機感しかなかったです」と頷いた。

 旧チームからのレギュラーは松尾ひとりで、投手は川原嗣貴、別所孝亮、川井泰志が甲子園のマウンドを経験したが、まだまだ不安定。キャプテンを務める星子天真をはじめ、海老根、伊藤櫂人、丸山一喜といった現チームの主力野手はベンチ入りすらしていない。これだけ実戦経験の少ないメンバーが揃ったスタートは、大阪桐蔭の過去を振り返ってもめったにないことだった。

 新チーム発足後は、毎晩ミーティングを繰り返し、そのあとにスイング。早朝からもバント練習をするなど、西谷監督曰く「突貫工事」で秋の大阪大会へと挑んだ。当時を振り返り「ほんと必死でした」と語る西谷監督の言葉には実感がこもっていた。

 ところが終わってみれば、大阪大会、近畿大会に続き、大阪桐蔭史上初となる神宮大会、さらにセンバツまで制するチームへと変貌を遂げた。センバツのあとにはこんな質問を受けるチームになっていた。「甲子園春夏連覇を達成した2012年、2018年のチームと比べてどうですか?」と。

 甲子園を去った翌日、まだ主将は置かず、新チームはスタートを切った。今年のチーム同様、実戦経験の少ない選手が多いが、敗戦直後のオンライン取材で「甲子園の借りは甲子園でしか返せない」と決意を込めた前田が残る。

 思えば今年と同じ春夏連覇へ挑んだ5年前の夏の甲子園。3回戦で仙台育英に逆転サヨナラ負けを喫した時のマウンドにいたのも2年生の柿木蓮(現・日本ハム)で、バックには根尾、藤原、中川卓也(現・早稲田大)。先輩たちとともに偉業へ挑み、敗れた悔しさを持った2年生たちがそこから大きく成長。翌2018年には見事、春夏連覇を勝ちとったのだ。

 昨年同様、突貫工事の秋からまた1年。「歴代13位くらい」の次にどんなチームができあがってくるのか、楽しみでならない。