変わらざるものと、変わりゆくもの----。

 錦織圭が股関節の故障のためにコートを去ってから、9カ月の歳月が過ぎた。

 その間、世界のテニスは一見すると、大きく変わっていないように見える。ただ、その下ではジリジリと地殻変動が進み、表層化の時を待っている......。それが、今の男子テニス界の状況だろう。


ようやく復帰の目処が立ってきた錦織圭

 錦織が股関節にメスを入れたのは、ツアー離脱から3カ月ほど経った頃である。

 痛みを抱えながらも、手術すべきか否か悩み流れた数カ月。結果手術に踏みきったのは、「もう痛みに耐えられなくなった」ためだった。

 内視鏡検査の結果、股関節唇の損傷具合は、人工股関節を入れた「(アンディ・)マリーのようになる寸前だった」と言う。その最悪の事態を回避できたことに安堵しつつ、「若干悔いも残ります。もう2カ月早くやっておけば......」と本音を口にしたのは、4月末のことだった。

 その4月末の時点で錦織は、他選手の動向や試合を「最近見るようになりました。そろそろ見ないとまずいかなと思って」とも明かしている。当時のテニス界の話題の中心と言えば、マイアミ・マスターズを制し、赤土のバルセロナ・オープンでも頂点に立った18歳のカルロス・アルカラス。スペインの若者の急成長に、錦織も「びっくりした」と注視した。

 なお、アルカラスはその後もマドリード・マスターズでトロフィーを抱き、先週のハンブルグ欧州オープンでも準優勝。錦織がツアー離脱した直後の昨年10月18日の時点で、アルカラスのランキングは42位だった。当時まだ粗さも目立ったその青年が、今では世界の5位。屈強な肉体に無垢なる向上心を宿す「スペイン黄金期の継承者」こそが、"変わりゆくもの"の象徴だ。

 もっとも、その勢いのままグランドスラム優勝もありえるかと期待されたアルカラスにしても、5月末の全仏オープンと先のウインブルドンでは、いずれも準決勝以前に敗れている。2週間で7試合の長丁場、しかも5セットマッチのグランドスラムを勝ち抜くには、まだ経験や心身のスタミナが十分ではないということだろうか。

錦織圭の復帰予定はいつ?

 実際に全仏を制したのは、これが同大会14度目の戴冠となるラファエル・ナダル(スペイン)。そして、ウインブルドンのセンターコートでトロフィーを抱いたのは、35歳のノバク・ジョコビッチ(セルビア)。36歳になったナダルのグランドスラム優勝回数は22に至り、ジョコビッチが21で追走する。あらゆる記録を塗り替え続けるふたりのレジェンドは、"変わらざるもの"のシンボルだ。

 ナダルとジョコビッチのグランドスラムでの支配力は、世は何も変わっていないかのような幻覚を生む。ただ、ツアーに身を置く選手の皮膚感覚からすれば、変化は確実に生まれているという。

 29歳のダニエル太郎は、昨今のテニス界に起こりつつある現象として、「若い選手たちのテニスが変わってきた」ことを挙げた。

「身体が大きくてパワーのある若い選手が、質の高いボールを打っている。2〜3年前の僕は、若手を見て、あんなにミスが多かったら勝てるようになるまで時間がかかると思っていた。でも、彼らは威力のあるボールを打ち続け、それが入るようになってきた」

 ダニエルがそう語ったのは、昨年の初夏。そのニューウェーブの筆頭がアルカラスであり、21歳で世界9位のフェリックス・オジェアリアシム(カナダ)や、20歳で世界10位のヤニック・シナー(イタリア)だ。あるいは、先のハンブルグ欧州オープン決勝でアルカラスを破ったロレンツォ・ムゼッティ(イタリア)も20歳。彼ら新時代テニスの体現者たちが、ツアーを牽引するまでに台頭してきた。

 それら、変わらざるものと変わりゆくものが交錯する世界に、錦織はいつ、どのような形で戻るだろうか?

 現在の錦織のランキングは160位。大会の出場に関しては、40位台後半の"プロテクトランキング"を使うことができる。これは公傷でツアーを離れた選手が一定期間、エントリーのみに用いることができる数字だ。

 ただ、現時点で錦織は、まだプロテクトランキングを用いていない。プロテクトランキングは使える数に限りがあるため、当落線上であったり、調整が不十分な状況では使いたくないのが実情だろう。

錦織の心境が大きく変化?

 また先日、8月21日開幕のウィンストンセイラム・オープンのワイルドカードを得たが、この大会の開催時期は全米オープンの予選と重なる。錦織は全米オープンにもプロテクトランキングを使わず、158位でエントリーしている。すなわち本戦のワイルドカード(主催者推薦枠)を得られぬかぎり、欠場が予想される状況だ。

 加えるなら、8月中旬にカナダと米国シンシナティで開催されるマスターズ2大会の出場者リストにも、錦織の名はない。復帰戦へのプランとしては、ツアー大会の主催者推薦を期待しつつ、下部大会群に相当する「ATPチャレンジャー」出場も視野に入れているようだ。

 ツアーを離れたこの9カ月間、錦織の内面にも、変わらぬものと、変わったことがあっただろう。

 変わらぬものは、復帰への高いモチベーション。それは6月に行なわれた「ユニクロ所属契約会見」時にもうかがうことができた。

「グランドスラムの決勝だったり、あの舞台にまた戻りたい気持ちがある」。「まずは、トップ10に戻りたい。それまでにゴールはいくつかあるんですが、最終的には、今のナダルやジョコビッチと1回戦ではなく後半に戦える、あの場所にまた戻りたいというのが大きな気持ちです」

 それが、錦織が口にした現時点での率直な「目標」。「ナダルやジョコビッチと後半に戦える、あの場所」という具体的なイメージは、いまだナダルやジョコビッチが頂点に立つグランドスラムのヒエラルキーがあるからこそ抱ける近未来像だ。

 一方で錦織の内的変化も、最近の彼の言動からは多く感じられる。それは、後進や日本のテニス界の未来への想い。

 その最たる例は今年4月、伊達公子が主催するジュニア育成キャンプに、自らコーチ役を志願し沖縄まで足を運んだことだ。

 さらには今夏より、日本のジュニア選手の頂点を決める「全日本ジュニアテニス選手権」のアンバサダーにも就任。「優勝した人は自分と練習ができるなど、自分がサポートできることは進んでやりたいなと思います」と、直接ジュニアと触れ合うことを望んだ。

目標は「トップ10に戻りたい」

 以前の錦織は、あれほどの人気と実績を誇りながらも、どこか「ロールモデル」と見なされることに照れや戸惑いがあった。彼自身がチャレンジャーであることを望んだため、仰ぎ見られることをよしとしなかったのかもしれない。

 その彼が最近では、「自分がトップに出たことによって、西岡(良仁)選手やダニエル選手が出てきたのはあると思う」と自身の功績を客観視し、「日本人の自分ができるんだというのを、まずは示したい」と使命感を口にした。

 さらには復帰の目標のひとつとして、次のようにも語っている。

「今は自分の現役の姿を......背中を見てほしいというか、カッコいい姿を子どもたちに見せたいなという気持ちが一番にあります」

 これらの発言は、数年前の錦織の口からは、あまり聞けなかった言葉だろう。

 プロテクトランキングが有効なのは、最初に用いてから9大会、もしくは復帰後の9カ月間である。9カ月前、21歳以下はひとりもいなかったトップ10圏内に今は3人いることを思えば、9カ月後には、一層の世代交代が進んでいる可能性は高い。

 それでも錦織は、「トップ10に戻りたい」と明言する。

 後世に何かを残したい、あとに続く者たちに何かを伝えたい----。コートを離れた間に宿した情熱こそが、次にコートに立った時、錦織に新たな"戦う意義"をもたらすはずだ。